星野源の音楽の師匠、細野晴臣が在籍したはっぴいえんど『風街ろまん』は2021年11月20日で発売50周年。見開きジャケット左の撮影場所付近へ行って、今では当たり前の〇〇〇〇の理由が分かった

2021/11/19 22:00 龍女 龍女

③星野源に与えた影響って、具体的には何?



(シングル『不思議』のジャケット写真の元写真を想像しながら描く イラストby龍女)
これはエビデンスがないので、筆者の直感で言わせて貰う。
このイラストを描いている間、筆者が思い浮かんだのはタマラ・ド・レンピッカの描いた作品群である。
加工されたジャケットには立体感と輪郭をずらしているが、星野源が見下ろす顔の色気が共通している。

4枚目のアルバム『イエローダンサー』のジャケットは、歌川国芳の『みかけはこわいがとんだいいひとだ』を思い出す。


音楽面については雑誌ローリングストーンの日本版の2020年7月11日付に、文筆家の小田部仁が星野源にインタビューした記事の一部に重要なやりとりを見つけた。

小田部:細野さんも自分の歌に自信がなかったけど、ジェイムス・テイラーを聴いて「歌ってもいいんだって思えた」っていうエピソードがあって、その細野さんに星野さんが勇気付けられたって、本当にいい話ですよね。音楽がつながっているというか。

星野:そうですね。自分はマイケル・ジャクソンとプリンスが大好きで憧れていたけど、そういう歌は歌えないなと思っていた時に細野さんの音楽を聴いて「スモーキーな声でもカッコいい人がいるんだ」って気づくことができたんです。しかも、それが歌手じゃなくて、音楽家として歌も歌っているというのにすごく励まされて、僕もそうなりたいと思って。だから、今でも自分のことを「歌手」とは絶対に言わないし、音楽家としての枠のなかで歌が一つのやり方としてあるという感覚です。


(ジェームズ・テイラー2枚目のアルバム『Sweet Baby James』のジャケット用の写真のオフショット イラストby龍女)

ジェームス・テイラー(1948年3月12日生れ)とは、シンガーソングライターであるが、そもそもアコースティックギターの名手で、歌がお世辞にも上手ではない。
とはいえ音痴という意味ではなく、楽器として歌も手がけていると言う意味に過ぎない。

ジェームズ・テイラーの歌で最も有名なのは、盟友であるキャロル・キング(1942年2月9日生れ)が作詞作曲した『君の友達(原題:You've got a friend)』である。

この曲のキャロル・キング自身が歌唱したヴァージョンは


(キャロル・キング2枚目のアルバム『つづれおり』のジャケット写真の一部から引用。手前の猫は1番目の夫ジェリー・ゴフィンと一緒に暮らした頃からの猫テレマコス イラストby龍女)

1971年の2月10日に発売された『つづれおり』に収録されている。
このアルバムも、70年代のシンガーソングライターブームを象徴する金字塔的存在だ。
キャロル・キングは60年代は専業作曲家だった。
出身地でもあるニューヨーク州ニューヨーク市のブルックリン地区から、同市マンハッタン区の49丁目通り、ブロードウェイ1619番地のオフィス・ビルに通っていた。
タイムズ・スクエアの少し北にあるブリル・ビルディングだ。
音楽事務所やスタジオが密集していた。
最初の夫ジェリー・ゴフィンとコンビを組んで、作詞作曲家コンビとして次々とヒット曲を手がけた。
最大のヒットは『ロコ・モーション』(オリジナルは1962年に夫婦のベビーシッターのリトルエヴァが歌った)である。
もう一つ特記すべきが、前週のコラムの主役アレサ・フランクリンに提供した『ナチュラル・ウーマン』である。
この曲のセルフ・カバーも『つづれおり』に収録されている。
いったん歌手活動もして失敗した経験があるキャロル・キングは、再び表に立つつもりはなかった。
歌うようにアドバイスしたのは、ジェームズ・テイラーであったという。

星野源は当初SAKEROCK(2000~2015)という歌わないインストゥルメンタルバンドのギターとマリンバの担当であった。
マリンバという木琴の一種を選んだあたりも、細野晴臣の影響である。

歌に自信はなかったが、歌い始めたのが、細野晴臣のアドバイスが大きかったようだ。


『風街ろまん』の中で最もカバーされている曲は、細野がリードヴォーカルを務めた『風をあつめて』だ。

はっぴいえんどのメンバーの中で一番歌唱力があったのは大滝詠一である。
ところが、歌唱力があるのは困った面もある。
達筆すぎて読めない字があるように、上手すぎて、歌詞の内容が入ってこない場合がある。
細野晴臣は1972年に荒井由実のデビュー作『ひこうき雲』を演奏したスタジオミュージシャン集団キャラメルママのメンバーでもある。
荒井由実も当初作曲家志望であったが、所属レコード会社アルファの社長・村井邦彦のアドバイスで歌うことになったのは、当時のシンガーソングライターブームがあったからだ。
シンガーソングライターブームは、自分たちが良い曲さえ書ければ、歌は一向に下手でもかまわないので、ミュージシャン志望者を増やし、 ポップスのレベルを上げた一面がある。
また、荒井由実の歌声は、今のヴォーカロイドの歌い方と親和性があり、感情は観客の心向きに任せ、歌手は感情を抑制して、何度も聞きたくなる効果をもたらした。
それを先行して実行したのが、細野晴臣だった。

日本のポピュラー音楽界でも、自作自演のミュージシャンが多くなったのはそういう理由であった。
星野源はそうした自作自演のミュージシャンの中でもかつて最先端だった細野晴臣の薫陶を受けた。
最前線に立っているのである。


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