星野源の音楽の師匠、細野晴臣が在籍したはっぴいえんど『風街ろまん』は2021年11月20日で発売50周年。見開きジャケット左の撮影場所付近へ行って、今では当たり前の〇〇〇〇の理由が分かった

2021/11/19 22:00 龍女 龍女

①『風街ろまん』のジャケットの撮影場所とは?

西武池袋線、下り線西武秩父方面の駅、稲荷山公園。
埼玉県狭山市。
駅を降りて、北口、道路を右に数十メートル歩道沿いを進み、挟んで横断歩道を渡ると、埼玉県営公園の稲荷山公園がある。
1973年にアメリカ軍の旧ジョンソン基地跡地公園、ハイドパークと呼ばれた地区を整備したモノである。
細野晴臣は返還準備が行われた頃、『風街ろまん』が発売された翌年の1972年頃に引っ越した。

はっぴいえんどの3枚目、最後のアルバム『HAPPY END』が発売されたのが、3ヶ月後の1972年2月25日である。
『HAPPY END』は、『風街ろまん』の発売される1ヶ月前の10月に、LA録音された。
既に解散が決まった時点でアルバム2枚目が出た事実が分かる。

バンド解散の原因によくある「音楽性の違い」とは、バンドのメンバー間の仕事内容に伴うギャラの配分も大きいらしい。
これは、当コラムの題名「なんですかこれは」の由来となった米米CLUBのヴォーカル、カールスモーキー石井こと石井竜也の発言を元に、具体例を挙げた。

それでも抽象的に聞こえる「音楽性の違い」は大きい存在だ。
むしろ、バンドの音楽性が一致する瞬間は、ほんの少し。
音楽とは瞬間の芸術で、同じく瞬間を切り取る写真と親和性が高い。
その4人の思惑が一致した奇跡の1枚が『風街ろまん』である。

と言うわけで、稲荷山公園にやってきた。

筆者が到着したのは、11時。
キャンプ動画を見るのが好きで、その影響でキャンプ道具をそろえている。
最も敷居が低い日帰りキャンプのチェアリングの道具類を担いで訪ねてみた。


(細野晴臣のソロアルバムHOSONO HOUSEのジャケット写真からロゴを除く イラストby龍女)

ファーストソロアルバム『HOSONO HOUSE』を制作したのが、勤務する軍人用の平屋建ての木造住宅を譲り受けた中古物件であるそうだ。
熱狂的なファンであるならば、詳しい住所まで探るところだろうが、筆者は
「細野晴臣が住んでいた場所の空気感が知りたい」
だけの関心なので、その名残があるとこの近所へ移動することにした。
旧米軍ジョンソン基地は、狭山市だけではなく隣の入間市にもまたがっている。
細野ハウスの面影は、平成になって一部商業施設になった、アメリカ風古民家があるジョンソンタウンでうかがい知れることが出来る。
すぐにジョンソンタウンに近い方の、彩の森入間公園に移動した。
そこの芝生広場で暇を潰してみた。

ノートPCを開いて、『風街ろまん』全曲をかけながら、過ごしてみた。

3曲目の細野のヴォーカルでは最初の曲『風をあつめて』は、おそらく松本隆は出身地である港区の青山あたりの勾配が激しく、海に近い場所を走る、今は廃線になってしまった路面電車の思い出をイメージした光景を詞にしたのだろう。
ところが、この入間市の芝生公園で聴いても、この歌はしっくりとくる。

特に14時を過ぎて、秋の夕方に向かって寒くなっていくときに森の間に風が吹くとその寒さに体が凍えてくるが、風の集まりと、晴れた空がみえて心地が良い。

ジョンソンタウンは17時で閉まってしまう店が多いので、16時にアウトドア用の椅子を片付けてから少しだけ店の外観を見て回ることにした。
平屋建ての、おそらく元々は比較的安価で提供されたであろうアメリカ式の民家。
どれも白いペンキで木造の壁面は塗られていて、統一感がある。

後日、見開きジャケットの左の4人の集合写真をじっくり観察してみた。
(筆者の専用アカウントで、タワーレコード6月22日のツイートをリツイート)
一番左の松本隆は、民家のバルコニーにある横に倒したドラム缶に右手を回して縁にもたれている。
これはおそらく、ドラム缶を再利用した、BBQのコンロではないかと思う。
平屋建てでも、ガレージが充実していて、ある民家ではDIYの道具がみえたりしたことを思い出した。

これらをヒントに細野晴臣の音楽性を考察してみよう。

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