星野源の音楽の師匠、細野晴臣が在籍したはっぴいえんど『風街ろまん』は2021年11月20日で発売50周年。見開きジャケット左の撮影場所付近へ行って、今では当たり前の〇〇〇〇の理由が分かった

2021/11/19 22:00 龍女 龍女

②細野晴臣の音楽性ってどういう内容?


(2016年横浜・中華街でのライブ前後のツーショット細野晴臣と星野源 イラストby龍女)

現在、特別展『細野観光』で巡回中だが、キーワードはズバリ、観光である。
はっぴいえんど時代に作詞作曲した曲に『風来坊』というのがある。
松本隆の詞とは違って、言葉遊びに徹した意味のない歌詞である。
印象だけで言うと、旅情を誘われる。
競馬ファンや馬産地のためのケーブルテレビ局グリーンチャンネルで一番再放送回数の多い番組『競馬ワンダラー』シリーズの挿入歌に使用されている。

細野晴臣は、最終学歴が立教大学社会学部観光学科である。
現在では社会学部から独立して観光学部となっているそうだ。
細野ハウスでどうやってアルバムを制作したのか?
今や主流になりつつある、自宅での録音を1972年頃に既にしていたことは驚くべき事である。

細野晴臣はバンドに必要な楽器の殆どを演奏できる。
はっぴいえんどのメンバーの中で最も実家が裕福ではないだろうか?
こうした楽器をそろえられるだけの経済力は地力で稼ぐだけでは不可能だ。

その証拠といってはなんだが、細野晴臣の祖父の細野正文(1870~1939)はあの豪華客船タイタニック号の日本人唯一の乗客である。
鉄道官僚である。
1912年、鉄道院在外研究員としてサンクトペテルブルク留学を終え、イギリスから日本への帰路で利用して沈没事故に巻き込まれた。

このタイタニック号事件を物語に取り込んだ有名な日本の文学作品がある。
宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』だ。
犠牲者が幽霊となって登場する。
1985年にアニメ映画になった『銀河鉄道の夜』の音楽を担当することになったときは、運命的なモノと捉えたそうだ。
細野家は新潟県の豪農であった。


(朝日新聞デジタルマガジン2017年2月10日付の記事より イラストby龍女)

自宅録音と旅は対照的な行動にみえるが、自宅で仕事を続けて煮詰まってくると旅に出たくなってくる。
自然な心のおもむきである。
こうした心象風景を音楽に乗せたのが、細野晴臣の音楽である。
日本のテクノユニットの開拓者YMOを結成するが、イエローマジックオーケストラの中のイエローマジックの初出は細野の4枚目のソロアルバム『はらいそ(ハリー細野とイエロー・マジック・バンド名義)』とほぼ同時である。
日本人が主にアメリカの音楽から影響を受けて日本独自の音楽を生み出すにはどうしたら良いか?
意識的にコンセプトを提示したのが、細野晴臣の仕事である。

また、立教高校・大学時代に同級生に『三丁目の夕日』の原作者で有名な西岸良平がいた。
漫画家を志したこともあったらしいが、彼の存在で音楽へ向かったそうだ。
諦めたとはいえ、細野には善し悪しを判断できる素養がある。
自ら美術をやらなくても多少かじったモノならば、どれが良いかどうかを判断する基準はハッキリと養われる。

さてそういった細野晴臣が星野源へどういう影響を及ぼしたのだろう?
こちらも星野源のアルバムジャケットと細野に影響を受けた音楽性に注目して探ってみよう。

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