『科捜研の女 劇場版』榊マリコの相棒、土門薫を演じる内藤剛志は、〇〇〇〇〇の帝王!?

2021/9/8 22:00龍女龍女

①売れっ子になるまで
内藤剛志は、大阪生まれである。しかも大阪市内、中央区である。
高校まで、大阪にいた。
両親がNHKの技術職と人形制作をしている創造力豊かな家庭環境だった為、ピアノや児童劇団で習いごとをしていた。
本人は当初ジャズミュージシャンを目指すために上京したが、その道は諦めて、日本大学芸術学部映画学科に入ったのが幸運だった。
同級生に長崎俊一(1956年6月18日生れ)という映画監督志望の男がいたからだ。
長崎俊一と組んで自主映画に数多く出演した。
同じ頃に早稲田大学社会学部でシネマ研究会に所属していたのが室井滋(1958年10月22日生れ)だ。
長崎俊一の監督作で1982年の8mmフィルムで撮影された自主映画『闇打つ心臓』で、内藤剛志と共演している。
室井滋は早稲田在学時、後に有名になる映画監督(長崎俊一の他には、大森一樹、石井聰亙、阪本順治、松岡錠司)の自主映画時代の作品に数多く出ていた。
その為に自主映画の女王と呼ばれていた。
室井滋がトーク番組のゲストに出た時に若い頃の活躍として、自主映画の1シーンが必ず引用される。
それにはもれなく共演者の内藤剛志が映っている。

内藤剛志のメジャー資本の映画デビュー作品は、


(映画『ヒポクラテスたち』から引用 イラストby龍女)

自主映画時代の仲間でもあった大森一樹(1952年3月3日生れ)が監督した。
『ヒポクラテスたち』(1980年)である。
ヒポクラテスとは医学の父と呼ばれる古代ギリシャの医者である。
大学病院を舞台に医者になろうとする学生の青春群像劇を描いた内容である。
大森一樹は京都府立医科大学を卒業しているので、学生時代の体験に基づいて脚本も兼ねている。
主役の医大生は古尾谷雅人(1957~2003)が演じた。
この共演を機に親友になったので、2003年に古尾谷雅人が自殺したときに、コメントを残したことが筆者の印象に残っている。

内藤剛志は小さい役ながら大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』(1983年)にも出ている。
長崎俊一の監督作でメジャーどころでは男闘呼組が主演した『ロックよ、静かに流れよ』(1988年)にも出演している。

主に80年代の内藤剛志は、TVドラマでは刑事ドラマや二時間ドラマの犯人役が多かった。

ブレイクしたきっかけは沢口靖子主演の『ホテルウーマン』(1991年10月~12月関西テレビ)が大きい。
更に、DVをする父親を演じた『家なき子』(1994年4月~7月日本テレビ)、続編の『家なき子2』(1995年4月~7月)が高視聴率で大ヒットした。
連続ドラマを連続出演するきっかけは、中居正広主演の『花いちもんめ』(1995年1月~3月テレビ朝日)からである。
さて次は、刑事物が多いことと2002年以降に主演作のドラマが多くなる頃を取り上げてみよう。

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