8月22日は『寺内貫太郎一家』の脚本で知られる向田邦子が飛行機事故で亡くなってから40年目。彼女の人生を振り返ってみた

2021/8/22 09:00 龍女 龍女

③ライバルとされた人
70年代の向田邦子は倉本聰・山田太一と共に「シナリオライター御三家」と呼ばれていた。


(新聞記事から引用 イラストby龍女) 

倉本聰は『前略おふくろ様』(1975~1976)が70年代の代表作で、80年代になると『北の国から』で不動の地位を築いた。
北の国から最終作『北の国から 2002遺言』が第21回の向田邦子賞を受賞している。
この両作品の特徴は、主人公が独特の語り口でナレーションしながら、ドラマを見せていく。
語尾まで細部の台詞にこだわっているので、俳優が勝手に台詞を直すことを許さない。


(向田邦子賞のHPから引用 イラストby龍女)

山田太一は70年代の代表作は『男たちの旅路』(1976年NHK)と『岸辺のアルバム』(1977年6月~9月TBS)である。
80年代になると、『ふぞろいの林檎たち』がある。
独特の台詞のやりとりがある。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)を主人公にした『日本の面影』で、第2回向田邦子賞を受賞している。

ウッチャンナンチャンの初期のショートコント「レンタルビデオショップシリーズ」で、倉本聰や山田太一のドラマのパロディーをしているが、向田邦子のパロディーは無い。
向田邦子の特長はト書き(登場人物の行動や舞台背景の説明を書く箇所)や洗練された台詞にあるので、世界観を模倣することは出来るが台詞などで模倣できるモノでは無い。

筆者は阿修羅のごとく―向田邦子シナリオ集〈2〉 (岩波現代文庫)の冒頭のシーンを書いたト書きがこれまで読んだシナリオ集で最も美しいと思った箇所である。
1979年にNHKで放送された連続ドラマ『阿修羅のごとく』で主人公の4姉妹の3女を演じた、いしだあゆみが語ったいたことがある。
台詞は覚えなかった。読んでいてすっと台詞が入ってきたと。
自然と台詞を覚えられたという意味である。

脚本は細部と台詞が過不足無く書かれていて、台詞以外の言下に伝わってくるモノが豊富で優れている。
ホームドラマと言ってもどこか暗く不穏なものがありながら、ついつい惹かれてみてしまう。
向田邦子の世界は今も私たちのそばに存在する。
何気ない日常と人間の持つ業の激しさが、共存している。
向田邦子は作品を通して今も生きている。


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