8月22日は『寺内貫太郎一家』の脚本で知られる向田邦子が飛行機事故で亡くなってから40年目。彼女の人生を振り返ってみた

2021/8/22 09:00 龍女 龍女

②一緒に作った仲間たち


(著書の近影から引用 イラストby龍女)

TBSで数々の名作ドラマを作っているが、その中の代表的な演出家が久世光彦(1935~2006)である。


(寺内貫太郎を演じる小林亜星 イラストby龍女)

70年代を代表するホームドラマ『寺内貫太郎一家』(1974年1月~10月) だ。
主人公でタイトルロールである寺内貫太郎(陸軍大将と首相になった寺内正毅と海軍大将で首相になった鈴木貫太郎を合わせた命名)を久世光彦は本来俳優で無く作曲家の小林亜星(1932~2021)に決めていた。
なかなか向田邦子が承知しなかった。
そこで久世は、当時長髪だった小林亜星の髪型を坊主刈りして衣装を着せて、向田邦子の前に見せて納得させたという。


(寺内貫太郎一家の1シーンから引用 イラストby龍女)

寺内貫太郎の母であるきん(樹木希林)が自分の部屋で
「ジュリー~~」と叫んでもだえるシーンも印象的だった。
筆者が最も好きなシーンは一家の主である寺内貫太郎と長男の周平(西城秀樹)が居間で喧嘩が始まると、一家の女性陣がそそくさと長机を片付ける手際の良さである。
台詞には表現されないが
「ああまた始まった」
と言う諦念が透けて見えて何とも可笑しい。


(コラット種の猫マミオを抱いている写真から引用 イラストby龍女)

このイラストは、向田邦子が住んでいた青山のアパートで撮影されたモノを参考にしている。
実家にいた頃から、向田邦子は猫を飼っていて、複数飼っていたが、最も有名なのがマミオである。
その部屋に足繁く通っていた友人の一人が


黒柳徹子であった。
ドラマの常連で向田邦子の親友の一人でもあった加藤治子(1922~2015)を通じて知りあった。
加藤治子は、『七人の孫』『寺内貫太郎一家』で登場してくる家族の母親役を演じた。


(昭和55年11月に出演した徹子の部屋から引用 イラストby龍女)

40代半ばに乳がんを発症した。
テレビドラマの脚本を休養したのをきっかけに、右手が動きづらくなってリハビリがてらエッセイの連載から小説の執筆を手がけるようになる 。
最初のエッセイ父の詫び状 (文春文庫 む 1-1)は1978年に出版された。
思い出トランプ(新潮文庫)収録の『花の名前』『かわうそ』『犬小屋』で第83回直木賞を受賞した直後に徹子の部屋に出演している。
この9ヶ月後の1981年8月22日台湾での飛行機事故で急死した。

小説家としてもこれからと言うときに亡くなった為に非常に惜しまれた。
代表作では無いが、1977年に松本清張『駅路』を脚色して手がけた。
最後のテレビドラマでは井原西鶴をモチーフにした現代劇、企画されていたがその死で実現されなかったモノに夏目漱石の『虞美人草』があった。
もし長生きしていたら、オリジナルのホームドラマに加え、小説の脚色も数多く書いていただろう。
特に筆者は、松本清張原作の脚色も、影響を受けた橋本忍の代表作『砂の器』とは違うアプローチで観てみたかった気がする。
また松本清張の小説には不倫も数多く描かれるので、面白くなった可能性はある。

1983年には、オリジナルの脚本のテレビドラマに贈られる向田邦子賞が、雑誌TVガイドを発行する出版社によって設立された。
次は、同時期に活躍し、後に向田邦子賞を受賞したライバルとされた脚本家と比較しながら、向田邦子の作風についても触れていこう。

    次へ

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4