僕のしょうもない人生を紹介します
2017-2018
メンタルが弱すぎて一向に自殺できないまま、大学受験の年になってしまった。勉強はもう手につかなかったので、美大志望だと言ってお絵描き教室に行き始めました。
絵を描くのは脳によくて、浪人生とは友達になれたし、鬱もだいぶ治りました。水彩をしたり、
水彩()をしたり、
立体を作ったり、
立体()を作ったり。
平日は暇なので家具デザインをコンペに出したりしてました。
ランプシェードがモビールの構造だったら形も光もいろいろ演出できていいな〜てやつとか、
前後じゃなくてコマみたいにごろんと揺れるロッキングチェアがあったらいいな〜てやつとか。箸にも棒にも掛からなかったけど。
あと壁に紙の触手をいっぱい貼って、
挟まって気持ちいな〜みたいな。遊び。
ちなみに、これが美大(建築科)入試の課題。
1日目は、文章と図で与えられた立体を想像で描くやつ。B3の画用紙に鉛筆で2時間ぐらい。背景を黒く塗り潰してたのは僕だけです。
2日目はもっと自由で、お題に沿った空間を考えて、7時間かけて外観と内観と文章で表現するやつ。
僕の年は「一辺25mの立方体を、個性の違う2人が居場所を求めて掘った結果を構想しなさい」みたいな問題で、
僕は陽キャが掘ったやつに隠キャが掘ったのがぶち当たって劇的な邂逅をする話をしました。提出物の画用紙をカッターで切り貼りしてるのは僕だけです。
というわけで東京藝術大学建築科に首席合格しました。中央左の、合格記念品の紙袋をその場で引き裂いてマフラーにしてるのが僕です。
正直、藝大建築科入試は日本一面白い大学入試なんですけど、マイナーで未開拓なので僕が一年研究しただけで新しいこと14個ぐらいできちゃってレベルが低いので、入学後友人と対策メディア「藝大入試論考」を立ち上げました。
門外不出だった合格作品を全公開したり、デッサン動画を上げたり、オンラインで模試を開催したりと、情報格差の是正に奔走し、初年度フォロワーから6人受かるという事件を残しました(建築科の定員は15人)。
そういえば高校生のときに精神科で受けた知能検査でMENSA(IQ上位2%の社交クラブ)に入っていて、このころからイベントを主催したりして歳上の人たちによく遊んでもらってました。狭く均質な学校社会に閉口している人には非常におすすめです。
ところで自分の大学生活のほうは初手で終わっていて、一学期最初の課題「大学付近の好きな空間に何か影響を及ぼし、それを記録しなさい」に対して「最終発表日の朝に大学の正門を封鎖する」という答えを返したら、評価不能で進級不可が決定しました。
4月、新歓より前のことでした。(ちなみにその課題は翌年から無くなりました)
講義もどれも退屈で二回以上足が向かず、早々に大学に飽きてしまったので、製図室の自分の机が荷物置きにされないように蚊帳を張ったりとか、
それが撤去されたので100リットルの水槽を置いて魚を飼ったりしてました。
深夜には大学前の道路にチョークで落書きしたりとか、
広場の地面に規則的に配されている暗色のタイルに
同じ大きさのビニールを貼ってって
全部赤くしたりとかしてました。こういうことを全部無許可でやっていたので即時撤去されて(当然)怒られるわけですが、藝大は自由だと聞いて来た当時はブチ切れていて、
学祭の日に体制に抗議するビラを撒いたりとか、
“東京藝術大学” という表札の “藝術” に被せて東大の看板を掛けて東京大学にしたりとかしてました。
もろもろ合わせて大学はわずか半年で懲戒退学となり、校外で遊ぶようになります。
これはツイッタートレンドの “ハグの日”(8月9日)に合わせて、ハグの相手が居ない有象無象が公園の木々に顕現したやつ。
これは上野動物園の塀が汚れていたのでちょっと掃除したやつ。でもまあ結局、自分が公の場で何をやってもすぐ消されるのは変わらなかったので、失意とともにまた引きこもり始めます。
ちなみに1年住んだ部屋はこんな感じになってて、最終的には鍵のないフリースペースにして来客に落描きさせてました。