【東西ドイツ統一30年】多くの芸術家が訪れた「英雄の街」
こんにちは、ドイツが好きな「いまトピアート部」のyamasanです。
10月3日は東西ドイツが統一して30年。
今年はドイツにとって特に記念すべき年なので、今回はドイツ統一に向けて大きな役割を果たした街、ライプツィヒを訪れたいと思います。
ライプツィヒ中央駅
ライプツィヒに着いてまずはじめに向かったのは、民主化運動発祥の地ニコライ教会。
ライプツィヒ中央駅からにぎやかなニコライ通をしばらく歩いていくと、ニコライ教会の尖塔が見えてきます。
教会の中はパステルカラーを基調とした明るい雰囲気。
このニコライ教会に集まり平和の祈りを捧げたあと、市民たちは自発的に街の中を歩き、民主化を求めたデモを初めて行ったのが1989年9月4日の月曜日。
その時の参加者はわずか1,000人でしたが、その後、毎週月曜日に行われた「月曜デモ(Montagsdemonstration)」の参加者は毎週増え続け、10月9日には7万人ものライプツィヒ市民が参加して、平和的なデモが行われました。
柱の上の方はヤシの木をイメージしていて、まるで南国にいるような気分。
ライプツィヒの「月曜デモ」は、ベルリン、ドレスデンはじめ旧東ドイツのほかの都市にも広がり、その後の東西ドイツ統一へとつながったので、のちにライプツィヒは「英雄の街」と呼ばれるようになったのです。
中世から商業の街として栄えたライプツィヒには多くの芸術家たちが訪れました。
中でも有名な芸術家は大音楽家ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)。
前回のコラムでは、バッハ生誕の地アイゼナハを紹介しました。
【居心地良すぎ!】あの偉大な音楽家の生まれた街に行ってきた。
アイゼナハで生まれ、10歳までに相次いで両親を亡くし、その後はドイツ各地を転々としたバッハは、1723年、ライプツィヒの聖トーマス教会に付属するトーマス学校の聖歌隊指揮者兼音楽監督に任命されてこの地に移り、亡くなるまでの27年間をライプツィヒで過ごしました。
ライプツィヒはバッハにとって最後の安住の地だったのです。
聖トーマス教会
教会の中に入って聴こえてきたのは、荘厳な響きのパイプオルガンの音色。夜のコンサートに向けてオルガン奏者が練習をしていたのです。
午後の陽ざしに揺れるステンドグラスを見ながら、心地よい調べにしばし耳を傾けていました。
1750年に亡くなったバッハは、当初、聖ヨハネ教会に埋葬されましたが、教会が第二次世界大戦の空襲で被害を受けたので、今では聖トーマス教会の内陣で永眠しています。
聖トーマス教会の前に立つバッハの銅像。
1409年に創設された大学があるライプツィヒは多くの学生が集う学生の街。
あの文豪ゲーテ(1749-1832)も若かりしころライプツィヒ大学に留学しました。
ゲーテの大作『ファウスト』で、学生たちが悪魔の魔法にかけられた場面が出てきますが、そのモデルとなったのが、ゲーテが足繁く通っていた「アウエルバッハス・ケラー」。
彫像や彫刻で飾られたアーケード街「メードラー・パサージュ」の入口。「アウエルバッハス・ケラー」は、このおしゃれなアーケード街の中にあります。
店の前の通りに建てられているのは、悪魔メフィストーフェレスに魔法をかけられて慌てている学生たちの像。
(ゲーテ『ファウスト(第一部)』(新潮文庫 1967年)P138-155「ライプツィヒのアウエルバハの酒場」)
目の前で写真を撮っていたら、足早に歩いてきた若者が立ち止まり、像の学生の靴先に手を置き、目を閉じてお祈りをすると、さっと立ち去っていきました。
きっと彼は大学生で、どんな誘惑にも負けずに勉学に専念できるようにと祈ったのでしょう。
多くの大学生が靴に手をあてているせいか、像の学生の靴先だけがピカピカに光っていました。
通りの向かい側にはファウスト(右)とメフィストーフェレス(左)の銅像。
店の入口の階段を降りると左右両側に入口があって、右は昔ながらの「アウエルバッハス・ケラー」ですが、コース料理中心で値段が少し高めだったので、アラカルトで注文できるリーズナブルな値段の左の方のレストランに入りました。。
こちらは20世紀に入って新らしく作られた店ですが、中は古風な雰囲気。店の名前もれっきとした「アウエルバッハス・ケラー」
この日は野菜中心の料理が食べたかったので、注文したのは「トマトとズッキーニのスフレ ほうれん草つき」。
野菜の下にはきしめん状のパスタが入っていて、モッツァレラチーズがからめてあるので、ラザニアに近い感じ。チーズの適度な塩味がビールにピッタリ。
ほろ酔い加減で、すっかり大学生ゲーテの気分になって店をあとにしました。
ゲーテのコラムは以前にも書いていますので、ぜひこちらもご覧ください。
【自宅で楽しむ海外の街角】あの文豪が愛した街に行ってみませんか。
ライプツィヒはもう一度訪れたいドイツの街の一つ。コロナ禍が収束したら行きたい街の候補が増えすぎて、どこから行こうか迷ってしまいます。
10月3日は東西ドイツが統一して30年。
今年はドイツにとって特に記念すべき年なので、今回はドイツ統一に向けて大きな役割を果たした街、ライプツィヒを訪れたいと思います。
ライプツィヒ中央駅
ライプツィヒ-英雄の街(Heldenstadt)
ライプツィヒに着いてまずはじめに向かったのは、民主化運動発祥の地ニコライ教会。
ライプツィヒ中央駅からにぎやかなニコライ通をしばらく歩いていくと、ニコライ教会の尖塔が見えてきます。
教会の中はパステルカラーを基調とした明るい雰囲気。
このニコライ教会に集まり平和の祈りを捧げたあと、市民たちは自発的に街の中を歩き、民主化を求めたデモを初めて行ったのが1989年9月4日の月曜日。
その時の参加者はわずか1,000人でしたが、その後、毎週月曜日に行われた「月曜デモ(Montagsdemonstration)」の参加者は毎週増え続け、10月9日には7万人ものライプツィヒ市民が参加して、平和的なデモが行われました。
柱の上の方はヤシの木をイメージしていて、まるで南国にいるような気分。
ライプツィヒの「月曜デモ」は、ベルリン、ドレスデンはじめ旧東ドイツのほかの都市にも広がり、その後の東西ドイツ統一へとつながったので、のちにライプツィヒは「英雄の街」と呼ばれるようになったのです。
聖トーマス教会~バッハ最後の安住の地
中世から商業の街として栄えたライプツィヒには多くの芸術家たちが訪れました。
中でも有名な芸術家は大音楽家ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)。
前回のコラムでは、バッハ生誕の地アイゼナハを紹介しました。
【居心地良すぎ!】あの偉大な音楽家の生まれた街に行ってきた。
アイゼナハで生まれ、10歳までに相次いで両親を亡くし、その後はドイツ各地を転々としたバッハは、1723年、ライプツィヒの聖トーマス教会に付属するトーマス学校の聖歌隊指揮者兼音楽監督に任命されてこの地に移り、亡くなるまでの27年間をライプツィヒで過ごしました。
ライプツィヒはバッハにとって最後の安住の地だったのです。
聖トーマス教会
教会の中に入って聴こえてきたのは、荘厳な響きのパイプオルガンの音色。夜のコンサートに向けてオルガン奏者が練習をしていたのです。
午後の陽ざしに揺れるステンドグラスを見ながら、心地よい調べにしばし耳を傾けていました。
1750年に亡くなったバッハは、当初、聖ヨハネ教会に埋葬されましたが、教会が第二次世界大戦の空襲で被害を受けたので、今では聖トーマス教会の内陣で永眠しています。
聖トーマス教会の前に立つバッハの銅像。
アウエルバッハス・ケラー~ゲーテが学生時代に通った酒場
1409年に創設された大学があるライプツィヒは多くの学生が集う学生の街。
あの文豪ゲーテ(1749-1832)も若かりしころライプツィヒ大学に留学しました。
ゲーテの大作『ファウスト』で、学生たちが悪魔の魔法にかけられた場面が出てきますが、そのモデルとなったのが、ゲーテが足繁く通っていた「アウエルバッハス・ケラー」。
彫像や彫刻で飾られたアーケード街「メードラー・パサージュ」の入口。「アウエルバッハス・ケラー」は、このおしゃれなアーケード街の中にあります。
店の前の通りに建てられているのは、悪魔メフィストーフェレスに魔法をかけられて慌てている学生たちの像。
(ゲーテ『ファウスト(第一部)』(新潮文庫 1967年)P138-155「ライプツィヒのアウエルバハの酒場」)
目の前で写真を撮っていたら、足早に歩いてきた若者が立ち止まり、像の学生の靴先に手を置き、目を閉じてお祈りをすると、さっと立ち去っていきました。
きっと彼は大学生で、どんな誘惑にも負けずに勉学に専念できるようにと祈ったのでしょう。
多くの大学生が靴に手をあてているせいか、像の学生の靴先だけがピカピカに光っていました。
通りの向かい側にはファウスト(右)とメフィストーフェレス(左)の銅像。
店の入口の階段を降りると左右両側に入口があって、右は昔ながらの「アウエルバッハス・ケラー」ですが、コース料理中心で値段が少し高めだったので、アラカルトで注文できるリーズナブルな値段の左の方のレストランに入りました。。
こちらは20世紀に入って新らしく作られた店ですが、中は古風な雰囲気。店の名前もれっきとした「アウエルバッハス・ケラー」
この日は野菜中心の料理が食べたかったので、注文したのは「トマトとズッキーニのスフレ ほうれん草つき」。
野菜の下にはきしめん状のパスタが入っていて、モッツァレラチーズがからめてあるので、ラザニアに近い感じ。チーズの適度な塩味がビールにピッタリ。
ほろ酔い加減で、すっかり大学生ゲーテの気分になって店をあとにしました。
ゲーテのコラムは以前にも書いていますので、ぜひこちらもご覧ください。
【自宅で楽しむ海外の街角】あの文豪が愛した街に行ってみませんか。
ライプツィヒはもう一度訪れたいドイツの街の一つ。コロナ禍が収束したら行きたい街の候補が増えすぎて、どこから行こうか迷ってしまいます。