【居心地良すぎ!】あの偉大な音楽家の生まれた街に行ってきた。
こんにちは、ドイツが好きな「いまトピアート部」のyamasanです。
今年6月のコラムでは、宗教改革者ルター(1483-1546)が籠ったことで知られるドイツ中部の街アイゼナハのワルトブルク城をご紹介しましたが、今回はアイゼナハが生んだ「ドイツ・バロックの大作曲家」ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)にちなんだ「バッハ・ハウス」を紹介したいと思います。
ワルトブルク城のコラムはこちらです。
ヨーロッパの古城にStayhomeした人がいた!
アイゼナハ~バッハが生まれた街
ワルトブルク城は郊外の山の上にありますが、「バッハ・ハウス」はアイゼナハ中央駅から街の中を散策しながら歩いても15分くらいの市街地の中にあります。
中央駅を出て市の中心に向かって歩いていくと、古風な門が見えてきます。
これはアイゼナハ市街への入口にあるロマネスク様式のニコライ門。歴史のある門ですが、今でも自動車や人がこの門の下を通っています。
写真は門をくぐった先から撮ったもので、かつてアイゼナハ市の周囲にはこのような門が5つありましたが、現在残っているのはこのニコライ門だけ。
左の塔は、ニコライ教会の尖塔です。
さらに歩いていくと、市庁舎の前のマルクト広場に出てきます。
中央の塔のある建物が市庁舎。
ルターがラテン語学校の生徒時代に住んでいた「ルターの家」の前を通り過ぎると、住宅街の中に入ってきます。
道に迷ったのかな、と思われるかもしれませんが、ご心配なく。
「バッハの生家」という日本語の標識があるので、それに沿って進むと「バッハ・ハウス」が見えてきます。
正面が15世紀中頃に建てられた本館。入口は、バッハの銅像の後ろの新館にあります。
本館内にはバッハの時代の調度品や楽器がまるで当時のままのように展示されています。展示ケースに入っているのはバッハに関連する資料などです。
台所には鍋ややかん、それに食材まで!(もちろんサンプルですが)
展示室内には第二次世界大戦の空襲で被害を受けた時の写真も展示されていました。
建物はこれだけ徹底的に破壊されましたが、調度品や楽器は空襲に備えて郊外に疎開されていたので無事でした。私たちがこうやって貴重な文化財を見られるのも、当時の人たちの努力のおかげ。心からありがたく思います。
そして建物はご覧のとおり見事に修復されました。こちらは中庭から見た本館です。
バッハの音楽が体感できる!
展示室に展示されている楽器は飾り物ではありません。今でも演奏することができる現役の楽器なのです。
当日は、ちょうど午後2時半から40分ほど、講師の方の講義と楽器の実演を聴くことができました。この日は平日ということもあって、地元の高校生たちも20人ほど参加していました。
バッハの曲の実演を聴いた後はオーディオルームで再びバッハ。
この入口から入ると、中は広いオーディオルーム。ここでバッハの音楽を大音響で聴くことができますし、この生徒のように一人で好きな曲をヘッドフォンで聴くこともできます。
そしてこちらは天井から紐で吊り下げられたカプセルのような椅子。
穏やかな日の光が差し込む昼下がり。ブランコのように揺られながらバッハの心地よいオルガン曲をヘッドフォンで聴くのはまさに至福の時。コロナ禍で今では思うように海外には行かれませんが、もう一度この椅子に座って、日が暮れるまでバッハを聴いていたいと夢見ています。
さて、この「バッハ・ハウス」ですが、本当にバッハの生家だったのでしょうか。
答えは「Nein(いいえ)」です。
バッハ・ハウスの公式サイト(https://bachhaus-eisenach.de/de/home)によると、1907年に「バッハ・ハウス」がオープンした時はこの場所がバッハの生家と考えられていましたが、その後、バッハの生家はここから100mほど離れた場所にあったことがわかり、その建物は18世紀には取り壊されたとのこと。
それでもバッハ・ハウスの建物は、バッハの親族が住んでいたことが分かっているので、バッハとは全く関係なくはないようです。
「バッハの生家」ではありませんが、それでもバッハの時代の雰囲気やバッハの音楽が楽しめる、ドイツでも最も大きい「バッハ博物館」の一つなので、中部ドイツに行かれた時には、ワルトブルク城とあわせてぜひ訪れていただきたい観光名所です。
今年6月のコラムでは、宗教改革者ルター(1483-1546)が籠ったことで知られるドイツ中部の街アイゼナハのワルトブルク城をご紹介しましたが、今回はアイゼナハが生んだ「ドイツ・バロックの大作曲家」ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)にちなんだ「バッハ・ハウス」を紹介したいと思います。
ワルトブルク城のコラムはこちらです。
ヨーロッパの古城にStayhomeした人がいた!
アイゼナハ~バッハが生まれた街
ワルトブルク城は郊外の山の上にありますが、「バッハ・ハウス」はアイゼナハ中央駅から街の中を散策しながら歩いても15分くらいの市街地の中にあります。
中央駅を出て市の中心に向かって歩いていくと、古風な門が見えてきます。
これはアイゼナハ市街への入口にあるロマネスク様式のニコライ門。歴史のある門ですが、今でも自動車や人がこの門の下を通っています。
写真は門をくぐった先から撮ったもので、かつてアイゼナハ市の周囲にはこのような門が5つありましたが、現在残っているのはこのニコライ門だけ。
左の塔は、ニコライ教会の尖塔です。
さらに歩いていくと、市庁舎の前のマルクト広場に出てきます。
中央の塔のある建物が市庁舎。
ルターがラテン語学校の生徒時代に住んでいた「ルターの家」の前を通り過ぎると、住宅街の中に入ってきます。
道に迷ったのかな、と思われるかもしれませんが、ご心配なく。
「バッハの生家」という日本語の標識があるので、それに沿って進むと「バッハ・ハウス」が見えてきます。
正面が15世紀中頃に建てられた本館。入口は、バッハの銅像の後ろの新館にあります。
本館内にはバッハの時代の調度品や楽器がまるで当時のままのように展示されています。展示ケースに入っているのはバッハに関連する資料などです。
台所には鍋ややかん、それに食材まで!(もちろんサンプルですが)
展示室内には第二次世界大戦の空襲で被害を受けた時の写真も展示されていました。
建物はこれだけ徹底的に破壊されましたが、調度品や楽器は空襲に備えて郊外に疎開されていたので無事でした。私たちがこうやって貴重な文化財を見られるのも、当時の人たちの努力のおかげ。心からありがたく思います。
そして建物はご覧のとおり見事に修復されました。こちらは中庭から見た本館です。
バッハの音楽が体感できる!
展示室に展示されている楽器は飾り物ではありません。今でも演奏することができる現役の楽器なのです。
当日は、ちょうど午後2時半から40分ほど、講師の方の講義と楽器の実演を聴くことができました。この日は平日ということもあって、地元の高校生たちも20人ほど参加していました。
バッハの曲の実演を聴いた後はオーディオルームで再びバッハ。
この入口から入ると、中は広いオーディオルーム。ここでバッハの音楽を大音響で聴くことができますし、この生徒のように一人で好きな曲をヘッドフォンで聴くこともできます。
そしてこちらは天井から紐で吊り下げられたカプセルのような椅子。
穏やかな日の光が差し込む昼下がり。ブランコのように揺られながらバッハの心地よいオルガン曲をヘッドフォンで聴くのはまさに至福の時。コロナ禍で今では思うように海外には行かれませんが、もう一度この椅子に座って、日が暮れるまでバッハを聴いていたいと夢見ています。
さて、この「バッハ・ハウス」ですが、本当にバッハの生家だったのでしょうか。
答えは「Nein(いいえ)」です。
バッハ・ハウスの公式サイト(https://bachhaus-eisenach.de/de/home)によると、1907年に「バッハ・ハウス」がオープンした時はこの場所がバッハの生家と考えられていましたが、その後、バッハの生家はここから100mほど離れた場所にあったことがわかり、その建物は18世紀には取り壊されたとのこと。
それでもバッハ・ハウスの建物は、バッハの親族が住んでいたことが分かっているので、バッハとは全く関係なくはないようです。
「バッハの生家」ではありませんが、それでもバッハの時代の雰囲気やバッハの音楽が楽しめる、ドイツでも最も大きい「バッハ博物館」の一つなので、中部ドイツに行かれた時には、ワルトブルク城とあわせてぜひ訪れていただきたい観光名所です。