ゆるい・かわいい・たのしい だけじゃない!【日本の素朴絵】展は底力がすごい!
◆考えるな、感じろ!
本展の第1章は、素朴絵たちがストーリーを大いに引き立てた「絵巻と絵本」に迫ります。
会場には物語の筋が書かれたキャプションが備え付けられているのですが……ありがたい教えも、悲劇の物語も、それに感動する前に、ついホンワカした絵柄の方に目が行ってしまうのです。
この展覧会の特筆すべき部分は、ある意味「考えるな(とまでは言わないけれど)、感じろ!」と語りかけてくるところでしょうか。 ……というのも観ているうちに、「我々日本人には、こういった作風を見ると自然と微笑んでしまうDNAが備わっているのではないか?」と思えてくるからです。
そう、本展はそういった「なぜだか分からないけれど、つい和んでしまう」という独特な感性を満たす展覧会であり、その独特な感性が根付いていることについて、思いをめぐらせることができる展覧会なのです!
前述のとおり、こういった素朴な絵は布教活動にも用いられました。
第2章では「庶民の素朴絵」として、参詣曼荼羅や仏教版画などを紹介。折りたたんで携行できる曼荼羅は、今でいうPowerPointの役割をはたしました。多くの僧たちがこれらを携え、全国を行脚したことでしょう。
どう見てもパースや次元がおかしいけれど、懸命に伝えようとする意志はひしひしと伝わってくる……! きっと当時の民衆も、同じように熱意を感じたはずです。
また、近世になると社寺の周辺では参詣者や旅行者をターゲットに、土産物として描かれた素朴な絵が販売されるようになりました。本章ではその最たるものと言える「大津絵」も紹介されています。一般庶民がアートを気軽に購入していたと考えると、なかなかすごいことですよね。
続く第3章では「素朴な異界」と題して地獄絵や妖怪画などを展覧。恐ろしいはずの地獄絵も、シュールな魅力が先に立ちます。
また、江戸時代のUFO事件として今なお謎めく《漂流記集》や、絵として見ると笑えるけれど、実際に遭遇したら腰を抜かすほど奇抜なフォルムの妖怪(?)たちも展示されており、オカルトファンにとってもたまらないラインアップとなっています。
さて、このあたりで「全く作者名が出てこないけれど、無名作家の絵しか出てないの?」と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
本展は表舞台で活躍した絵師たちによるファインアートではなく、あくまで素朴な絵を扱っています。よって作者はほとんどが未詳。
しかし、知識人や有名絵師に「素朴」のDNAが無かったわけではありません。
第4章「知識人の素朴絵」では、そんな彼らによるゆるくてかわいい絵や、意識的に脱力させた絵を紹介。知識人が素朴の中に自身を投影させるという流れは、現代にも続いていますよね。
今や奇想の系譜としても知られる白隠や、へそまがりな仙厓などの禅僧をはじめ、琳派の尾形光琳に中村芳中、そして伊藤若冲、池大雅など錚々たる顔が並びます。
なかでも7月30日に記念切手が発売される北尾政美(鍬形惠斎)の《鳥獣略画式》は要チェック! ちょうど切手になる絵柄が展示されており、テンションが上がりますよ!
ここまで平面の作品を紹介してきましたが、「素朴」のスピリットは立体作品も登場します。
第5章では、「立体に見る素朴」を紹介。原初において素朴な表現は当然と言えば当然ですが、どうですかこの埴輪。この顔! 小脇に抱えているのがイノシシなのも良いですね。
絵画と同様、仏像など立体作品の造形が洗練されていくのに並行して、一方ではこういった素朴な神像も作られていきました。
そして江戸時代には、生涯で12万体という夥しい数の造物を発願したといわれる円空が登場します。
衆生救済のために量産しなければならなかったということゆえのシンプルな造形なのでしょうけれど、ミニマルなデザインが施された抽象的ともいえる仏像は、素朴を通り越して格好良さすら感じます。
本展の第1章は、素朴絵たちがストーリーを大いに引き立てた「絵巻と絵本」に迫ります。
会場には物語の筋が書かれたキャプションが備え付けられているのですが……ありがたい教えも、悲劇の物語も、それに感動する前に、ついホンワカした絵柄の方に目が行ってしまうのです。
▲《絵入本「かるかや」》※部分 室町時代(16世紀) サントリー美術館蔵 実は悲しいお話しの「かるかや」。しかしその絵柄ゆえに、荘厳なクライマックスシーンにも笑みが漏れるのを止められない……。
この展覧会の特筆すべき部分は、ある意味「考えるな(とまでは言わないけれど)、感じろ!」と語りかけてくるところでしょうか。 ……というのも観ているうちに、「我々日本人には、こういった作風を見ると自然と微笑んでしまうDNAが備わっているのではないか?」と思えてくるからです。
そう、本展はそういった「なぜだか分からないけれど、つい和んでしまう」という独特な感性を満たす展覧会であり、その独特な感性が根付いていることについて、思いをめぐらせることができる展覧会なのです!
▲《うらしま絵巻》※部分 一巻 室町時代(16世紀) 日本民藝館所蔵
前述のとおり、こういった素朴な絵は布教活動にも用いられました。
第2章では「庶民の素朴絵」として、参詣曼荼羅や仏教版画などを紹介。折りたたんで携行できる曼荼羅は、今でいうPowerPointの役割をはたしました。多くの僧たちがこれらを携え、全国を行脚したことでしょう。
どう見てもパースや次元がおかしいけれど、懸命に伝えようとする意志はひしひしと伝わってくる……! きっと当時の民衆も、同じように熱意を感じたはずです。
▲《伊勢参詣曼荼羅》二幅 江戸時代(17世紀) 三井文庫蔵
また、近世になると社寺の周辺では参詣者や旅行者をターゲットに、土産物として描かれた素朴な絵が販売されるようになりました。本章ではその最たるものと言える「大津絵」も紹介されています。一般庶民がアートを気軽に購入していたと考えると、なかなかすごいことですよね。
▲《大津絵「藤娘」》一幅 江戸時代(18世紀)町田市立博物館所蔵
続く第3章では「素朴な異界」と題して地獄絵や妖怪画などを展覧。恐ろしいはずの地獄絵も、シュールな魅力が先に立ちます。
また、江戸時代のUFO事件として今なお謎めく《漂流記集》や、絵として見ると笑えるけれど、実際に遭遇したら腰を抜かすほど奇抜なフォルムの妖怪(?)たちも展示されており、オカルトファンにとってもたまらないラインアップとなっています。
▲《漂流記集》万寿堂編 二冊のうち一冊 江戸時代(19世紀) 西尾市岩瀬文庫蔵 その筋の人たちには有名な江戸時代のUFO事件!
▲《神社姫》一枚 江戸時代(19世紀) 湯本豪一記念日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)蔵 神社“姫”……!? 爆笑必至の最高な絵なのですが、夜道で遭遇したら確実に失神します。
さて、このあたりで「全く作者名が出てこないけれど、無名作家の絵しか出てないの?」と思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
本展は表舞台で活躍した絵師たちによるファインアートではなく、あくまで素朴な絵を扱っています。よって作者はほとんどが未詳。
しかし、知識人や有名絵師に「素朴」のDNAが無かったわけではありません。
第4章「知識人の素朴絵」では、そんな彼らによるゆるくてかわいい絵や、意識的に脱力させた絵を紹介。知識人が素朴の中に自身を投影させるという流れは、現代にも続いていますよね。
▲左より《大黒と福禄寿の相撲図》耳鳥斎筆 一幅 江戸時代(18世紀)/《佐々木高綱の図》耳鳥斎筆 一幅 江戸時代(18世紀)/《六歌仙図》中村芳中筆(戯作者賛) 一幅 江戸時代(19世紀)/《千鳥図》中村芳中筆(不白賛) 一幅 江戸時代(19世紀)
今や奇想の系譜としても知られる白隠や、へそまがりな仙厓などの禅僧をはじめ、琳派の尾形光琳に中村芳中、そして伊藤若冲、池大雅など錚々たる顔が並びます。
なかでも7月30日に記念切手が発売される北尾政美(鍬形惠斎)の《鳥獣略画式》は要チェック! ちょうど切手になる絵柄が展示されており、テンションが上がりますよ!
▲『鳥獣略画式』北尾政美画 一冊 江戸時代・寛政9年(1797年) 大屋書房蔵
ここまで平面の作品を紹介してきましたが、「素朴」のスピリットは立体作品も登場します。
第5章では、「立体に見る素朴」を紹介。原初において素朴な表現は当然と言えば当然ですが、どうですかこの埴輪。この顔! 小脇に抱えているのがイノシシなのも良いですね。
▲《埴輪(猪を抱える猟師)》※部分 一個 古墳時代 個人蔵
絵画と同様、仏像など立体作品の造形が洗練されていくのに並行して、一方ではこういった素朴な神像も作られていきました。
▲《男神・女神坐像》※七軀展示のうち三軀 中世~近世 出雲文化伝承館蔵 こちらの神像は東京発出陳です!
そして江戸時代には、生涯で12万体という夥しい数の造物を発願したといわれる円空が登場します。
衆生救済のために量産しなければならなかったということゆえのシンプルな造形なのでしょうけれど、ミニマルなデザインが施された抽象的ともいえる仏像は、素朴を通り越して格好良さすら感じます。
▲《観音三十三応現神像》円空作 六軀 江戸時代(17世紀) 愛知・荒子観音寺蔵