【国宝の茶碗が自宅に!?】今話題の「曜変天目」をゲットしよう!

2019/3/18 21:35 yamasan yamasan

いつものようにパソコンを立ち上げ、「いまトピ」のコラムを書こうと思ったら、キーボードの前に見慣れない物体が現れてきた。

よく見ると4㎝四方の小さな桐箱風の箱。どうやらプラスチック製のようだ。



何が入っているのだろう、とフタを開けてみると、なんと国宝「曜変天目茶碗」!
口径わずか3㎝ほどの小さなものなのに、中はまるでプラネタリウムのように輝いている。まさに手のひらの中の小宇宙。



まだまだ何か出て来るぞ、と思いつつ本を読もうと思ったら、出てきたのは千利休の高弟・荒木村重が所有していた「荒木高麗」!



さらにビールを飲もうと思って出てきたのは、「本能寺の変」の前夜、突然鳴き始めて織田信長に異変を知らせたという「香炉 三足ノ蛙」!

まるで、早く「いまトピ」で紹介してくれ、と言っているようだ。



これは大変なことになった。机の上に戦国時代の茶器が大集合!



今回紹介したのは、ガチャガチャの「戦国の茶器 弐-天正名物伝-」。

ラインナップは、上の写真の手前右から千利休の師・竹野紹鴎が所有していた「紹鴎茄子」、先ほど紹介した「曜変天目(稲葉天目)」と「荒木高麗」、奥の右から「香炉 三足ノ蛙」、侘び茶の創始者・村田珠光から信長、秀吉、尾張徳川家と伝えられた「唐物茶壺 松花」、天下三肩衝の一つ「初花肩衝」。

サブタイトルにある天正年間(1573~1592)は、わずか20年間の短い期間にもかかわらず、天正元年には信長が足利義昭を追放して室町幕府が滅亡、天正10年には天下統一の半ばの信長が本能寺の変で敗死、天正18年には信長のあとを引き継いだ豊臣秀吉が天下統一を成し遂げるという激動の時代。

そういった時代に茶器は「権力の象徴」として重要な役割を果たしていました。



「曜変天目」は、世界に三碗しかなく、その三碗とも日本にあって国宝という貴重な茶碗。こちらは徳川将軍家の所有だったものが、三代将軍・家光の時代に、のちに淀藩主となる稲葉家に伝えられたことから「稲葉天目」とも言われている、静嘉堂文庫美術館所蔵のものがモデルです。

国宝「曜変天目」といえば、この春は三碗とも東京と関西で同時期に公開されるというので、大きな話題になっています。

【展覧会の日程】
3月21日~5月19日 MIHO MUSEUM(滋賀県甲賀市)
  「大徳寺龍光院 国宝 曜変天目と破草鞋」
4月13日~6月2日 静嘉堂文庫美術館(東京都世田谷区)「日本刀の華 備前刀」
4月13日~6月9日 奈良国立博物館(奈良市)
  「国宝の殿堂 藤田美術館展-曜変天目茶碗と仏教美術のきらめき-」



ちょうどゴールデンウィークにも重なるので、すでに旅行の計画を立てている方もいらっしゃるのでは。
行かれる前におススメなのが、人気アートブロガー Takさんの「いまトピ」のコラムです。
【激レア】チャンスを逃したら一生後悔!?世界に3碗しか存在しない「曜変天目」を同時公開!

私も、奈良国立博物館で開催される「藤田美術館展」の様子を同じく「いまトピ」のコラムで紹介しています。
国宝「曜変天目」だけじゃない!見どころ満載の「藤田美術館展」の全貌とは。

さて、「戦国の茶器 弐」に戻ります。
「曜変天目」だけでなくい、もう一つの注目は「荒木高麗」。



安土桃山時代の武将・荒木村重といえば、信長に背き、兵庫県伊丹にあった有岡城に籠城しましたが、家族や兵たちを置き去りにして、大切にしていた茶器を持って脱出したというとんでもない逸話が知られています。

そしてその混乱の中、かろうじて生き延びた村重の息子が、あの奇想の画家、
岩佐又兵衛なのです。


さて、「戦国の茶器」も「弐」があるということは、「壱」もあるはず。
そうです、もうガチャガチャコーナーからは姿を消していますが、こちらが「戦国の茶器」の第一弾です。


ラインナップは、上の写真の手前右から「黒楽茶碗(面影)」、「九十九茄子」、「紹鴎白天目」、「井戸茶碗 細川井戸」、後段右から正倉院蔵の香木「蘭奢待」、茶釜「平蜘蛛」。

このうち、茶釜「平蜘蛛」は現存していないので、フィギュアで持っているだけでも貴重な茶道具です。
この「平蜘蛛」には壮絶な逸話が伝わっています。

「平蜘蛛」を所有していた戦国時代の武将・松永久秀は、信長に攻められ奈良・信貴山に立てこもったとき、信長が「平蜘蛛を渡せば命だけは助けてやろう」と言ったのに対して、「信長に渡すくらいなら死んだ方がましだ!」と、平蜘蛛を叩き割って自害したというのです。


さあ、みなさんもガチャガチャコーナーで「戦国の茶器 弐」を見つけたら国宝「曜変天目」をゲットしてみましょう!