「ル・コルビュジエ 絵画から建築へ—ピュリスムの時代」5月19日まで(2/3)

2019/4/10 10:00 aya aya


高い天井と低い天井が組み合わされた2階の展示室では、ル・コルビュジエの活動の流れを4章に分けて紹介しています。





Ⅰ ピュリスムの誕生

ピュリスム(純粋主義)の運動は1918年末にパリで、シャルル=エドゥアール・ジャンヌレと画家アメデ・オザンファンが共同で開いた絵画展によって始まりました。彼らは、科学が法則に基づくのと同様に、芸術にも普遍的な規則がなくてはならないと主張。比例と幾何学によって明快な構成を作りあげるピュリスム絵画を追求しました。




彼らは1920年に雑誌『エスプリ・ヌーヴォー(新精神)』を創刊。ジャンヌレは「ル・コルビュジエ」のペンネームで建築論の連載を行いました。


Ⅱ キュビスムとの対峙

第一次大戦後のパリの美術界では、キュビスム(立体派)が第二の隆盛期を迎えていました。オザンファンとジャンヌレは当初、キュビスムを「(大戦前の)混乱した時代の混乱した芸術」と批判しましたが、数年後にはキュビスムの芸術家たちの業績を認め、ピュリスムの先駆者に位置づけるようになります。



本展では、パブロ・ピカソ、ジョルジュ・ブラックの絵画や、ジャック・リプシッツ、アンリ・ローランスの彫刻など、第一次大戦後のキュビスムを代表する作品を展示しています。




Ⅲ ピュリスムの頂点と終焉

ジャンヌレは『エスプリ・ヌーヴォー』での連載を通じて、建築家ル・コルビュジエとして知られるように。1925年にパリ国際装飾芸術博覧会のパヴィリオンとして建設された「エスプリ・ヌーヴォー館」は、ピュリスムの最大のプロジェクトであり、後にル・コルビュジエが唱えた「諸芸術の総合」の最初の試みでもありました。




Ⅳ ピュリスム以降のル・コルビュジエ

ピュリスムの時代を経てル・コルビュジエの思想は大きく発展し、絵画から建築、都市計画、インテリア・デザインまで、広い領域にわたって「近代の精神」の実現をめざして活動。1927年に「新しい建築の5つの要点」(ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由な立面)を発表し、近代建築の第一人者として国際的な名声を築きました。



本展では、同時代の優れた芸術家やデザイナーとの協働によるル・コルビュジエの広範な業績を紹介します。



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