【55年前の今日】“魔の土曜日”11月9日!恐ろしい大事故が2つ重なり…(2/3)

2018/11/9 11:52 服部淳 服部淳




・画像引用:「朝日新聞縮刷版/朝日新聞社」

まずは鉄道事故から。国鉄(現・JR)横須賀線の鶴見駅-新子安駅間で起きたことから、一般に「鶴見事故」という名で呼ばれています。写真は既出の朝刊一面に掲載されたものを抜き出していますが、列車が縦横にクロスして激突しています。手前に乗り上げているのが上り列車の1両目で、右端に見えるのが下り列車の5両目とのこと。


・画像引用:「朝日新聞縮刷版/朝日新聞社」

11月10日の夕刊には、事故を上空から捉えたものが掲載されています。写真左に飛び出しているのが、上り列車の1両目です。下り列車は重なり合っている5両目以外は、すでに引き離されているようですが、事故の凄まじさが伝わってきます。

事故の原因は、まず横須賀線の隣を走る貨物列車の後部3両が脱線したことにはじまりました。横須賀線下り列車の運転士は架線のたるみから異変を感じ減速しますが、そこに異変には気づかずに時速80キロでやってきた横須賀線上り列車が脱線した貨物列車に激突。そのはずみで、ちょうど並走するかたちになった下り列車の4両目と5両目の上に上り列車が乗りかかる大事故となったのです。


・画像引用:「朝日新聞縮刷版/朝日新聞社」

犠牲者が特に多かったのが、この乗りかかられた下り列車の4両目と5両目だったようで、車両が押し潰され、救助もままならなく、「車体の下から悲鳴」という見出しが示すような、まさに「地獄絵図」という言葉が大げさでない状況となっていたのです。

最終的には死者は161人。終戦2年後の1947年2月に起きた「八高線脱線転落事故」の死者184人に次ぐ、戦後2番目の事故となりました。国鉄はこの前年である1962年(昭和37年)5月3日にも死者160人を出す「三河島事故」を起こしており、当然ながら世論、マスコミからさんざんにバッシングされることになりました。

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