【西園寺C子の日々】新宿のど真ん中で大乱闘「浮気発覚~別れ」までのリアルな話
西園寺C子。(さいおんじしいこ)
30歳。女。独身。
なぜか"変わった人や事件"に遭遇する事が多い人生を歩んでいます。
本連載では、私を取り巻く珍事や性癖などについて書いてみることになりました。
どうぞよろしくお願いします。
初めていまトピでコラムを書くことになり、過去の珍事件や不幸な思い出にスポットを当てた。
傷が完全にふさがっていない思い出を無理やり思い出そうとしたせいで、当時の感覚が蘇って苦しんだり、忘れていた珍事件を思い出し、笑えるネタが増えたりした。
一番最近の事だからかもしれないが、一番つらかったのはやはり、4年ほど付き合った浮気性の彼氏とのエピソードである。
(詳細はこちら→浮気され…死にたい。独身女30歳「いのちの電話」に電話したら悟りを開いた件)
今回はその彼との終焉について書こうと思う。
私は音楽をやっており、彼はマネージャー的な存在で、音楽に関してずっとサポートしてくれていた人。
私生活では私の家に転がり込んだものの、浮気を繰り返し、何度も何度も私を苦しめた人。
余談ではあるが、家賃も一度も払ってもらったことがない。
結局のところ、音楽の事で「彼にお世話になっている」という事実があるため、強く言えず、ずっと耐えて生活していた。
彼と付き合ってから、最後の2年間は本当につらく、度重なる裏切りで人間不信に陥り、人の目を見て話せない程になっていた。
情緒不安定で自信が持てず、そのくせ彼には家で毎日「自信をもて」と言われていた。
自信を積み重ねられたとしても、その自信を壊すのもまた彼。
そして、彼から「笑うとしわができるから、あまり笑うな」と言われていたこともあり、どんどん笑えなくなっていた。
■友達と「浮気」…
最後の最後に彼は、私の友達と「浮気」をした。
彼女のことを友達だと、少なくとも私は思っていた。
彼女は彼がマネージャーをしていたアーティストの1人だった。
その頃は彼の携帯を見ることに何の罪悪感も持たず、 むしろハッキリとした、「えげつない証拠」を見せつけられれば、私の想いも断ち切れるのではないかと思っていた。
彼女はシンガーソングライター。当時、彼女のライブツアー中に、
「ずっと一緒にいれるから嬉しい」
「昨日は隣で寝れて嬉しかった」
「次は我慢できない」
という、彼から彼女へのメールを目にしてしまった。
これまでも散々傷ついてきたが、この時のショックはそれまでの何倍もつらかった。
見境のない彼にほとほと呆れ果て、ようやく私は「別れる」ことを決意した。
■中年男がまさかの…
わたしはすぐにすべて話してしまうたちなので、彼のメールを見たら「見た」となぜか毎回報告していた。
たぶん人のプライバシーを覗き見るという罪悪感に耐えきれなかったのだろう。
その度に彼は怒ることもなく、「それで安心するなら見てくれていい」と言い、慌てる様子はみじんもなかった。
今回は、メールを見たことと共に、
「さすがに気持ち悪い」
「別れる以外の選択肢がない」
「二人とも目の前から消えてくれ、家からもすぐ出て行ってほしい」
と伝えた。
彼は、私の友達だった彼女について、
「(彼女が)精神的に病んでるからしょうがなく」
「俺もしんどかった」
「これも仕事のうち」
と言って、最終的に彼女のせいにした。
この後に及んで、自らの立場や浮気相手を盾に責任転嫁をしたのだ。
私がずっと「好きだった男」はどうしようもなくダサくて、情けない。
そんな奴を好きだった私もイタすぎる。
カオスすぎて目をそむけたくなる現実が目の前にあった。
そしてその後、彼は「別れたくない」と嘘泣きをしだした。
私の両腕をつかみ、
「いやや〜。ずっと一緒におるって言ってたやん〜」
と泣いた。
しかし、涙は出ていなかったので、私はこれを嘘泣きだと思っている。
37歳のおじさんの嘘泣きを見たのはさすがに初めてだった。
正直キツかった。おじさんの嘘泣きはキツい。本当にキツい。不愉快。
ここまでも辛かったが、実際は、この憎いはずの彼と別れるのがもっと辛かった。
私は知らない間に、常に彼の意見を聞かないと何も決断できない、「依存しまくり女」に成り下がっていた事に気付いた。
思えば服装からメイクから、何もかも彼が好むものを選択していた。
かつては、自分がこんな風になるなんて、考えられないことだった。
でも、気付いた時にはもう遅い。
友達が「あいつが出て行くまで、うちにおいで」と言ってくれて、しばらくその子の家で寝泊まりした。
最近、彼女とこの頃のことについて話す機会があったが、彼女は私が病気かもしれないと思っていたそうで、「絶対に救い出す」という気概で接してくれていたらしい。
もし彼女がいなければ、私はすぐまた彼のところに戻ってしまっていたと思う。
彼女には一生頭が上がらない。
私はその頃、次の作品のレコーディングをしているところで、区切りとしてそこまでは彼にマネージャーとして携わってもらうべきと考えていたが、彼は制作の打ち合わせに何度も遅刻したり、やる気がないんだろうなと感じる出来事ばかりだったので、仕事でも離れてほしいと伝えた。
それについては彼から反論があり、何度もぶつかったが、最終的には「お願いだから私から離れて下さい」と言ったことでこの件はおさまった。
4月ごろ、ようやく彼が家を出て行っていった。
その後も数か月間、辛くて何度も泣いたりしたけど、私は少しずつ、ほんとに少しずつ、自分を取り戻そうとしていた。
どうしても断ち切るために、占いに何回か行って「彼とは別れた方がいい!」という意見をわざわざ聞きに行ったり、うまれて初めて縁切り神社に行って泣きながら高いお守りを買ったりしながら。
そんな中、最後の事件は起きた。
■繁華街のど真ん中で!?
8月、彼が私のライブに現れ、暴言を吐いた。
「絶対に売れんわ、こんなん。まあせいぜい頑張って」
暴言というか捨て台詞というか。
わざわざライブを見に来てこんなセリフを言うという謎の行動。
本当に魂から腐りきった人間だったのだろう。
ちなみに彼がマネージャーをしたミュージシャンは今現在も誰一人売れている人はいない。
そんな実績を上げていないヤツに言われても何の説得力もない発言なのだ。
しかし、その最後の捨て台詞で私の「堪忍袋の緒」がぷつりと切れた。
私は捨て台詞を吐き店を出た彼をすぐさま追いかけ、夜の新宿・繁華街のど真ん中で、渾身の蹴りをお見舞いしてやった。
彼も逆上して私の髪の毛を掴み、私は投げ飛ばされた。
彼は背も高く、体が大きかったので、太刀打ちできないと思った私は、一点集中で卑怯な攻撃をすることにした。
目が悪い彼の眼鏡を吹っ飛ばし、もしくは壊し、視力を奪う作戦である。
何回も彼の顔面に向かって手を伸ばし、眼鏡を取ろうとしたが、あえなく失敗に終わった。
その後、私は彼のTシャツをターゲットに変えた。
彼のTシャツをビリビリに引き裂いた。
これは肉体的なダメージはないが、精神的なダメージがある。
とはいえ力では彼に敵うはずがなかった。
この醜い泥仕合は警察の出現により「署で事情聞こうか〜」と言われたタイミングで目が覚め、終了となった。
彼はその警察にもケンカを売っていた。(完全にバカだ)
もう業務執行妨害でもなんでもいいから、このまま彼を逮捕してもらいたかった。
涙でボロボロになった顔で、放心状態のまま、その日はタクシーに乗って家に帰った。
この日を最後に彼とは顔を合わせていない。
彼と別れてから少なくとも1年は、彼と、友達だったはずの彼女への呪いを抱きしめて生きてきた。
でも、最近になって呪いが消えた。
彼にも彼女にも一生会いたくないと思っているが、この辛かった数年間で自分の醜さ、馬鹿さが浮き彫りになり、おかげでたくさんの事に気付けた。
以前より、人にやさしくできるようになった気がするし、ちょっとくらいの辛いことなら、この時期の辛さと比べて乗り越えられる。
辛かった日々に戻りたくないなら、呪いは一目散に手放すべきなのだ。
「苦労は買ってでもしろ」という言葉を残した人が指す「苦労」に、こんな男女のイザコザが含まれるかはわからないが、確認のしようもないので、勝手に含まれたことにしている。
そして、私を支えてくれる、本当に大切な人たちがいるという事に気付けた。
もう、あの時みたいな気持ちになるのはこりごりだ。
これまで、このコラムで紹介した人々は、私ひとりでは決して見ることのできない世界を見せてくれた。
正直見たくないものの方が多かったが、貴重な経験をしたことには変わりない。
"どこかで元気に過ごしていてほしい!"とは一切思わないが、貴重な経験を得て学ぶことができたという事実には一応感謝したいと思う。
そして、なによりこのお話を読んでくれた方々に心から感謝をしたいと思う。
最後まで読んでくださって本当にありがとうございました。
また、どこかで会いましょう。
(西園寺C子)
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