貴乃花親方の貴花田時代…「ファンシー絵みやげ」で振り返る若貴ブーム(1/2)

2017/12/15 12:00 山下メロ 山下メロ


お久しぶりです。平成元年あたりのカルチャーを発掘調査している山下メロと申します。80年代とも90年代とも違うその時代を、平成レトロとして愛好しております。



当連載では、80年代から平成初期に流行した「ファンシー絵みやげ」から、当時の流行を紹介していきたいと思います。「ファンシー絵みやげ」とは80年代からバブル経済期~崩壊を挟んで90年代まで、日本の観光地で若者向けに売られていた、かわいいイラストが印刷された雑貨みやげのことです。



「ファンシー絵みやげ」については連載第一回をご覧ください。

■ 若貴フィーバー

突然ではありますが特に世の中の流れとは関係なく、貴乃花親方について振り返ってみたいと思います。かつては貴乃花親方は1990年代に、貴花田として兄・若花田(後の三代目若乃花)とともに若貴フィーバーを巻き起こしました。


↑まだ十代だった若い兄弟の活躍は社会現象となり、若い女性の相撲ファンも増加した。

平成元年に十両昇進し平成2年に入幕、平成4年に幕内初優勝、そして前年にヌード写真集『Santa Fe』を発売して話題だった宮沢りえとの婚約発表がありました(2か月後に婚約解消)。1993年には大関昇進し貴ノ花に改名、そして翌年1994年には貴乃花に改名して65代横綱となりました。


↑「貴ノ花」のオフィシャルキャラクターによる文房具。「貴ノ花」の名称は短い時期しか使われていないため、大体1993年から1994年と推察できる。ヘッチャリンコさんのコレクションをお借りしました。


↑こちらは若ノ花。こういった形で文具セットになっていた。

その後、貴乃花は横綱として活躍し、大けがをしながら最後の優勝を成し遂げました。表彰の際、当時の小泉純一郎首相が「痛みに耐えてよく頑張った!感動した!」とコメントしたのは記憶に新しいのではないでしょうか。

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