ファンシーが心の中を通り抜ける…「ファンシー絵みやげ」で振り返るシーサイドリゾート(1/2)

2017/3/24 12:00 山下メロ 山下メロ


お久しぶりです。平成元年あたりのカルチャーを発掘調査している山下メロと申します。80年代とも90年代とも違うその時代を、平成レトロとして愛好しております。


↑色々と理由あって水泳キャップとゴーグルで失礼します。

当連載では、80年代から平成初期に流行した「ファンシー絵みやげ」から、当時の流行を紹介していきたいと思います。「ファンシー絵みやげ」とは80年代からバブル経済期~崩壊を挟んで90年代まで、日本の観光地で若者向けに売られていた、かわいいイラストが印刷された雑貨みやげのことです。



「ファンシー絵みやげ」については連載第一回をご覧ください。

■ ホイチョイとシーサイドリゾート

CSでバブル経済期のホイチョイ三部作が放映されたこともあり、毎回ホイチョイ・プロダクション原作の映画を取り上げましたが、皆様はご覧になりましたでしょうか。三部作の中でも、最初の『私をスキーに連れてって』は折からのスキーブームを極限まで爆発させた影響力の高い映画でしたが、二作目『彼女が水着にきがえたら』、三作目『波の数だけ抱きしめて』はともに湘南が舞台のシーサイドリゾートをテーマにしていました。

三作品中二作品がシーサイドリゾートだったということで、1980年代からバブル崩壊あたりまで、夏のレジャーの定番は海だったのでしょう。今回は、ホイチョイだけに「ちょい補遺」の回として、語り切れなかったことを補遺していきたいと思います。


↑以前ダイビングをモチーフとしたファンシー絵みやげが少ないと言いましたが、新たにキーホルダーが2つ見つかりました。両方とも沖縄県。さすが南国である。

■ ロングバケーション

1980年代を象徴するシーサイドリゾートといえば、永井博さんのイラストと湯村輝彦さんの椰子の木パターンがジャケットに使われた、大滝詠一さんのアルバム「A LONG VACATION」ではないでしょうか。


↑1981年にナイアガラレコードから発売。日本で一番初めにCD化されたアルバムでもある。また、何度もリマスター盤がリリースされている。

「BREEZEが心の中を通り抜ける」という帯のキャッチコピーも秀逸な本アルバムの収録曲は、松本隆さんによる繊細で景色が浮かぶような歌詞と、フィル・スペクターのウォール・オブ・サウンド等アメリカンオールディーズポップス色の濃い音楽で、リゾートをテーマにコンセプチュアルに仕上がっています。日本音楽界の金字塔的な扱いを受けるアルバムなのですが、評価されているのは録音された内容だけではありません。永井博さんと湯村輝彦さんという1980年代を代表する2人のイラストレーターがタッグを組んだジャケットのアートワークも非常に人気です。

1980年代にはさまざまなイラストレーターが誕生しましたが、非日常なリゾートの景色を描く人が多かったように思います。そして、日本の観光地に売られるお土産にもその影響がありました。


↑永井博さんのライセンス表記がある伊豆の土産店で買ったパブミラー。


↑お土産ではないが、FM STATIONのパブミラーのイラストは鈴木英人さん。


↑樹脂製の小さなブラインド。このようにイラストだけのお土産も多かった。

ファンシー絵みやげにおけるシーサイドリゾート最重要モチーフはサーフィンですが、このイラストのように椰子の木とフォルクスワーゲンのビートルがあれば充分であることを前回紹介しました。


↑サーファーなど人物のシルエットすら登場しない。

そこへ来て、さらに無駄を削り、椰子の木さえあれば充分であるというものまで見つかりました。


↑ファンシー絵みやげには椰子の木をデフォルメしたものもある。幹を太く短くするという発想が大胆。


↑日本のシーサイドリゾートは、南国の雰囲気を作るために椰子の木(棕櫚や蘇鉄も)をたくさん植えている。


↑日本には四季があるため、常夏の雰囲気を出す椰子の木も雪に耐えなくてはならない。千葉県の房総半島で1月に撮影。

極端に無駄を削ぎ落した例では椰子の木だけでしたが、シーサイドリゾートで売られているファンシー絵みやげで一番重要なのはサーフカルチャーです。海水浴場などでは、サーフィンをしない普通の海水浴客が大多数なはずですが、陸サーファーに代表されるように、なぜサーフィンはこんなに一般的なマリンスポーツなのでしょうか。なぜか普及した「ネットサーフィン」という言葉について考えてみましょう。

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