【驚愕】約80年前のタイと韓国の映像が興味深すぎる
どうも、服部です。前回の記事「【動画あり】昭和7年の日本はアメリカでどう紹介されていたのか」でも使用した、旅行ドキュメンタリー映画のナレーター兼監督「ジェームス・A・フィッツパトリック」の作品で、1931年(昭和6年)のタイ(作品内ではSIAM)と朝鮮(KOREA)を扱っているものがあったので、今回はこの動画を元に紹介していきたいと思います。
念のため、タイと朝鮮と日本の位置関係です。まずはタイの紹介から始まります。タイの当時の人口は1千万人ほどだったそうです。
チャイニーズ・ジャンクと紹介されている古代中国船が、当時のタイでは使われていたようです。
タイランド湾(映像ではGulf of SIAMと紹介)の港に到着すると、そこには電車が待ち構えています。ここからバンコクまでは35マイル(約56km)ほどだそうです。
線路と並んで水路が見えます。数本の鉄道以外は、この当時のタイでは水路が主な交通手段だったのだそうです。標高が低く、土がとてもやわらかいため道路にならないようです(未舗装のという意味でしょう)。
小さな駅のような建物が見えますが、電車は通過していきます。
単線のため、行き違い用の線路で対向車両が待機しています。
船がフルーツらしきを運搬しています。説明によると、タイの農産物はコメ、サトウキビ、ココナツ、豊富な種類の果物で、それらは収穫されると船でバンコクへと運ばれていくのだそうです。
取材陣一行は、バンコクに到着しました。駅前には警官なのか軍人なのか、制服姿の人が目立ちます。
1932年の立憲革命以降、国会議事堂として利用されていた「旧国会議事堂(アナンタ・サマコム・パレス)」です。建物前の銅像は、ラーマ5世のもので、映像では236人の兄弟がいたと紹介されています。
現在も変わらない「ワット・ベンチャマボピット」。仏教の建造物の映像と共に、仏教についての説明がされています。
またまた、現在でも同じ光景を見られる、ワット・プラケオ(別名「エメラルド寺院」)内の奥からプラサート・プラ・テープビドーン、プラ・モンドップ、プラ・シー・ラタナー・チェディの三つ並び。
数少ない人を被写体の中心にした映像です。もしかすると、現地の人を取材することに規制があったのかもしれませんね。人々の自然な生活風景が少なすぎる気がします。
タイの最後は、バンコクを流れるチャオプラヤー川を挟んだ映像です。タイに何度も行っている著者としては、もっと庶民の生活の映像が見たかったです。
タイから航路、朝鮮のソウルに向かいます。
カメラは朝鮮服に笠子帽を被った男性を中心に映しています。「白いローブに面白い帽子を被った格好が、代表的な朝鮮人の衣装です」と紹介されています。
朝鮮服の男性は軽く会釈をして立ち去ろうとしますが……、ハンチング帽のようなものを被った同胞男性に呼び止められ、
モデルに連れ戻されました。さらに後ろにもう1名、朝鮮服の男性が登場。
これは「朝鮮総督府」の建物のようです。1910年(明治43年)の日本による韓国統治のために設置された官庁の庁舎です。二人の女性が頭の上に籠のようなものを載せて歩いているのが見られます。
ここは在留日本人が多い地域なのでしょうか。和服を着た女性が歩いています。
カメラは和服の二人を追っていきます。「味の素」の看板や日本語の店名の店があります。
角を曲がると、「サクラ・ビール」の看板のお店。飲み屋さんでしょうか。ナレーションは以前男性の外出禁止令があり、「女性が安心して夜間に歩けるように、9時になると警報が鳴り、男性は家の中にいなくてはいけないという法律があったが、廃止になった」と紹介しています。
こちらは、牛の背中に藁らしきものを積んで運んでいる男性。
格好からして日本人の子供たちでしょうか(ナレーションは「朝鮮の子供たちは」と言っていますが)? 最近はほとんど見ることはありませんが、古いフィルムを見ていると、子供たちが弟や妹たちをおんぶしている姿をよく見かけます。「朝鮮の子供たちは父親を尊敬し、地震、風、火事、父親と、男の子が恐れる4つのものに父親が入っている」と説明しています。
「朝鮮神宮」という神社かと思われます。先ほどの子供たちが階段を上がってきています。「朝鮮神宮」は1919年(大正8年)に創立、1945年(昭和20年)の第二次大戦終戦後に廃止。跡地は公園になったのだそうです。
風呂釜屋さんなのでしょうか。扉に「専門」「風呂」という文字が書いてあります。穴の開いた釜に子供が寄り掛かっています。
こちらは朝鮮の子供たちでしょうか。この子たちも赤ちゃんをおぶっています。
伝統的な舞踊を舞う女性たち。「日本の芸者ガールたちのダンスにとても似ています」と紹介されています。アメリカ人の目にはそう映るのでしょうか。
朝鮮の映像の締めくくりは、再び朝鮮服に笠子帽を被った男性たち。「朝鮮の男性の民族衣装のことは、決して忘れないでしょう」と言っています。相当気に入ったようですね。
モデルになってくれたのに、丁寧にお辞儀をしていきます。
いかがでしたか? 今から80年以上の前のタイと朝鮮の暮らしが垣間見られ、大変に興味深い映像でしたね。引き続き、貴重な映像をお届けしていきたいと思います。
(服部淳@編集ライター、脚本家)
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