大河ドラマ『どうする家康』に佐藤浩市が登場!父・三國連太郎との疎遠の原因とは?息子で俳優の寛一郎がいつ〇〇するかも気になる

2023/8/25 18:00 龍女 龍女

今年のカンヌ映画祭のコンペティション部門に出品された『怪物』(監督・是枝裕和)。
それで脚本賞を獲得した坂元裕二が憧れた映画監督
それが相米慎二(1948~2001)である。


(相米慎二 イラストby龍女)

佐藤浩市は、吉村昭原作の短編小説を元にした『魚影の群れ』(1983年10月19日公開)で、小浜房次郎(緒形拳)が一人で育てた娘トキ子(夏目雅子)が連れてきた恋人依田俊一を演じている。
緒形拳(1937~2008)はカンヌ映画祭のパルムドールを受賞した
『楢山節考』(1983)で日本アカデミー賞最優秀主演男優賞
檀一雄の私小説『火宅の人』(1986。監督は深作欣二)では檀一雄を演じ、2回目の同賞を受賞するなど、出る作品が名作揃いの無双状態だった。
佐藤浩市の相手役の夏目雅子(1957~1985)も20代半ばで俳優として勢いに乗り始めた時期だった。
この二人の間で、ツッパリ上がりの若い喫茶店の店長から愛する女のために漁師になる男を演じた。

若い時の佐藤浩市はリーゼント姿がよく似合う気の良い兄ちゃんであった。

主要キャストである3人の個性がぶつかり合って、相米慎二が得意とする長回し撮影のカメラワークで俳優が生き生きと表現する様は必見なので、是非一度この作品を観て欲しい。


(『魚群の群れ』の1シーンから イラストby龍女)

浅田次郎の原作の壬生義士伝(2003年1月18日公開。監督・滝田洋二郎)は、当初監督は相米慎二の予定であった。

しかしギャンブル好きと酒好きがたたって2001年に6月に肺がんが見つかり9月9日に死去した。

相米慎二は岩手県の盛岡市出身である。
小説の主人公の新選組隊士吉村寛一郎(1839?~1868?)は盛岡藩(現在の岩手県中部・青森県東部から秋田県北東部にかけての地域)の元藩士・嘉村権太郎の偽名である。
新選組の諸士取扱役兼監察方および撃剣師範であった。
これを相米慎二作品では『東京上空いらっしゃいませ』『お引っ越し』に出演した
中井貴一(1961年9月18日生れ)が演じた。

佐藤浩市は、副主人公の3番隊隊長兼撃剣師範斉藤一(1844~1915)を演じた。
ちなみに三國連太郎も相米慎二監督作品では『セーラー服と機関銃』(1981)では太っちょと呼ばれるヤクザの親分、『夏の庭 The Friends』(1994)の主演として、死をみたいと思う少年が出逢う老人を演じている。

吉村寛一郎は妻子のために盛岡藩を脱藩した。
新撰組は年貢ではなく現金で給料が支払われていた。
近代軍隊の元祖とも言える側面がある。
吉村寛一郎は隊士からは「守銭奴」と言われる程給料に固執した。
金のためなら暗殺仕事も厭わなかったのである。
剣客の斉藤一は、最初は反発するものの徐々に吉村寛一郎の生き方に共感していく。


(『壬生義士伝』の1シーンから イラストby龍女)

中井貴一と佐藤浩市はデビューが同じ1980年の同期である。
中井貴一の父親佐田啓二(1926~1964)は戦後の松竹を代表する2枚目スターだった。
京都出身の本名・中井寛一は、早稲田大学政経学部在籍中は親族の知り合いだった松竹の人気俳優佐野周二(1912~1978)の家に下宿していた。
就職先は、佐野周二の縁で松竹撮影所に入社した。
俳優になりたくてと言うより、就職先が映画会社の俳優部門だったのにすぎない。
芸名は、佐野周二の頭文字と最後の文字を貰った。
松竹撮影所近くのレストラン「月ヶ瀬」の看板娘・杉戸益子と結婚した。
このレストランは小津安二郎も木下恵介も贔屓にしていた店だった。

独身の小津安二郎と木下恵介が仲人として佐田啓二と杉戸益子の結婚式を祝った。


(小津安二郎 イラストby龍女)

第2子である長男に「貴一」と名づけたのも、小津安二郎である。
佐田啓二は鎌倉に邸宅を構え、小津安二郎とは近所だった。
父のように慕っていたので、1963年12月12日に小津安二郎が亡くなった時も看取った。
貴一は小津安二郎との記憶はほとんどないようだが、映画は残っているので祖父のような小津と父親には別の形で会える。

中井貴一はテニスが得意でコーチを目指していた。
父の17回忌の法要の際に映画監督の松林宗恵(1920~2009)にスカウトされる。
1981年の東宝の大作戦争映画『連合艦隊』でデビューする。
真珠湾攻撃からミッドウェー海戦までを描き、架空の2家族の視点で描く内容で群像劇の中で中心にいる4人の内の1人を演じたので主役に近い大抜擢だった。

中井貴一は、太平洋戦争の指揮官だった山本五十六(1884~1943)を演じた
小林桂樹(1923~2010)と1983年の『父と子』で父子役で再共演した。
この時はがっぷりよつで演技をすることになった。

撮影中は、「役者がダメだったら就職したい」と言っていた中井貴一と最後に一緒に食事をしている時に小林桂樹はこう言ったそうである。

『俺はさ、貴一ちゃん。お前に役者になってもらいたい。
これからの時代はアウトローが主役をする時代になる。
俺らの頃はサラリーマンが主役だった。サラリーマンがいるから、アウトローも存在できる。
サラリーマンを演じられる人間がいなくなったら、アウトローも存在しない。お前には、王道を歩む俳優になってもらいたい。
アウトローに比べ、正統派と言われる俳優は、評価はされない。でも、お前はそれを貫ける。それを貫いた時、周りのアウトローは輝ける。アウトローの時代に、みんながアウトローしかできなかったら、映画は輝けない。お互いが分をわきまえることで映画の成功はある。お前には、その道を歩んでほしい』


佐藤浩市はいわばアウトローの役で主役を演じ続けてきた俳優である。
中井貴一は対照的だ。初期のテレビドラマの代表作『ふぞろいの林檎たち』(1983)でも真面目な会社員になる二流大学出身の仲手川良雄を演じている。
演技以外にもNHKの『サラメシ』で、働く人の昼食を取り上げた番組のナレーターを務めている。

佐田啓二のデビュー作『不死鳥』の監督は木下恵介である。
つまり、佐藤浩市と中井貴一の父親はどちらも映画デビュー作の監督は木下恵介だったのだ。
しかし、佐田啓二と三國連太郎が仲が良かったとも思えないから、縁とは不思議なものである。

佐藤浩市と中井貴一は何度も共演している。三谷幸喜作品には2人とも何度も出ている。
2世俳優と共通点がありながら、得意とする役柄が対照的なので特に仲が良いのだろう。

「貴一は僕の方が年上で先輩なのに浩市と呼び捨てにするんですよ。アレ? 僕の方が年下で後輩だったかな? と調べてみたらやっぱり僕の方が年上で先輩なんですよ。なんで呼び捨てにするのかな?」



佐藤浩市は、最近ますます三國連太郎に似てきたと言われる。
三國連太郎は1969年に三船敏郎が近藤勇を演じた映画『新選組』で
佐藤浩市は2004年の大河ドラマ『新選組!』で芹沢鴨を演じている。
共通点を探しやすいところもある。
権力を持つ男の小心さを演じると、二人とも際立つ。
特に三國連太郎は自覚していたが、臆病な性格は親子共々共通している。
佐藤浩市の場合は、ものまね芸人・いしいそうたろうが良く真似る『ザ・マジックアワー』の時のナイフを舌なめずりする演技に見られるように強くみせるために見栄を張ってしまう男の滑稽さがよく似合う。


(『ザ・マジックアワー』で演じた村田大樹と妻夫木聡演じる備後登が呆れるところ イラストby龍女)

しかし、これはそれぞれが育った時代の違いもある。
佐藤浩市が演じる役はいい加減でおバカな要素が加わり、日和ってどの人にもいい顔をするというずるさが加わってくる。
つまり臆病が原因で起こす行動に違いが出ているのだ。
佐藤浩市は父・三國連太郎が演じてきた社長会長よりも部長クラスの中間管理職がよく似合う。
もちろん社長を演じた事はある。
TBSの特番『LEADERS リーダーズ』(2014年3月22日・23日)でトヨタ自動車の創業者の豊田喜一郎をモデルにした愛知佐一郎を演じている。
トヨタグループの最初の会社豊田紡織を作った豊田佐吉から数えると2代目である。
三國連太郎が1番長く演じた『釣りバカ日誌』の鈴木一之助は鈴木建設を小さな会社から大きくした初代社長だ。
三國連太郎が差し詰め映画俳優一家の創業者なのである。
もし徳川将軍三代の家光を主人公とするドラマがあったら、佐藤浩市は晩年の秀忠を演じたらハマるのではないだろうか?
その時の家光は寛一郎が演じて欲しい。

さて寛一郎は現在本名の佐藤を除いた芸名で活動中だが、それでふと思いだす人物がいる。
中野英雄を父にもつ2世俳優の仲野大賀(1993年2月7日生れ)である。
デビュー時の2006年は名前だけの「大賀」で活動していたが、2019年に「なかの」の中を仲間と言う意味でにんべんを付けた表記に改名している。
筆者は、寛一郎が俳優活動を続ける中でいつ「さとう」を付けて改名するのか?
そんな日が来るまで見続けられたら良いなと楽しみにしている。


※最新記事の公開は筆者のFacebookTwitterにてお知らせします。
(「いいね!」か「フォロー」いただくと通知が届きます)
  1. 1
  2. 2
  3. 3