朝ドラ『あまちゃん』で予言?母娘を演じた、のん(能年玲奈)と小泉今日子が放送から10年でこんなに変わっていた!?
天野春子
アキの母である。
1984年に北三陸をとびだしアイドルになろうとしたが、挫折した。
タクシー運転手の黒川正宗(尾美としのり)と結婚し、アキを授かった。
(小泉今日子 イラストby龍女)
演じたのは小泉今日子(1966年2月4日生れ)。
80年代はソロで活動するアイドル歌手が多かった。
それを代表する女性歌手の1人だ。
現在では、1980年デビューの松田聖子(1962年3月10日生れ)
1982年の同期デビューの中森明菜(1965年7月13日生れ)
に次ぐ3番手だったと位置づけられている。
同期の中森明菜と同様、『スター誕生!』のオーディションに合格しデビューした。
番組の後期に生れたスターである。
石野真子の『彼が初恋』を歌って合格したお陰で、石野が当時所属していた芸能事務所のバーニングプロダクション、及びレコード会社はビクター音楽産業と契約する。
『とんねるずのみなさんのおかげです』のコントの中で
とんねるずの石橋貴明に
「厚木(小泉今日子の出身地、神奈川県厚木市)でスケバンやっていたんでしょ?」
と言われたときに
「わたしは、厚木のお嬢さん!」
と言い返したのが、印象に残っている。
これはある程度の年齢まで裕福な暮らしをしていたらしいが、父親の倒産で夜逃げをして金銭的に苦労した名残で、非常に負けん気が強くなったようだ。
ヤンキーのような上昇志向がありながら、読書家の一面を持っている。
デビューが1982年と一年遅れたために1981年に亡くなった憧れの脚本家
向田邦子に直接会うことは叶わなかった。
TBSで向田邦子とコンビを組んでいた演出家の久世光彦(1935~2006)に気に入られて、正月の向田邦子ドラマスペシャルの常連俳優の一人になっている。
久世光彦が2003年にWOWOWで演出した川上弘美原作小説のドラマ化
『センセイの鞄』では主役を務めた。
フジテレビの月9の『愛しあっているかい!』(1989年10月~12月)ではヒロイン役に留まらなかった。
フィンガー5のカバー『学園天国』を元たのきんトリオでギタリストの野村義男のアレンジで、ドラマの主題歌として大ヒットさせた。
小泉今日子は、オリジナルのヒット曲も多いが
カバーのヒットも多く、ほぼオリジナルの松田聖子や中森明菜とは異なる。
デビューシングルの『私の16才』は
原曲は森まどかの『ねえ・ねえ・ねえ』(1979年)である。
改題して、キーを小泉今日子に合わせたそうだ。
実は筆者は『あまちゃん』を観ていて、納得できないところがあった。
天野春子(若い頃は有村架純)は新人映画スターの鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)の歌の吹替を頼まれる。
それは、マネージャーの荒巻太一(古田新太)の提案だった…。
と言う設定なのだが、これは役柄として、春子は歌がうまく、鈴鹿ひろ美は音痴という理由から来るモノだ。
だから、筆者は納得いかなかった。
薬師丸ひろ子は実際は小泉今日子より歌がうまい
からである。
筆者が特に薬師丸ひろ子(1964年6月9日生れ)の歌声に感動した曲がある。
それは中島みゆきの名曲のカバー『時代』(1988年7月29日発売)だ。
原曲より高いキーでコーラスワークで聴かせた。
薬師丸ひろ子に竹内まりやが提供した
『元気を出して』(1984年2月14日発売)。
竹内まりやが1987年にセルフカバーしたヴァージョンでは、薬師丸ひろ子はバックコーラスとして参加している。
このコーラス部分も美しくて、本当にうっとりする。
しかし、小泉今日子の歌に感動してきたファンの方々、すぐに怒らないで欲しい。
やっぱり、小泉今日子は素晴らしい。
あくまでも比較論で、薬師丸ひろ子より音程に弱冠の不安があるだけの話だ。
大好きな楽曲はいっぱいある。
特に筆者が最高傑作だと思うシングルは、小泉今日子自ら作詞した
『あなたに会えてよかった』(1991年5月21日発売。田村正和と父子役で出演したTBS系ドラマ『パパとなっちゃん』の主題歌)だ。
筆者はこの曲を聴いて小泉今日子の歌手としての最大魅力を確認した。
一言で表現するならば美声の音痴である。
小泉今日子の歌唱法は、音程に忠実ではなく歌詞に忠実なのだ。
確実に歌詞が観客の心にしみこんでくる。
小泉今日子は歌手からキャリアを出発させたが、資質は歌よりも語りに近い声の響かせ方にあった。
徐々に歌手活動よりも俳優活動に仕事の比重がよってくるのも必然の流れだった。
80年代、薬師丸ひろ子もアイドルだったが、異色の存在だった。
角川書店の2代目社長角川春樹(1942年1月8日生れ)が発掘した新人俳優で
映画畑から生れたアイドルなのだ。
書店の社長が映画をプロデュースするから、企画は当然自社の小説が原作と言うことになる。
角川春樹は、映画プロデューサーになる前は編集者だった。
『あまちゃん』の劇中映画で鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)は80年代に主演して大ヒットしたとされるのが
『潮騒のメモリー』である。
元ネタになった三島由紀夫が1954年に発表した小説『潮騒』(新潮文庫)は古代ギリシャの散文『ダフニスとクロエ』を元にした若い男女の恋物語。
漁師と海女になりたての二人を描いた。
この短編小説は、何度も映画化された作品となる。
『潮騒のメモリー』のモデルになった映画とは、恐らく1985年に公開された5度目の『潮騒』(監督・小谷承靖)だ。
鶴見辰吾・堀ちえみが主演である。
ちなみに堀ちえみ(1967年2月15日生れ)も小泉今日子と同じ華の82年デビュー組である。
この三島由紀夫の『潮騒』は三重県の神島が舞台だが、『潮騒のメモリー』の方は「北の海女」と呼ばれる北三陸市が舞台に置き換えられた。
久慈には「北の海女」の元ネタがちゃんとある。
日本映画全盛期の女性脚本家水木洋子(1910~2003)が書いた
1959年文化庁芸術祭賞のラジオ部門を受賞した
50分間の単発ラジオドラマ『北限の海女』だ。
東京から来たバツイチの女性と、高齢の海女の交流を描いたドキュメンタリータッチの内容だった。
『あまちゃん』が出来るまでは重要な観光資源だった。
宮藤官九郎が歌詞を書いた『潮騒のメモリー』の歌詞は様々な歌謡曲を引用している。
全体のベースになる小泉今日子のヒット曲で元ネタと思われるのは
『渚のはいから人魚』(1984年3月21日発売)だ。
『あまちゃん』は、ご当地アイドルの話が中心になっていくが、母娘3代のドラマを縦軸にアイドルの変遷を描き、一種の芸能史の様相を呈してくる。
宮本信子(1945年3月27日生れ)が演じた天野夏は
アキの祖母で春子の母である。
身内には「なつばっぱ」と呼ばれている。
袖が浜の海女で海女クラブ会長である。
北三陸駅に併設された昼は喫茶、夜はスナックになる飲食店を営んでおり、観光客にはウニ弁当を売っているという働き者である。
なつばっぱの過去の思い出のエピソードがある。
北三陸に歌手の橋幸夫(1943年5月3日生れ)がやってきた。
上京してきた夏がかつての憧れの橋幸夫に会いに行く。
この橋幸夫が選ばれたのがキュンときた。
実は筆者の母は三姉妹の2番目で長女で団塊世代の伯母は橋幸夫のファンだった。
筆者は母のためにあるコンサートのチケットを注文した。
ルネこだいらで今年の3月16日の行われた引退コンサートツアー中の橋幸夫である。
橋幸夫は今年の5月3日の誕生日をもって、歌手活動を引退した。
これからは書道家として余生を送るそうである。
脚本担当の宮藤官九郎やプロデューサーの訓覇圭(1967年5月生れ)は
男性のアイドルの元祖と思われる御三家(他は舟木一夫・西郷輝彦)の一人、橋幸夫をどうしても登場させたかったのだろう。
小泉今日子は、宮藤官九郎脚本のドラマでは2003年のTBS
『マンハッタン・ラブ・ストーリー』に出ている。
元々ファンであったことは容易に想像できる。
小泉今日子は前述したとおり、70年代を代表するオーディション番組『スター誕生!』からデビューした最後期のスターの一人で、ソロ歌手中心だったアイドルの終わりの始まりだった。
その象徴的なヒット曲が後におニャン子クラブやAKBや坂道シリーズに続く集団アイドルをプロデュースする
秋元康(1958年5月2日生れ)が作詞した『なんてたってアイドル』である。
この歌の詞こそ、アイドルのファンが求めるアイドルの定義がつまっている。
それでは物心ついたときから集団アイドルの時代にどっぷりつかっている
のん(能年玲奈)の話を交えながら、『あまちゃん』から10年経った今の変化も見ていこう。
アキの母である。
1984年に北三陸をとびだしアイドルになろうとしたが、挫折した。
タクシー運転手の黒川正宗(尾美としのり)と結婚し、アキを授かった。
![](https://ima.xgoo.jp/column/img2/ryujo/ACAD06.jpg)
(小泉今日子 イラストby龍女)
演じたのは小泉今日子(1966年2月4日生れ)。
80年代はソロで活動するアイドル歌手が多かった。
それを代表する女性歌手の1人だ。
現在では、1980年デビューの松田聖子(1962年3月10日生れ)
1982年の同期デビューの中森明菜(1965年7月13日生れ)
に次ぐ3番手だったと位置づけられている。
同期の中森明菜と同様、『スター誕生!』のオーディションに合格しデビューした。
番組の後期に生れたスターである。
石野真子の『彼が初恋』を歌って合格したお陰で、石野が当時所属していた芸能事務所のバーニングプロダクション、及びレコード会社はビクター音楽産業と契約する。
『とんねるずのみなさんのおかげです』のコントの中で
とんねるずの石橋貴明に
「厚木(小泉今日子の出身地、神奈川県厚木市)でスケバンやっていたんでしょ?」
と言われたときに
「わたしは、厚木のお嬢さん!」
と言い返したのが、印象に残っている。
これはある程度の年齢まで裕福な暮らしをしていたらしいが、父親の倒産で夜逃げをして金銭的に苦労した名残で、非常に負けん気が強くなったようだ。
ヤンキーのような上昇志向がありながら、読書家の一面を持っている。
デビューが1982年と一年遅れたために1981年に亡くなった憧れの脚本家
向田邦子に直接会うことは叶わなかった。
TBSで向田邦子とコンビを組んでいた演出家の久世光彦(1935~2006)に気に入られて、正月の向田邦子ドラマスペシャルの常連俳優の一人になっている。
久世光彦が2003年にWOWOWで演出した川上弘美原作小説のドラマ化
『センセイの鞄』では主役を務めた。
フジテレビの月9の『愛しあっているかい!』(1989年10月~12月)ではヒロイン役に留まらなかった。
フィンガー5のカバー『学園天国』を元たのきんトリオでギタリストの野村義男のアレンジで、ドラマの主題歌として大ヒットさせた。
小泉今日子は、オリジナルのヒット曲も多いが
カバーのヒットも多く、ほぼオリジナルの松田聖子や中森明菜とは異なる。
デビューシングルの『私の16才』は
原曲は森まどかの『ねえ・ねえ・ねえ』(1979年)である。
改題して、キーを小泉今日子に合わせたそうだ。
実は筆者は『あまちゃん』を観ていて、納得できないところがあった。
天野春子(若い頃は有村架純)は新人映画スターの鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)の歌の吹替を頼まれる。
それは、マネージャーの荒巻太一(古田新太)の提案だった…。
と言う設定なのだが、これは役柄として、春子は歌がうまく、鈴鹿ひろ美は音痴という理由から来るモノだ。
だから、筆者は納得いかなかった。
薬師丸ひろ子は実際は小泉今日子より歌がうまい
からである。
筆者が特に薬師丸ひろ子(1964年6月9日生れ)の歌声に感動した曲がある。
それは中島みゆきの名曲のカバー『時代』(1988年7月29日発売)だ。
原曲より高いキーでコーラスワークで聴かせた。
薬師丸ひろ子に竹内まりやが提供した
『元気を出して』(1984年2月14日発売)。
竹内まりやが1987年にセルフカバーしたヴァージョンでは、薬師丸ひろ子はバックコーラスとして参加している。
このコーラス部分も美しくて、本当にうっとりする。
しかし、小泉今日子の歌に感動してきたファンの方々、すぐに怒らないで欲しい。
やっぱり、小泉今日子は素晴らしい。
あくまでも比較論で、薬師丸ひろ子より音程に弱冠の不安があるだけの話だ。
大好きな楽曲はいっぱいある。
特に筆者が最高傑作だと思うシングルは、小泉今日子自ら作詞した
『あなたに会えてよかった』(1991年5月21日発売。田村正和と父子役で出演したTBS系ドラマ『パパとなっちゃん』の主題歌)だ。
筆者はこの曲を聴いて小泉今日子の歌手としての最大魅力を確認した。
一言で表現するならば美声の音痴である。
小泉今日子の歌唱法は、音程に忠実ではなく歌詞に忠実なのだ。
確実に歌詞が観客の心にしみこんでくる。
小泉今日子は歌手からキャリアを出発させたが、資質は歌よりも語りに近い声の響かせ方にあった。
徐々に歌手活動よりも俳優活動に仕事の比重がよってくるのも必然の流れだった。
80年代、薬師丸ひろ子もアイドルだったが、異色の存在だった。
角川書店の2代目社長角川春樹(1942年1月8日生れ)が発掘した新人俳優で
映画畑から生れたアイドルなのだ。
書店の社長が映画をプロデュースするから、企画は当然自社の小説が原作と言うことになる。
角川春樹は、映画プロデューサーになる前は編集者だった。
『あまちゃん』の劇中映画で鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)は80年代に主演して大ヒットしたとされるのが
『潮騒のメモリー』である。
元ネタになった三島由紀夫が1954年に発表した小説『潮騒』(新潮文庫)は古代ギリシャの散文『ダフニスとクロエ』を元にした若い男女の恋物語。
漁師と海女になりたての二人を描いた。
この短編小説は、何度も映画化された作品となる。
『潮騒のメモリー』のモデルになった映画とは、恐らく1985年に公開された5度目の『潮騒』(監督・小谷承靖)だ。
鶴見辰吾・堀ちえみが主演である。
ちなみに堀ちえみ(1967年2月15日生れ)も小泉今日子と同じ華の82年デビュー組である。
この三島由紀夫の『潮騒』は三重県の神島が舞台だが、『潮騒のメモリー』の方は「北の海女」と呼ばれる北三陸市が舞台に置き換えられた。
久慈には「北の海女」の元ネタがちゃんとある。
日本映画全盛期の女性脚本家水木洋子(1910~2003)が書いた
1959年文化庁芸術祭賞のラジオ部門を受賞した
50分間の単発ラジオドラマ『北限の海女』だ。
東京から来たバツイチの女性と、高齢の海女の交流を描いたドキュメンタリータッチの内容だった。
『あまちゃん』が出来るまでは重要な観光資源だった。
宮藤官九郎が歌詞を書いた『潮騒のメモリー』の歌詞は様々な歌謡曲を引用している。
全体のベースになる小泉今日子のヒット曲で元ネタと思われるのは
『渚のはいから人魚』(1984年3月21日発売)だ。
『あまちゃん』は、ご当地アイドルの話が中心になっていくが、母娘3代のドラマを縦軸にアイドルの変遷を描き、一種の芸能史の様相を呈してくる。
宮本信子(1945年3月27日生れ)が演じた天野夏は
アキの祖母で春子の母である。
身内には「なつばっぱ」と呼ばれている。
袖が浜の海女で海女クラブ会長である。
北三陸駅に併設された昼は喫茶、夜はスナックになる飲食店を営んでおり、観光客にはウニ弁当を売っているという働き者である。
なつばっぱの過去の思い出のエピソードがある。
北三陸に歌手の橋幸夫(1943年5月3日生れ)がやってきた。
上京してきた夏がかつての憧れの橋幸夫に会いに行く。
この橋幸夫が選ばれたのがキュンときた。
実は筆者の母は三姉妹の2番目で長女で団塊世代の伯母は橋幸夫のファンだった。
筆者は母のためにあるコンサートのチケットを注文した。
ルネこだいらで今年の3月16日の行われた引退コンサートツアー中の橋幸夫である。
橋幸夫は今年の5月3日の誕生日をもって、歌手活動を引退した。
これからは書道家として余生を送るそうである。
脚本担当の宮藤官九郎やプロデューサーの訓覇圭(1967年5月生れ)は
男性のアイドルの元祖と思われる御三家(他は舟木一夫・西郷輝彦)の一人、橋幸夫をどうしても登場させたかったのだろう。
小泉今日子は、宮藤官九郎脚本のドラマでは2003年のTBS
『マンハッタン・ラブ・ストーリー』に出ている。
元々ファンであったことは容易に想像できる。
小泉今日子は前述したとおり、70年代を代表するオーディション番組『スター誕生!』からデビューした最後期のスターの一人で、ソロ歌手中心だったアイドルの終わりの始まりだった。
その象徴的なヒット曲が後におニャン子クラブやAKBや坂道シリーズに続く集団アイドルをプロデュースする
秋元康(1958年5月2日生れ)が作詞した『なんてたってアイドル』である。
この歌の詞こそ、アイドルのファンが求めるアイドルの定義がつまっている。
それでは物心ついたときから集団アイドルの時代にどっぷりつかっている
のん(能年玲奈)の話を交えながら、『あまちゃん』から10年経った今の変化も見ていこう。