『どうする家康』で織田信長を演じた岡田准一が本能寺の変で退場!『レジェンド&バタフライ』で同じく信長を演じた木村拓哉との違いとは

2023/7/28 19:30 龍女 龍女

今回のテーマは
岡田准一(1980年11月18日生れ)が演じた織田信長(1534~1582)である。


(岡田准一 イラストby龍女)


(狩野宗秀が描いた長興寺の織田信長の肖像画の模写 イラストby龍女)

今回取り上げるのは大河ドラマ『どうする家康』で、天正10年6月2日(西暦1582年6月21日)未明におきた日本史最大の謎
第28回の『本能寺の変』が放送されたからである。
岡田准一がどういう解釈で彼なりの織田信長像を作り上げたかを振り返っていこう。

織田信長は、日本史でも屈指の人気キャラクターである。
しかし、筆者は1983年の大河ドラマ『徳川家康』にハマって以来の徳川家康ファンである。
今回の家康目線の怖い信長には共感しまくりなのである。

京都には、織田信長を祭った建勲(たけいさお)神社と言う場所がある。
筆者は「けんくんじんじゃ」と呼んでいた。
筆者の母校、北大路烏丸にキャンパスがある大谷大学からも近い
北区紫野北舟岡町標高111.7m船岡山の東南に敷地がある。
在学中、当時の友人と3人で階段を上ってお参りに行った。
途中で、段差につまづいて、左のくるぶしをひねってしまったことがある。
元々信長が何となく苦手だった。
母校は信長と長年戦った石山本願寺の分派で江戸時代に東西分裂した東の方
真宗大谷派系の大学だ。
筆者の父方は代々西の方の浄土真宗本願寺派の檀家である。
その影響を何となく受けていたことに気づいた。
「信長が嫌いなのがバレて、お仕置きされたか…」
と妄想してしまったくらいである。


そんなオカルトチックなお話はともかく
次の頁からは、日本映画界を代表する主演俳優でもある岡田准一がどうやっていわゆる
「岡田信長」を構築していったか?
どうする家康「本能寺の変」直前SP
「信長・岡田准一 安土城の地・近江八幡で語る」

(NHKプラスで期間限定で観られる)
に基づいて、筆者なりに要点をまとめてみた。

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