『どうする家康』で織田信長を演じた岡田准一が本能寺の変で退場!『レジェンド&バタフライ』で同じく信長を演じた木村拓哉との違いとは
②ちょんまげが江戸時代に先駆けている
柘植伊佐夫は前の頁で触れた馬廻り衆の「黒母衣衆」をヒントに岡田信長が成人してからのイメージカラーは黒にした。
桶狭間の戦いの直後に久々に再会するときである。
史実の信長の格好というよりは家康が抱く信長の怖いイメージを優先して、イラストの信長の衣装は後の時代の南蛮風のファッションを少し取り入れている。
(桶狭間の戦いの直後 イラストby龍女)
仏教伝来の頃には伝わっていたが僧侶が頭の毛を剃るために用いた仏具だった剃刀を一般庶民が使うきっかけを作ったのが信長である。
月代(さかやき)と呼ばれる武士独特のヘアースタイルを整えるためである。
江戸時代になって、元服後は前髪を剃って、月代をするようになる。
前髪を剃らないでオールバックのようにまげを結った状態の髪型を総髪(そうはつ)というが、これは室町時代までは一般的な男性の髪型である。
従来のイメージの茶筅髷ではなく、総髪からのちょんまげとしたのは信長の性格の中の新しもの好きをより強調した人物デザインだ。
(岡田准一の月代姿 イラストby龍女)
③出てこない人物・エピソードがある
1983年の『徳川家康』での本能寺の変と比べてみよう。
織田信長(役所広司)は外の不穏な物音に気づいて起きる。
小姓と濃姫(藤真利子)と一緒に戦う。
信長は濃姫が討ち死にしたのを見届けて自害する。
『どうする家康』では、濃姫どころか最も愛した側室と言われる生駒吉乃すら出てこない。
さて他に気になる点と言えば、役所広司の信長は月代の茶筅髷ではなく総髪の茶筅髷にしている。
大河ドラマで本能寺の変を描いた最も古い作品
『太閤記』(1965)で演じた高橋幸治も総髪の茶筅曲げだったのでその型に従ったのだろうか?
信長は、本能寺の変の頃は長男の信忠に家督を譲っていたので、そういうことを髪型で表したのだろうか?
明智光秀が本能寺の変を起こす動機は信長と信忠がかなり近くの距離で京都に滞在していたからである。
光秀(酒向芳)は台詞で信忠に触れているが、一切登場していない。
1992年に放送された織田信長(緒形直人)が主役の『信長 KING OF ZIPANGU』は月代の茶筅髷にかわった。
もちろん信忠(東根作寿英)も登場する。
(役所広司の織田信長 イラストby龍女)
岡田准一の場合は第27回『安土城の決闘』で、家康に自分を殺すように挑発する。
信長を討つかどうか逡巡する家康。
堺で偶然出会った信長の妹のお市に兄が一番楽しかった時代が家康との少年時代だったと打ち明けられる。
本能寺にいた信長は寝込みを後ろから何者かに刺される。
覆面を外すと家康の顔が顕われるが、それは信長の幻覚であった。
信長は白い寝間着を真っ赤に染めた姿は、楽しかった少年時代を思い出していることを示す。
「家康、家康」と叫ぶが、討手が明智光秀だと分かるとがっくりして火のついた本能寺の奥の間へ去って行く。
信長は、桶狭間の時は不意打ちで討つ側の大将だったが、本能寺の変では討たれる側の大将である。
この時、どちらかで信長が必ず舞う演目がある。
幸若舞の敦盛である。
その中で信長がお気に入りだった箇所が
「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり」である。
これは源平合戦の一つ、一ノ谷の戦い(平安時代末期の寿永3年/治承8年2月7日(1184年3月20日)に摂津国福原および須磨で行われた戦い)の時のエピソードが元になっている。
熊谷直実(1141~1207)は若き貴公子敦盛を討ち取った。
自分の息子・直家と同じ年頃の美少年を討ち取ったショックは大きく、後に出家して法然の弟子法力房 蓮生 (ほうりきぼう れんせい)と称した。
法然の起こした浄土宗は、家康の先祖と同じ宗派である。
(本能寺の変の寝間着姿 イラストby龍女)
今回の岡田准一の織田信長は、脚本家古沢良太と役が共通するためジャニーズ事務所の先輩木村拓哉が出た
『Legend&Butterfly』と比較されている。
同じ脚本家でありながら信長の本能寺の変の描写が違うのは、俳優が違うだけではない。
信長をどういう視点のテーマで扱っているかの違いでもある。
木村拓哉が演じたのは、帰蝶(綾瀬はるか)とのラブストーリーの相手役
岡田准一が演じたのは、家康(松本潤)の友情物語の相手役なのである。
対人関係の違いを描く作品として、古沢良太の一番分かり易い作品がある。
舞台の会話劇から映画化された『キサラギ』(2007)である。
2006年の2月4日に自殺したマイナーアイドル・如月ミキの一周忌にファンサイトを通じて集まった5人の男を描く密室劇だ。
この中で5人にとって、マイナーアイドル如月ミキとはなんだったのか語られていく。
この作品のように、相手役との間にしか分からない個人的な関係によって人生を賭けた行動を起こすと言う構造が、古沢良太の脚本の大きな特徴である。
(古沢良太 イラストby龍女)
織田信長は、戦国時代の最大のアイドルと言っても過言ではない。
殺した明智光秀がすぐに殺されたことも含めて、謎の死になってしまい黒幕は誰なのかと未だに論争が絶えない。
それすらもアイドルの証になってしまっている。
『どうする家康』では信長を演じる岡田准一も柘植伊佐夫もこの脚本の中の信長をどう膨らませていくか?
見事に応えてくれたのである。
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柘植伊佐夫は前の頁で触れた馬廻り衆の「黒母衣衆」をヒントに岡田信長が成人してからのイメージカラーは黒にした。
桶狭間の戦いの直後に久々に再会するときである。
史実の信長の格好というよりは家康が抱く信長の怖いイメージを優先して、イラストの信長の衣装は後の時代の南蛮風のファッションを少し取り入れている。
(桶狭間の戦いの直後 イラストby龍女)
仏教伝来の頃には伝わっていたが僧侶が頭の毛を剃るために用いた仏具だった剃刀を一般庶民が使うきっかけを作ったのが信長である。
月代(さかやき)と呼ばれる武士独特のヘアースタイルを整えるためである。
江戸時代になって、元服後は前髪を剃って、月代をするようになる。
前髪を剃らないでオールバックのようにまげを結った状態の髪型を総髪(そうはつ)というが、これは室町時代までは一般的な男性の髪型である。
従来のイメージの茶筅髷ではなく、総髪からのちょんまげとしたのは信長の性格の中の新しもの好きをより強調した人物デザインだ。
(岡田准一の月代姿 イラストby龍女)
③出てこない人物・エピソードがある
1983年の『徳川家康』での本能寺の変と比べてみよう。
織田信長(役所広司)は外の不穏な物音に気づいて起きる。
小姓と濃姫(藤真利子)と一緒に戦う。
信長は濃姫が討ち死にしたのを見届けて自害する。
『どうする家康』では、濃姫どころか最も愛した側室と言われる生駒吉乃すら出てこない。
さて他に気になる点と言えば、役所広司の信長は月代の茶筅髷ではなく総髪の茶筅髷にしている。
大河ドラマで本能寺の変を描いた最も古い作品
『太閤記』(1965)で演じた高橋幸治も総髪の茶筅曲げだったのでその型に従ったのだろうか?
信長は、本能寺の変の頃は長男の信忠に家督を譲っていたので、そういうことを髪型で表したのだろうか?
明智光秀が本能寺の変を起こす動機は信長と信忠がかなり近くの距離で京都に滞在していたからである。
光秀(酒向芳)は台詞で信忠に触れているが、一切登場していない。
1992年に放送された織田信長(緒形直人)が主役の『信長 KING OF ZIPANGU』は月代の茶筅髷にかわった。
もちろん信忠(東根作寿英)も登場する。
(役所広司の織田信長 イラストby龍女)
岡田准一の場合は第27回『安土城の決闘』で、家康に自分を殺すように挑発する。
信長を討つかどうか逡巡する家康。
堺で偶然出会った信長の妹のお市に兄が一番楽しかった時代が家康との少年時代だったと打ち明けられる。
本能寺にいた信長は寝込みを後ろから何者かに刺される。
覆面を外すと家康の顔が顕われるが、それは信長の幻覚であった。
信長は白い寝間着を真っ赤に染めた姿は、楽しかった少年時代を思い出していることを示す。
「家康、家康」と叫ぶが、討手が明智光秀だと分かるとがっくりして火のついた本能寺の奥の間へ去って行く。
信長は、桶狭間の時は不意打ちで討つ側の大将だったが、本能寺の変では討たれる側の大将である。
この時、どちらかで信長が必ず舞う演目がある。
幸若舞の敦盛である。
その中で信長がお気に入りだった箇所が
「人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻の如くなり」である。
これは源平合戦の一つ、一ノ谷の戦い(平安時代末期の寿永3年/治承8年2月7日(1184年3月20日)に摂津国福原および須磨で行われた戦い)の時のエピソードが元になっている。
熊谷直実(1141~1207)は若き貴公子敦盛を討ち取った。
自分の息子・直家と同じ年頃の美少年を討ち取ったショックは大きく、後に出家して法然の弟子法力房 蓮生 (ほうりきぼう れんせい)と称した。
法然の起こした浄土宗は、家康の先祖と同じ宗派である。
(本能寺の変の寝間着姿 イラストby龍女)
今回の岡田准一の織田信長は、脚本家古沢良太と役が共通するためジャニーズ事務所の先輩木村拓哉が出た
『Legend&Butterfly』と比較されている。
同じ脚本家でありながら信長の本能寺の変の描写が違うのは、俳優が違うだけではない。
信長をどういう視点のテーマで扱っているかの違いでもある。
木村拓哉が演じたのは、帰蝶(綾瀬はるか)とのラブストーリーの相手役
岡田准一が演じたのは、家康(松本潤)の友情物語の相手役なのである。
対人関係の違いを描く作品として、古沢良太の一番分かり易い作品がある。
舞台の会話劇から映画化された『キサラギ』(2007)である。
2006年の2月4日に自殺したマイナーアイドル・如月ミキの一周忌にファンサイトを通じて集まった5人の男を描く密室劇だ。
この中で5人にとって、マイナーアイドル如月ミキとはなんだったのか語られていく。
この作品のように、相手役との間にしか分からない個人的な関係によって人生を賭けた行動を起こすと言う構造が、古沢良太の脚本の大きな特徴である。
(古沢良太 イラストby龍女)
織田信長は、戦国時代の最大のアイドルと言っても過言ではない。
殺した明智光秀がすぐに殺されたことも含めて、謎の死になってしまい黒幕は誰なのかと未だに論争が絶えない。
それすらもアイドルの証になってしまっている。
『どうする家康』では信長を演じる岡田准一も柘植伊佐夫もこの脚本の中の信長をどう膨らませていくか?
見事に応えてくれたのである。
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