島津亜矢は和田アキ子以上!?コンサートを鑑賞して「歌怪獣」と呼ばれる所以が分かった!

2023/6/16 17:00 龍女 龍女

クライマックス前の新曲を披露する前に
『もう一度ふたりで歌いたい』(1986年・和田アキ子)を取り上げた。
これは新曲の参考にした、サビで観客と歌うゴスペル調の曲であるという意図の選曲のようだ。
母は
「和田アキ子より良いね」
と言った。
和田アキ子のキャッチフレーズと言えば
「和製リズム&ブルースの女王」である。
島津亜矢は、演歌歌手であるが、外国の人に演歌を紹介する際に”Japanese Blues”と説明することが正しいことを証明している。

熊本で演歌と言えば
大声を張り上げて出す応援歌の水前寺清子(1945年10月9日 生れ)
力を抑制するささやき声がJAZZと親和性のある八代亜紀(1950年8月29日生れ)
を輩出した土地柄である。

作詞家・星野哲郎(1925~2010)を「恩師」としている点では、水前寺清子と島津亜矢は親子ほどの年の差はあるが、姉妹弟子と言っても過言ではない。

今我々が演歌と認識しているモノは、実は1969年デビューの藤圭子(1951~2013)が出現以降に徐々に体系化された。
それまでの同じ傾向の歌は『流行歌』『歌謡曲』と広い範囲を示していたがジャンルとして確立したと言う意味である。
1971年生れの島津亜矢の人生は演歌の多様性を内包しているのである。

今回のコンサートで島津亜矢のオリジナルは2曲。
まずはこのコンサートのタイトルになった5月31日発売の
『SINGALONG』(作詞 渡辺なつみ 作曲 江﨑文武・小川翔)

「“シンガロン”というのは、みんなで歌おうという意味です。本当は“SING A LONG”なんですが、難しいので(笑)、“シンガロン”と読んでいます。造語です」
サビで題名の言葉を流して発音する「シンガロン」を観客と一緒に歌う。
この曲は非常に口ずさみやすいメロディだからこそ島津亜矢にふさわしい。

筆者も中学の音楽の授業でコーラス曲として習ったフォークソング
『あの素晴らしい愛をもう一度』(1971年・加藤和彦と北山修)を挟んだ。

カップリング曲『笑い話』(作詞 いしわたり淳治 作曲・編曲 村松崇継)でエンディングを向かえた。
「若い人に曲を書いて貰いました」
と52歳の島津亜矢が言っていた。

アンコールとして、『上を向いて歩こう』(1961年・坂本九)で、大団円を迎えた。
思わず筆者も
「ブラーヴァ!」と叫んだ。

帰り道、物販で記念にポスター(1000円)を購入した後、講堂を出てすぐにスタッフに挨拶をしているサングラスをした人物を見かけた。
新曲『笑い話』の作詞家、いしわたり淳治(1977年8月21日生れ)だった。
思わず
「あ、いしわたりサンだ!」
と叫んでしまった。
筆者は音楽番組『関ジャム 完全燃SHOW』をよく観ているので顔を知っていたのだ。
この場を借りて、大変失礼しました。


(作詞家いしわたり淳治 イラストby龍女) 

せっかくなので調べていたら、筆者も名前は知っているバンドSUPERCAR(1995~2005)のギタリストと作詞担当から音楽活動を始めたそうだ。
作詞家としての初期のヒット曲は『愛をこめて花束を』(2008年・Superfly)である。


島津亜矢は過去の大歌手の良さをも取り込んでしまう「歌怪獣」ぶりを発揮していた。
筆者は人見記念講堂という音響の素晴らしい会場で、島津亜矢と現役の作詞家とのコラボで終わったコンサートを通して、日本のポップスの歴史を凝縮した濃密な時間を過ごす事が出来たのである。


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