朝ドラ『らんまん』で笠崎みえ役で出演する宮澤エマが、低迷の時代から『おちょやん』で映像メディアでブレイクするきっかけになったこととは?

2023/5/19 17:00 龍女 龍女

宮澤エマの生い立ちは、ご存じの方も多いだろう。
大蔵(現・財務省)官僚出身の第78代内閣総理大臣(在任期間1991年11月5日~1993年8月9日)宮澤喜一(1919~2007)を母方の祖父に持つ。

宮沢喜一は旧学制時代の東京大学法学部出身で、妻になる伊地知庸子(1920~2014)は東京女子大学英語専攻部卒業。
学生時代に1939年の「日米学生会議」で出逢ったそうだ。
その間に生れた長女が宮澤エマの母になる宮澤啓子である。
父は元駐日アメリカ合衆国首席公使(1998~2001)のクリストファー・ラフルアー(1949年12月12日生れ)である。
テストの採点が100点が当たり前のエリート一家の出のため、90点でも落ちこぼれの部類だったそうだ。
エマの姉は優秀だったそうだが、小学校の時に歌の稽古をしている時に
「これなら私は勝てる!」
と、思ったそうだ。
さて同じ頃に、有名なエピソードがある。
スポニチ2021年10月6日付の記事より筆者の補足を付け引用する。

「おじいさまと遊びに言った記憶」 を問われると、
「本当に仕事人間だったので正直そんなに記憶にないんですよ」
と前置きした上で、
「でも唯一、一緒にお買い物に行ったって思い出がありまして」
とエピソードを切り出した。

宮澤が「7歳くらい」の誕生日のこと。
喜一氏から
「何が欲しいの?」
と尋ねられたという。
当時は「たまごっち」が大ブーム。
宮澤は「たまごっちが欲しいって言ったら(喜一氏が)『今から買いに行こう』って急に言い出して。SPさんを引き連れて、原宿のおもちゃ屋さんめがけて」
と振り返った。

「その時は祖父がどういう存在か、いまいち理解できていなかった」
宮澤だったが、目の前には信じられない光景が。
「原宿の町を歩いていると『モーセの十戒』みたいに人が開けていって。私のおじいちゃんヤバくないって気付いて。あれはビックリしました」
と笑った。

玩具店(原宿のキデイランドと思われる)に到着すると、たまごっちを求める人々で行列ができていた。
「どうするんだろうなって思っていたら、おじいちゃんがすごい大きな声で『たまごっちください!』って言った」
と明かし、
「みんな並んでいるのに、何言いだすんだろうって。店員さんも権力に屈したらいけないと思ったと思うんですけど、『並んでください』って言って。その日は別のものにしてって、帰ったんですけど」
と懐かしそうに話した。

宮澤はその後の展開も説明した。
喜一氏が原宿を訪れたその様子が、メディアに写真とともに伝えられたとし、
「記事になって後日(発売元の)バンダイさんから、たまごっちが送られてきました。一番の私の自慢エピソードです、これが」
と話し、盛り上げていた。


エマはその後、高校は聖心インターナショナルスクールに入る。
合唱部(グリークラブ)で重要な出逢いをする。
それは宮本師門である。
誰?
と思いになるだろうが、この人物はあの演出家宮本亞門(1958年1月4日生れ)の異母弟である。
宮本亞門の父・亮祐の再婚相手の子供で年の差が20歳以上である。

宮澤エマは、アメリカのオクシデンタル大学の宗教学(1年間だけケンブリッジに留学)を卒業後、2012年の春に芸能界にデビューする。
初めての出演は、『ネプリーグ』で第74代総理大臣竹下登の孫のDAIGO(1978年4月8日生れ)と同じ「総理の孫」枠での起用であった。

先程の「たまごっち」エピソードでバラエティに出たが、DAIGOと比べるとお爺さんエピソードが多いわけではない。
ほぼこれは唯一と言って良い。
一通りバラエティ番組に出ると、すぐにお声がかからなくなった。

これではまずいとなった頃に、声をかけてくれたのが先程の宮本亞門である。
「ミュージカルのオーディションを受けませんか?」
その作品『スウィーニー・トッド』は役に合わないと不合格だった。
別の作品『メリリー・ウィー・ロール・アロング〜それでも僕らは前へ進む〜』(2013年11月~12月)で、メアリー役に抜擢された。
これ以降はテレビでは、情報番組のコメンテーターなどと並行して、舞台俳優としてミュージカルを拠点に活躍し始める。

宮澤家はインテリの一族で、大金持ちのイメージもあるかもしれない。
上流階級の中では決して裕福な方ではない。
家訓は「働くモノ食うべからず」だそうだ。
祖父の喜一は学生の頃(太平洋戦争中)、なけなしのお金を能に費やしていたそうで、舞台芸術には関心があった。
また父方の祖母も、アマチュアの舞台俳優をしていたそうで、彼女の芸能界入りには応援していたようである。
本人は当初は踊りの稽古はしていなかったようで、ミュージカルに出られるとは思っていなかったようだ。
地道な努力家ではあるので今ではミュージカル俳優として名作のヒロイン役や重要な脇役を数多く演じている。

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