映画『レジェンド&バタフライ』のレジェンドは木村拓哉の織田信長。TVドラマ、トヨタのCM、そして映画。3度目の織田信長役でどんな伝説を作るのか?

2023/1/27 09:00 龍女 龍女

今回のテーマは
木村拓哉(1972年11月13日生れ)と


(織田信長を演じる木村拓哉 イラストby龍女)

織田信長(1534~1582)である。


(狩野宗秀が描いた長興寺の織田信長の肖像画の模写 イラストby龍女)

木村拓哉は、1月27日に公開される映画
『THE LEGEND & BUTTERFLY
 レジェンド&バタフライ』
で織田信長を演じるからである。

なお、今回のコラムは映画上映前に書いていてネタバレはないのでご安心を。

筆者は戦国3英傑(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)の中では徳川家康派である。
しかし、学校の授業中、教科書に一番落書きして描いたのは、信長の顔である。
似顔絵を描く立場から言うと、信長は描きやすいのである。

信長の肖像画は、複数残っている。
一番有名なのは、重要文化財長興寺所蔵である。
長興寺は愛知県豊田市にある臨済宗東福寺派の寺院である。
描いたのは、信長の御用絵師の狩野永徳(1543~1590)の弟
狩野宗秀(1551~1601)である。
天正11年(1583)の6月2日、つまり一周忌法要のために描かれた肖像画だと言うことが文章として添えられている。

信長を肖像画を描いたのが、天才とも言われた兄の狩野永徳ではない。
永徳は多忙すぎた。
狩野永徳が信長の居城、安土城の障壁画を手がけた。
狩野宗秀は、その時狩野派の家屋敷の留守を預かっていた。
信長の権力が頂点に近い時代であったので、不興を買って手討ちにされたときの保険だった。

永徳は狩野派の親方であったので、一人で描ける肖像画を描く暇が無かった。
宗秀にお鉢が回ってきたのである。

狩野永徳は1590年の9月、長興寺の本山に当たる東福寺にいた。
秀吉の御用絵師として、再興事業に参加していた。
法堂の天井画の龍図の制作中に病気にかかり、直後に亡くなった。
過労死と言われている。

東福寺は狩野派にとって大事な顧客であった。
東福寺の末寺長興寺で、信長の肖像画が残っているのにはそういう意味があるようだ。

さて、この肖像画でも描きやすい信長はこれまで時代劇で数多く登場した。
歴史上の人物でもトップクラスに属する。
歴代の主役クラスの俳優が演じてきた定番と言っても過言ではない。

それを調べていくとどうしても膨大になりそうなのでやめておく。
今、日本を代表するスーパースター木村拓哉に限っても、今回の映画で3度目の信長役だ。
筆者は信長を演じる俳優として日本芸能史上最適解の人物だと考えている。
木村拓哉本人も、木村家の家紋が織田家と同じ木瓜(もっこう)紋で縁を感じているそうだ。

そこで、これから初めて時代劇を観る人も時代劇好きの人も
木村拓哉がいつ何処で過去2回信長を演じたか?
映画『THE LEGEND & BUTTERFLY』の予習として、詳しくみていこう。

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