ぴったりのハズだから『それいけ!アンパンマン』『遺留捜査』の戸田恵子にどうしても出て欲しいあの番組とは?

2022/9/15 22:00 龍女 龍女

戸田恵子は名古屋出身である。
母親のすすめで小学校5年生からNHK名古屋放送児童劇団に在籍したのが大きい。

朝ドラマニアの人なら、JOAK-TVからAK(東京制作)とBK(大阪制作)と言う二つの大きなNHKのドラマ制作の拠点はご存じかもしれない。
実はJOCK-TVことCK(名古屋)制作のドラマも若手俳優の育成に寄与してきた歴史がある。
その代表格が1972年から2012年まで放送されていた『中学生日記』である。
これは主に30分の番組として放送された学園モノであるが、ドキュメンタリーに近い作りだったそうだ。
その為、現役の中学生が出ていることが売りだった。
戸田恵子が現役の中学生の頃は『中学生群像』という『中学生日記』の前身にあたる題名のドラマに出演していた。

フジテレビ『日清ちびっこのどじまん』の東海地区チャンピオンなどを経て、1974年に上京した。
あゆ朱美の芸名でアイドル演歌歌手としてデビューした。
歌手としては売れず、TV番組のリポーターなどをしていた頃に、戸田恵子のその後のキャリアを決定づける一人目の人物に出逢う。
野沢那智(1938~2010)である。
1977年に野沢那智が主宰する劇団薔薇座(第一期1963~1975、第2期1977~1992)に研究生として入団する。
演出家としての野沢那智は相当厳しかったようだ。

野沢那智は日本の声優のパイオニアの一人で、教え子達は今でも活躍する人たちも多い。
玄田哲章、高島雅羅、難波圭一、鈴置洋孝(1950~2006)などがいる。


(野沢那智 イラストby龍女)

劇団薔薇座は第2期のミュージカル劇団として、元々歌手であった戸田恵子にとっては非常に入りやすいジャンルのお芝居であったようだ。
主演した『スイート・チャリティー』(1988年 六本木 俳優座劇場)で文化庁芸術祭賞(演劇部門)を受賞した。
小学6年生だった筆者は流石にこの舞台は観ていないが、『スイート・チャリティー』がどんな内容かは知っている。
元々はフェデリコ・フェリーニの映画『カリビアの夜』をブロードウェイミュージカルにした。
振付師・演出家はボブ・フォッシー(1927~1987)で1962年初演である。
後に1968年に映画化された。ボブ・フォッシーの映画監督デビュー作である。
この時の主役はシャーリー・マックレーン(1934年4月24日生れ)だった。
これはダンサーのチャリティ・ホープ・ヴァレンタインが店の客であるオスカー・リンドクィストにプロポーズされるが様々なトラブルに見舞われるコメディだ。
このチャリティというキャラクターを一言で例えると、ゴリエである。

この時期舞台俳優としてミュージカルの人として評価されていた戸田恵子は歌手としてNHKのある番組のレギュラーをやっていた。
『音楽・夢コレクション』(1989年4月~1991年3月)である。
筆者がTVに出ている戸田恵子を観たのが、この番組が初めてになる。
他には、島田歌穂や森公美子、中島啓江(1957~2014)などが当時売り出し中の女性ミュージカル俳優が出演していた。
もう一人のレギュラーが後に『マツケンサンバⅡ』の作曲者として有名になる宮川彬良(1961年2月18日生れ)である。
ちなみに筆者は宮川彬良の出身高校の和光高校の後輩に当たる。
面識は無い。
今年の同窓会誌には彬良先輩の著書が掲載されていた。
戸田恵子とはNHKBS2で放送されていた『どれみふぁワンダーランド』(2008年特番、2009年4月~2011年3月)でも共演している。

さて次は同じ時期に始まっていた声優としての戸田恵子を観ていこう。

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