11年ぶりにニュー・アルバム『SOFTLY』を発売する山下達郎が、長年こだわってあえてしなかった事とは?

2022/6/9 22:00 龍女 龍女

1972年に友人と自主制作アルバム『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』を作る。
カバー曲集で、ビーチボーイズとドゥー・アップとロックン・ロールで構成されていた。
1973年に、この時知り合った大貫妙子(1953年11月28日生れ)達と
シュガーベイブを結成。


(大貫妙子。 イラストby龍女)

自主制作アルバムを聴いていた大滝詠一(1948~2013)と知り合う。
山下達郎ははっぴいえんど(メンバーは大滝詠一・細野晴臣・鈴木茂・松本隆)の解散ライブのバックコーラスを務める。
1975年の4月、大瀧詠一のナイアガラ・レーベルから、アルバム『ソングス』
シングル『ダウンタウン』(作詞は伊藤銀次)でデビューする。


(大滝詠一。 イラストby龍女)

この曲は1981年に始まったフジテレビの土曜夜8時のコント番組
『オレたちひょうきん族』のエンディングに使用された。
EPO(1960年5月12日生れ)のデビュー曲が有名だが、元々はシュガーベイブのカバーである。
EPOは1980年には竹内まりやの『SEPTEMBER』のセッションコーラスなどをしていた。
シュガーベイブのこの曲が好きだったので、自らのデビュー曲としても選んだそうだ。

しかし、1年後の1976年の4月にシュガーベイブを解散。
10月に『サーカス・タウン』でソロ・デビュー。
79年の春に、78年の12月に出たサード・アルバム『ゴー・アヘッド!』の中の
『ボンバー』が、関西のディスコを中心にヒットした。

この曲はアイズリー・ブラザーズ風のファンク調のダンスナンバー。
作詞は、シンガーソングライターで、『夢で会えたら』(大滝詠一作詞作曲)の歌唱でも有名な吉田美奈子(1953年4月7日生れ)である。
この時期の作詞は、吉田美奈子が手がけたモノが多い。


(吉田美奈子。 イラストby龍女)

80年の5枚目のアルバム『ライド・オン・タイム』がヒットし、これ以降はアルバムを出す度にヒットするようになる。


80年代以降は更なる躍進をする。
それを観ていこう。

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