『鎌倉殿の13人』で悲劇の貴公子・源義高を演じた市川染五郎が出席したトークイベントに潜入。素顔はどんな人?

2022/5/6 16:00 龍女 龍女

今回のコラムの主役は、
歌舞伎俳優・八代目市川染五郎(2005年3月27日生れ)である。


(『鎌倉殿の13人』の1シーンから引用 イラストby龍女)

5月3日に行われた埼玉県狭山市民会館大ホールでの『鎌倉殿の13人』トークイベントのリポートをお送りしたい。
筆者は母と二人で応募したところ、抽選に当選した。
イベントは、清水拓哉チーフ・プロデューサーと市川染五郎の二人の話をNHKさいたま放送局のアナウンサー猪崎那紗が司会として聞く形で行われた。


演じた源義高は、信州を拠点に活動した木曽(源)義仲(1153~1183。演じたのは青木崇高)の息子である。
源氏の棟梁をめぐって「鎌倉殿」こと源頼朝(大泉洋)と争っていた。
平家を倒す目的のために直接戦う訳にはいかないから、連携関係を保つ為に人質として義仲が頼朝陣営に送ったのが、嫡男の義高であった。
ただ人質となるには都合が悪いので、頼朝と政子(小池栄子)の長女・大姫(落井実結子)の許嫁として鎌倉に迎えられる。

鎌倉方よりも先に京へ攻め上った義仲軍は、平家を追い出したのに関わらず、朝廷との交渉に失敗した。
義仲は、朝敵となって、頼朝の命で派遣された弟の源範頼(迫田孝也)と義経(菅田将暉)の鎌倉軍によって、宇治川の戦いで攻められて敗戦した後、討ち死にした。

これによって、義高は父の敵になった頼朝によって命を狙われるようになった。
大姫はすっかり義高を慕うようになっており、逃がすために女装させて、生れ故郷の比企郡へむかい逃亡した。
実は父は木曽義仲として有名な武将だが、生れはその父・源義賢(?~1155)が関東の拠点とした武蔵国比企郡大蔵である。
義高もそこに向かっていたのである。
しかし、追っ手に見つかり、殺された。
その場所が現在の狭山市の入間川の河原であった。
享年わずか12であった。
源義高が美少年だったのは、おそらく史実である。
その根拠になるのは、祖父の義賢が、保元の乱の首謀者である藤原頼長(1120~1156)の男色の相手になったからだ。
当時の貴族の相手になるような武士であったから、さぞや美青年であっただろう。



トークイベント当日には時間が無いので、数日前に義高の終焉の地に行ってみた。
小さな神社だが、樹齢100年以上のよく手入れされた銀杏の木が植えてあった。


筆者は、初めて生で観る市川染五郎君はどんな男子かと、
いそいそと狭山市市民会館大ホールへ向かっていったのであった。

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