大坂なおみはこれからどんな選手をめざすべきなのか?ウィル・スミス主演の『ドリームプラン』にそのヒントがあった!
少しだけ、フロリダに行く前の話をしよう。
邦題となった『ドリームプラン』とは、リチャード・ウィリアムズが書いた78ページに及ぶ計画書だ。
原題は『キング・リチャード』である。その理由について後述する。
ヴィーナスとセリーナを一流のテニス選手にするための計画(プラン)である。
きっかけになった出来事がある。
1977年にフロリダのオープンを勝ったルーマニアの選手、バージニア・ルジッチ(1955年1月31日生れ)である。
4日間の大会で4万ドルの賞金を獲得した姿に衝撃を受けたのだ。
リチャードにとって4万ドルは一年でやっと稼げる金額なのだ。
バージニア・ルジッチは翌年の1978年には全仏オープンを優勝した。
ウィリアムズ一家が住んでいたロサンゼルスには、彼らが住んでいたコンプトン地区から車で30分ほどのところに高級住宅街ハリウッドやビバリーヒルズがあった。
テニスコートを構える広い敷地をもった豪邸もある。
テニスは欧州の貴族文化から生れたスポーツであるため、まだまだお金持ちのイメージは未だに強い。
皆さんは、テニスというとお金持ちのスポーツであるというイメージが無いだろうか?
フランスの王侯貴族のラケットを使ったボール遊びから、イギリスに渡って近代テニスが誕生した歴史がある。
映画本編の中でも、リチャード・ウィリアムズが目標とするテニスの世界大会の場所としてウィンブルドンを挙げている。
そこはテニスの最高峰、4大大会(全米・全豪・全仏・全英)の内、全英が行われるイギリスの地名であり、最も歴史が古い大会だ。
コンプトンにもテニスコートはあった。
1980年代の前半、練習しているアフリカ系の住人は少なく、ほぼウィリアムズ家の人々だけであったらしい。
夜も練習を続けていた為、地元のギャングに目を付けられるほどであった。
初心者から中級クラスまではそれに見合ったコーチがいる。
この段階ではテニスコーチとしては素人に近いリチャード・ウィリアムズも教えられるレベルにあった。
プロになる手前の上級者ジュニアのコーチには、優秀なコーチの手を借りなければプロになるのは難しい。
コートの上ではどういう戦い方をしたら良いか?
実戦経験を持ったレベルの高いコーチの力を借りなければ、プロになることは難しい。
映画ではプロのコーチを探し続けるリチャードの姿から始まっていく。
ヴィーナスとセリーナがプレイをしている様子をホームヴィデオで撮影した。
娘たちのプレゼンをするための宣材ヴィデオである。
プロコーチたちを行脚して売り込みをかけた。
しかし、なかなかほぼ無償で指導するコーチなど見つからない。
探しに探したあげく、何とか優れたコーチを見つけた。
ジョン・マッケンロー(1959年2月16日生れ)や、今は錦織圭のコーチとして有名なマイケル・チャン(1972年2月22日生れ)と歴代の男子のチャンピオンを育てたポール・コーエンである。
(最初のコーチ、ポール・コーエン。映画で演じたトニー・ゴールドウィンと本人 イラストby龍女)
しかし、この時、教えてもらえたのは姉のヴィーナスだけであった。
実はポールが質問をしたときに、ヴィーナスは即答したが、セリーナは父の顔をチラリと見てしまったために選ばれなかったのだ。
そこで、リチャードはヴィーナスの練習風景をヴィデオに撮る。
一方のセリーナの練習はオラシーンが観た。
オラシーン・プライス(1952年4月3日生れ)は本職は看護師である。
出身地はミシガン州サギノー。
オラシーンが生れた2年前の1950年にスティーヴィー・ワンダーが生れた街であり、1981年にセリーナが生れた場所でもある。
州立の西ミシガン大学を卒業した才媛で、テニス経験もあった。
ヴィーナスが1989年にジュニア選手権に出場し始めると69連勝する。
ところがリチャードはここで一大決心をする。
ポール・コーエンとのコーチ契約を切り、次のコーチを探し始めたのだ。
15歳で全英と全米をベスト4まで進出して「天才少女」と呼ばれたジェニファー・カプリアティ(1976年3月29日生れ)を育てた
リック・メイシー(1954年12月7日生れ)である。
フロリダ州には成功した富豪が余生として過ごす別荘を構える地域、パームビーチ郡がある。
そのリック・メイシーの「リック・メイシー・テニス・アカデミー」がフロリダのパームビーチ郡デルレイビーチに構えていた。
リチャードはロサンゼルスで就職した長女を除いて一家ごと、フロリダに居住することにした。
リック・メイシーとは将来稼ぎ出す賞金の15%をコーチ料として、当面は授業料を免除してもらう契約を結んだ。
(2番目のコーチ、リック・メイシー。映画で演じたジョン・バーンサルと本人 イラストby龍女)
映画には登場しないが、伊達公子(1970年9月28日生れ)は
現役選手だった1990年代前半、アメリカの試合に出ていた頃にある噂を聞いた。
「これから出てくる凄い姉妹がいるんだよ」
2月3日の「映画『ドリームプラン』スペシャルトークイベント」で語っている。
今回の映画では字幕の監修を務めている。
(映画の字幕監修を手がけた伊達公子 イラストby龍女)
リチャードは、リック・メイシーが育てたジェニファー・カプリアティが麻薬で捕まった出来事に影響され、3年間、ヴィーナスをジュニアの試合に出させなかった。
何とかオラシーンの説得もあって初めてトッププロとの試合に出るがどうなったか?
ヴィーナスがプロになる直前までを描いた映画であった。
今もウィリアムズ姉妹はフロリダに住んでいるが、実は今はリチャードはコーチとして娘には関わっていない。
参考に映画に描かれていないその先についても、触れておこう。
邦題となった『ドリームプラン』とは、リチャード・ウィリアムズが書いた78ページに及ぶ計画書だ。
原題は『キング・リチャード』である。その理由について後述する。
ヴィーナスとセリーナを一流のテニス選手にするための計画(プラン)である。
きっかけになった出来事がある。
1977年にフロリダのオープンを勝ったルーマニアの選手、バージニア・ルジッチ(1955年1月31日生れ)である。
4日間の大会で4万ドルの賞金を獲得した姿に衝撃を受けたのだ。
リチャードにとって4万ドルは一年でやっと稼げる金額なのだ。
バージニア・ルジッチは翌年の1978年には全仏オープンを優勝した。
ウィリアムズ一家が住んでいたロサンゼルスには、彼らが住んでいたコンプトン地区から車で30分ほどのところに高級住宅街ハリウッドやビバリーヒルズがあった。
テニスコートを構える広い敷地をもった豪邸もある。
テニスは欧州の貴族文化から生れたスポーツであるため、まだまだお金持ちのイメージは未だに強い。
皆さんは、テニスというとお金持ちのスポーツであるというイメージが無いだろうか?
フランスの王侯貴族のラケットを使ったボール遊びから、イギリスに渡って近代テニスが誕生した歴史がある。
映画本編の中でも、リチャード・ウィリアムズが目標とするテニスの世界大会の場所としてウィンブルドンを挙げている。
そこはテニスの最高峰、4大大会(全米・全豪・全仏・全英)の内、全英が行われるイギリスの地名であり、最も歴史が古い大会だ。
コンプトンにもテニスコートはあった。
1980年代の前半、練習しているアフリカ系の住人は少なく、ほぼウィリアムズ家の人々だけであったらしい。
夜も練習を続けていた為、地元のギャングに目を付けられるほどであった。
初心者から中級クラスまではそれに見合ったコーチがいる。
この段階ではテニスコーチとしては素人に近いリチャード・ウィリアムズも教えられるレベルにあった。
プロになる手前の上級者ジュニアのコーチには、優秀なコーチの手を借りなければプロになるのは難しい。
コートの上ではどういう戦い方をしたら良いか?
実戦経験を持ったレベルの高いコーチの力を借りなければ、プロになることは難しい。
映画ではプロのコーチを探し続けるリチャードの姿から始まっていく。
ヴィーナスとセリーナがプレイをしている様子をホームヴィデオで撮影した。
娘たちのプレゼンをするための宣材ヴィデオである。
プロコーチたちを行脚して売り込みをかけた。
しかし、なかなかほぼ無償で指導するコーチなど見つからない。
探しに探したあげく、何とか優れたコーチを見つけた。
ジョン・マッケンロー(1959年2月16日生れ)や、今は錦織圭のコーチとして有名なマイケル・チャン(1972年2月22日生れ)と歴代の男子のチャンピオンを育てたポール・コーエンである。
![](https://ima.xgoo.jp/column/img2/ryujo/KingRichard06.jpg)
(最初のコーチ、ポール・コーエン。映画で演じたトニー・ゴールドウィンと本人 イラストby龍女)
しかし、この時、教えてもらえたのは姉のヴィーナスだけであった。
実はポールが質問をしたときに、ヴィーナスは即答したが、セリーナは父の顔をチラリと見てしまったために選ばれなかったのだ。
そこで、リチャードはヴィーナスの練習風景をヴィデオに撮る。
一方のセリーナの練習はオラシーンが観た。
オラシーン・プライス(1952年4月3日生れ)は本職は看護師である。
出身地はミシガン州サギノー。
オラシーンが生れた2年前の1950年にスティーヴィー・ワンダーが生れた街であり、1981年にセリーナが生れた場所でもある。
州立の西ミシガン大学を卒業した才媛で、テニス経験もあった。
ヴィーナスが1989年にジュニア選手権に出場し始めると69連勝する。
ところがリチャードはここで一大決心をする。
ポール・コーエンとのコーチ契約を切り、次のコーチを探し始めたのだ。
15歳で全英と全米をベスト4まで進出して「天才少女」と呼ばれたジェニファー・カプリアティ(1976年3月29日生れ)を育てた
リック・メイシー(1954年12月7日生れ)である。
フロリダ州には成功した富豪が余生として過ごす別荘を構える地域、パームビーチ郡がある。
そのリック・メイシーの「リック・メイシー・テニス・アカデミー」がフロリダのパームビーチ郡デルレイビーチに構えていた。
リチャードはロサンゼルスで就職した長女を除いて一家ごと、フロリダに居住することにした。
リック・メイシーとは将来稼ぎ出す賞金の15%をコーチ料として、当面は授業料を免除してもらう契約を結んだ。
![](https://ima.xgoo.jp/column/img2/ryujo/KingRichard07.jpg)
(2番目のコーチ、リック・メイシー。映画で演じたジョン・バーンサルと本人 イラストby龍女)
映画には登場しないが、伊達公子(1970年9月28日生れ)は
現役選手だった1990年代前半、アメリカの試合に出ていた頃にある噂を聞いた。
「これから出てくる凄い姉妹がいるんだよ」
2月3日の「映画『ドリームプラン』スペシャルトークイベント」で語っている。
今回の映画では字幕の監修を務めている。
![](https://ima.xgoo.jp/column/img2/ryujo/KingRichard03.jpg)
(映画の字幕監修を手がけた伊達公子 イラストby龍女)
リチャードは、リック・メイシーが育てたジェニファー・カプリアティが麻薬で捕まった出来事に影響され、3年間、ヴィーナスをジュニアの試合に出させなかった。
何とかオラシーンの説得もあって初めてトッププロとの試合に出るがどうなったか?
ヴィーナスがプロになる直前までを描いた映画であった。
今もウィリアムズ姉妹はフロリダに住んでいるが、実は今はリチャードはコーチとして娘には関わっていない。
参考に映画に描かれていないその先についても、触れておこう。