ジャニーズファンは必見!?巨匠・スティーヴン・スピルバーグ監督がリメイクした『ウエスト・サイド・ストーリー』を観るべき理由とは?

2022/2/17 22:00 龍女 龍女

公開前の番宣CMでは、少年隊の東山紀之(1966年9月30日生れ)が登場していた。
青山劇場で開催され、少年隊が1986年から2008年まで主演を務めた『PLAYZONE 2004 WEST SIDE STORY』でトニーを演じている。
しかし、過去に舞台でトニーを演じただけで、CMに出たわけではない。
名作であるために何度も再演されているので、トニーを演じた俳優は他にも沢山いるからだ。
それより深い理由が存在する。

ジャニーズ事務所の創業は、1962年の6月である。
アメリカ大使館で通訳として働いていた日系アメリカ人のジャニー喜多川(1931~2019)は、代々木の在日米軍宿舎のワシントンハイツに住んでいた。
近所で少年野球チームのコーチを務めていた。
紆余曲折を経て『ジャニーズ少年野球団』と言う名前になっていた。
雨になると野球の練習ができなくなる。
休みになったある日、選抜された代々木中学校の4人のメンバーと一緒に映画『ウエスト・サイド・ストーリー』を観賞した。
映画に感動した一同は、野球の練習そっちのけで、歌や踊りの練習するようになってしまった。
ジャニー喜多川は、以前にも芸能関係に関わってきたが、この映画を観たことがきっかけになって、ジャニーズ事務所を作る事に結びついた。
最初に手がけたグループが、その時の4人組で構成されたジャニーズ(1962~1967)。
元メンバーで今も現役の俳優・歌手として活動しているのがあおい輝彦(1948年1月10日生れ)である。


つまり、『ウエスト・サイド・ストーリー』を観れば、ジャニーズ事務所が何を目指して人材を育成してきたか、分かる。
今回の番宣で東山紀之が選ばれたのは、ジャニー喜多川自身が少年隊をジャニーズ事務所が育成したアイドルグループの中で「最高傑作」と呼んでおり、現在、メンバー中で唯一ジャニーズ事務所に残ったからであろう。

今回取り上げた、ジャニーズ事務所誕生のきっかけになったことだけでも凄い出来事だと言わざるを得ない。
しかし、タモリがかつてミュージカルが嫌いだと言った作品も、おそらく1961年版の映画のことであろう。
その主な理由は、ラストでトニーが殺されるシーンが長かった事に言及している。
しかし、今回の映画はその不自然さはない。
実はジャニーズファンのみならず、ミュージカルが苦手な人でもおすすめだ。
演出の変更点があった意味でも、現代によみがえった『ウエスト・サイド・ストーリー』はおすすめの1本なのである。

参考文献:「ウエスト・サイド・ストーリー」スペシャルメイキングブック


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