新垣結衣が星野源と結婚したことでとある変化が!?竹内まりやの『元気を出して』が流れるアサヒビールのCMにヒントがあった?

2021/12/8 22:00 龍女 龍女

新垣結衣とシティーポップスの女王・竹内まりやとの共通点とは?

かつて、居酒屋の壁に貼られているビール会社の広告の女性は水着姿が多かった記憶がある。
最近は水着姿の女性がジョッキを持っているよりも、ビールそのものを映すポスターが多くなった気がする。
TVCMの方も、海辺でビールを飲むイメージよりも、スタジオで飲み比べしたり、ホームパーティで男女問わず飲み干す姿の場面が増えている。

新垣結衣が出演したアサヒ生ビールのように、居酒屋で一人ビールを飲みにいくという内容は今までありそうでなかった。
コロナ禍の今では、酒場に一人で行く機会が増えてきた気がするので、非常にタイムリーな広告展開ではある。


その中で音楽として使われているのが竹内まりやの『元気を出して』
1988年の11月28日に発売された。
元々は薬師丸ひろ子に提供して、1984年2月14日に発売されたシングルのセルフカバーに当たる。


(『元気を出して』のジャケット写真から引用 イラストby龍女)

この歌は失恋した友人を励ます内容だ。
いわば心のいやしを目的としている。
ビールは、労働でつかれた体をいやす飲み物でもあるので、この曲が選ばれたのであろう。
何となくCMのイメージも、会社帰りの会社員に新垣結衣が扮しているようにもみえる。



こういった都市で働く人の役を新垣結衣は演じ続けてきた。
そうした風景に映える音楽を作ってきた人が、竹内まりや(1955年3月20日生れ)である。

ここ数年、YouTubeで再生回数が多かった日本の音楽のジャンルは、シティポップスと呼ばれている。
特に
竹内まりやの『Plastic Love』


(元々は『Sweetest Music』のジャケット写真だが、YouTubeでバズってから、本家のPlasticLoveのシングル再発時に採用された イラストby龍女)

松原みき(1959~2004)の『真夜中のドア~stay with me』
この2曲がシティ・ポップスを象徴するアンセムになっている。

残念ながら、松原みきは亡くなったので、クラブのDJイベントで12インチシングルを通してでしか生に近い音で聴くことが出来ない。
もしかすると、コロナ禍が終わってコンサートツアーが再開されるとしたら、竹内まりやの世界ツアーが実現するかもしれないほど、盛り上がっている状況だ。

その根拠に、細野晴臣と、星野源のそれぞれのワールドツアーがコロナ前に実現しているからだ。
今の音楽の流通状況は、日本のポップスを演奏するミュージシャンが日本以外でツアーをしても興行として成り立つ迄に発展している。


夫で竹内まりやの音楽プロデューサーも務める山下達郎(1953年2月4日生れ)は

「竹内まりやが、40年間続けてきた音楽スタイルは、どなたにでも受け入れていただける、いわゆるミドル・オブ・ザ・ロード・ミュージックです。
そんな中でも、時代のトレンドには出来る限り媚びず、追随せず、その先の普遍性というものを常に模索してまいりましたので、30年前の作品でもそれほど古びては聞こえません。
(中略)何よりすべての作品に通底しているのが、人間存在に対する強い肯定感です。
この考え方が、浮き沈みの激しい音楽シーンの中で、長く受け入れられてきた最も大きな要素であると私は考えております」

とコメントしている。

これまで、他の人より半歩先を歩く生き方をしてようとも、いつまでも最前線にいられるわけではない。
新垣結衣は結婚を機にそれまで所属していたレプロエンタテインメントとの契約を終了し、提携関係になりフリーとして活動する形式に変えている。
活動するジャンルは違えども、新垣結衣はこれまでも男女問わず万人に受ける俳優活動をしてきた点においては、竹内まりやが志しているミドル・オブ・ロードとの共通点はうかがえる。

新垣結衣は、星野源という生涯のパートナーを得たことで、時代を超えるミドル・オブ・ロードのキャリアに転換しようとしているのではないだろうか?


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写真:タレントデータバンク
新垣結衣|1988/6/11生まれ|女性|A型|沖縄県出身)

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