サザン桑田佳祐とミスチル桜井和寿の夢のコラボ曲『奇跡の地球』は、コロナ禍の今こそ聴かれるべき名曲である理由とは?

2021/12/1 16:00 龍女 龍女

②奇跡の地球は日本のキング・オブ・ポップの交代劇だった?
1993年の終わり頃。


(2014年5月1日付SankeiBizのインタビューに答えた小林武史 イラストby龍女)

音楽プロデューサーの小林武史(1959年6月7日生れ)はメジャーデビューしたしたばかりのロックバンドMr.Childrenの楽曲を制作していた。

小林は、売れっ子スタジオミュージシャンとしてキーボードを弾いていた。
やがて、編曲も手がけるようになる。

桑田佳祐(1956年2月26日生れ)とは1987年のソロ第1弾シングル『悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)』から関わるようになった。


(熱唱する桑田佳祐 イラストby龍女)

1992年前半はサザンオールスターズのアルバム『世に万葉の花が咲くなり』のプロデュースを手がけた。
しかしサザンとの仕事は1993年の11月までで終わる。

サザンのプロデュースで手応えを感じた小林武史は中堅バンドのプロデュースをするのではなく、新人バンドを手がけたいと思うようになった。
そこで見つけたのが、Mr.Childrenだ。
同時期にサザンのアルバムのプロデュースも手がけていた関連で、桑田佳祐にMr.Children用の楽曲の企画を依頼していた。

しかし、Mr.Childrenのヴォーカル・桜井和寿(1970年3月8日生れ)は作詞作曲も手がけていた。
ちょうど、大ヒット曲が立て続けに桜井作詞作曲と小林プロデュースで連続した頃だった。


(桜井和寿。1994年の雑誌セブンティーンのインタビュー記事から イラストby龍女)

Mr.Childrenのシングル「CROSS ROAD」発売前に小林のオファーに応じて、桑田がMr.Children向けにプレゼンしていた。
そのまま歌うタイミングを逃してしまっていたが、AAAの企画会議の際、小林から正式に歌詞を付けて歌うことを提案されることで世に出された(Wikipediaより)

一方の桑田佳祐は、サザンオールスターズが活動休止中でソロ活動を行っている最中だった。
名義としては、桑田佳祐&Mr.Childrenとして、1995年1月23日に発売された。


(ap bank fes'06での桜井和寿と桑田佳祐のパフォーマンス イラストby龍女)


音楽的なことはさておき、ここで注目したいのは歌詞の内容である。
簡単に分析してみる。
(是非、奇跡の地球 歌詞 で検索して下さい。)

冒頭の4行は、エイズによって持たされた時代の変化を示唆している。
2段目の4行は、エイズが性交渉によって感染することを「愛の坂」で示した後、発症者が絶望して、いつどこで感染したかという過去の出来事を振り返っている様子をメリーゴーランドに例えている。
3段目のサビの後、4段目は母乳感染した子供を表現している。
5段目はエイズのパンデミックに戸惑う人々の様子を表している。

歌詞を吟味したところ、この過程は、感染経路が違うとは言え、コロナと似ているのではあるまいか?

親しい間柄で濃厚接触するのは、性や血液や注射の回し打ちや母乳であろうと、飛沫や接触と感染経路が違っても、かわりはない。
感染症のパンデミックの時ほど、人間性を問われる場面は大きい。

『奇跡の地球』2021年の今も聴かれるべき名曲なのである。

参考文献:サザンオールスターズ 1978-1985 (新潮新書)
バート・バカラック自伝 - ザ・ルック・オブ・ラヴ


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