服部半蔵、柳生十兵衛を演じた「千葉真一」が数々のスター俳優を生み出した育て方とは?

2021/8/25 15:00 龍女 龍女

①アクションスターの誕生と深作欣二監督
千葉真一こと、本名・前田禎穂(さだほ)は1939年1月22日に福岡県福岡市博多区に生まれた。
父親は陸軍の飛行隊の軍人で、4歳の時に父親の赴任先の千葉県の陸軍木更津基地の近くの君津市に転居。
それ以降は千葉県で育った。
俳優になる前はオリンピックの体操日本代表を目指して日体大まで進学したが、2年の怪我で断念、退学した。
その後、器械体操経験者の経歴も珍しがられ、映画会社東映のニューフェイスの試験にトップで合格する。
1959年に東映に入社。


(映画撮影中のスナップから引用 イラストby龍女)

1961年に新人監督・深作欣二(1930~2003)のデビュー作『風来坊探偵 赤い谷の惨劇』に主演した。


(野際陽子と婚約したときの写真から引用 イラストby龍女)

一方で、テレビドラマの世界でも活躍して、1968年の出演作『キイハンター』で共演した野際陽子(1936~2017)と1973年に結婚した(1994年に離婚)。

東映が制作したB級アクション作品に次々に主演。香港との合作映画にも出演した。
極真空手の黒帯の腕前を生かした作品群は、世界的にもヒットしたらしく、その頃に観ていたクエンティン・タランティーノが海外の著名人のファンとして有名である。



日本では大ファンの芸人・関根勤が千葉真一のものまねでよくする空手の呼吸をしている型は、香港・タイの合作映画『激殺!邪道拳』(1977年)からきている。

深作欣二とのコンビでは、主役では無いが『仁義なき戦い 広島死闘編』(1973年)の大友勝利役はその後のヤクザ映画に大きな影響を与えた。
大友勝利のような狂犬のように暴力を振るうヤクザの姿は、白石和彌監督の『孤狼の血LEVEL2』で鈴木亮平が演じた上林成浩のような、ヤクザ映画のトラブルメイカーのひな形になっている。

70年代の半ばまでは、現代劇のアクション作品に多く出ていたが、1978年にいよいよ本格的に時代劇に出るようになる。
その時も監督は深作欣二だった。その作品から次の話を進めていこう。

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