【20歳の群像】第8回 ヒトラー

2014/5/23 09:57 ドリー(秋田俊太郎) ドリー(秋田俊太郎)

わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫)


  あんな偉人も昔はこんなダメだったんだ、とかそういう部分にスポットをあてて、今までいろんな偉人をとりあげてきた。いろんな偉人のふがいない姿を見ては、なーんだたいしたことないじゃん、と勇気付けられきたりもした。だが、そうしていると、ふとわいてくる疑問があると思う。

 そのなかでも最もトップクラスにダメなやつ、殿堂入り、はいったい誰なのか、ということ。

 そんな素朴な疑問に答えるなら、

 それはまちがいなくヒトラーだろう、とボクは言いたい。


 今でこそアンチヒーローとしてのその名を不動のものにしてるヒトラー。
 ところがヒトラーの20代はほんとに、「ダメ」なのである。もうほんと、ベーシックにダメ。

 いや、ダメにもいろいろな方向性というものがあって、おのれのダメさを真正面から見つめていればそのダメさは魅力になるし、もっと尊敬できたりする。
 ところがヒトラーは、そういうダメさとは、また違う、異質で、救いようのないタイプのダメさ、というべき性質をもっていて。どういうことかというと・・・


 ヒトラーはそもそも絵が好きなごくフツーの子供だったのである。

 20歳になると、画家になるために上京するんだけど、両親がなくなるわけ。
 そしたら、「わたしの手には下着と服しかなかった・・・」みたいな、都会にやってきたけど金もなく身寄りのない、はだか一貫のオレ・・・みたいなことを、とつとつと語り始めるのである。自伝(我が闘争)で。

 いっけんなんでもない語りに思える。ふーん、とおもう。

 ところがこれ、ウソなのである。


 訳注をみると、ヒトラー研究家がその当時の資料をもって、「ヒトラーにはその当時、遺産でかなりの金があった」と、ヒトラーのいってることが、ただのウソだということをあばいているのである。 
 え!?ウソなんかい!?と、最初はびっくりする。

 さらにヒトラー、「わたしの家系は、じいさんの代から貧しかった・・・」とかいってきて、貧乏な家系だったんだ、というのを語ってくる。
 ところがこれも訳注で研究家が、「いやいや、おまえのじいさん。死ぬほど大金持ちやんけ」と指摘してて・・・

 さらには美大を受けるも、不合格になるヒトラー。
 画家をあきらめ、建築家になろうとするも、バイトにあけくれる。夢やぶれて都会のど真ん中でしょぼくれるのである。このとき21歳。クリエイティブ系夢追い型フリーターなのです。ここまではほんとに共感できる。
 そしてなんとかやりくりしていくうちに、「水彩画のバイトでかろうじて食えるようになってきたぞ!」(p58)みたいなことを言うのである。よかったなヒトラー、と思う。
 
 ところがこれも、「ヒトラーはこのとき、叔母からの援助と孤児年金でくらしていた。バイトでは食えてない」とか、かかれていて・・・。

 
 もう、ヒトラー総統、むちゃくちゃウソつくんである。

 それもけっこうしょーもないウソを。ヒトラー総統はとにかく「自分が若いとき、金をもっていた」という事実をかくしたい。そのためにつむいだストーリーは「両親が死んで、お金もなく都会で夢やぶれた青年」といういつわりの自己像であり、それをアピールするしかない。すべては大衆の心をつかむため。そのためならいくらも盛ろうがおかまいなし。ピンポイントで計算してウソをかましてくる。いやほんと、どうしようもないやつである。

 
 そんで本のなかで「ユダヤ人はうそつきだ」とかいってるのである。お前が言うな。

 ヒトラーの人生、お前が言うな、の連続なんだ。
 たとえば、その後、22歳のヒトラーは孤児年金と遺産をくいつぶしながら、昼頃におきて、絵を描いたり、バイトしたり、演劇見たりして、テキトーにぶらぶらと散歩したり、ごくつぶしニートの鏡のような生活を送っていたのである。
 
 ところが本書で「青少年の教育」について語るヒトラー。
 今まで生きてきて最も「お前が言うな」と戦慄してしまった文章だ。

 全教育は、青年の自由時間をかれらの身体の有益な鍛錬に使うようにすることに、その目標を向けなければならない。青年は、その年頃にぶらぶらとさまよい歩いたり、街頭や映画館に足を向けたりする権利はない。(p330)


 お前が言うな・・・。 


 いやほんと、お前が言うな、としか言いようがない、この我が闘争。

 ヒトラーはその後、愛国心に目覚め、兵隊になり政治の道に入っていくんだけど、自己保身と雄弁な自己アピールの連続で。読んでると、むしゃくしゃしてくる自伝なんであるが、このヒトラーのしょーもないウソにぜひ、刮目してみてほしい。ダメの最果てはそれを美化し、ごまかすことであるが、ヒトラーはあっけらかんと、自分のダメさというものを美化し、パフォーマンスにつかっているから余計、恥の上塗りというか。

 これがナチスドイツを先導したパフォーマンスの正体なのかと身震したくなるが、ここにはヒトラーの愛くるしい、ケタ外れのカリスマ性がある意味、凝縮されているといっていい。