衝撃のCMから『踊る大捜査線』で一躍人気俳優になった水野美紀は「こうなるはずじゃなかった」?

2021/3/17 22:00龍女龍女

今回の主役は、怪優となりつつある中堅どころ、水野美紀である。
1974年6月28日生で、年代的に筆者(1976年生)と同じ世代なので、勝手に身近に感じている。


このCMは当時びっくりした。18歳だった水野美紀が、恋人役の唐沢寿明に「ねえ、チューして」と迫り、キスをされると急に恥じらってしまうというものだった。
ただ、筆者はCMが放映された1992当時は高校生。
クラスメイトと何のゲームをやっていたかか忘れたが、罰ゲームで
「チューしてって言え」
と追い込まれた。
心底嫌だったので拒否した。
そんな思い出があるくらい、影響力が大きかった。


筆者は、最初、他の女性タレントと同じようなモデル出身かと思っていた。
ところが、小学校6年から中学まで在住していた福岡では少林寺拳法を習っていて、オーディションに合格し、上京した前後からさらに、
倉田アクションクラブで修行した
という経歴を知って、目が輝いた。
1960年代後半から70年代に活躍したアクション俳優「和製ドラゴン」こと倉田保昭が後進の指導のために開いた道場である。
デビュー時は特撮ものや時代劇でくノ一をやっていたというではないか!
この経歴は彼女が他の人にはない売りを獲得できた要因だろう。


90年代における彼女の代表作にして、最も長く演じた役は

『踊る大捜査線』の柏木雪乃だろう。
刑事ドラマも時代の変化が顕著に表れるジャンルだ。
徐々に女性の役がお茶運びから同僚の刑事になってきて女性の地位が上がっているバロメーターになっている。
水野美紀はその技能を買われてか、ヒロインのはずの恩田すみれ(深津絵里)よりもハードな役どころだった。
シリーズ後半ではエリート警官・真下正義(ユースケ・サンタマリア)と夫婦になった、人生が最も変化したキャラクターである。

2000年の『ビューティフルライフ』の田村佐千絵は、ヒロイン町田杏子(常盤貴子)の親友であった。
ゴールデンタイムの最もメジャーなテレビドラマでは3・4番手が多く、出演作も主役級より多い。
大手芸能事務所所属だったのも大きかった。


しかし筆者が水野美紀を堪能するのにおすすめの作品は、やはり主役級を演じたドラマである。
内村光良の相手役を務めた、

『恋人はスナイパー』(2001・2002・2004)である。脚本は『踊る大捜査線』でも担当した君塚良一。
国際指名手配犯のスナイパー王凱歌(内村光良)と、国際二課の刑事・円道寺きなこ(水野美紀)が対立する立場でありながら、恋に落ちてしまう――1970年代の東映や香港映画の影響が濃く、コメディ色が強いカンフーアクションであった。
水野美紀が、襲いかかる敵と戦う姿がとにかくかっこ良かった。
少林寺拳法で鍛えた身体能力を存分に生かしたアクションを披露していた。

20年前は日本の俳優で格闘アクションを主役級で堂々と演じられる女性の人材は少なかった。
その点で水野美紀は、1970~80年代の東映アクション映画で活躍した志穂美悦子(日本を代表するアクションスター千葉真一主宰JAC出身の逸材)の穴を埋められるようなポテンシャルを秘めていた。

筆者はてっきり水野美紀は、志穂美悦子の後継者となる、大アクションスターになると思っていた。
しかし、水野美紀は格闘技アクション以外の繊細な演技もうまくこなせた。
俳優として志穂美悦子よりも器用だったのだ。


アクションものではないが、水野美紀出演作品でおすすめは

フジテレビで火曜日の9時に放送された『初体験』(2002年1~3月)である。
水野美紀演じる27歳の獣医師・高梨真智が、小学生時代の憧れのフサちゃんこと広田(房野)拓海(藤木直人)と再会して繰り広げるラブストーリーである。
この役も当て書きで、一人で部屋にいるときの高梨真智はブルース・リーのビデオを観るのが趣味である。
ちなみに、水野美紀のアクションの師匠の倉田保昭は、ブルース・リーに沖縄の農具だったヌンチャクを教えたエピソードが有名である。

このドラマには、真智の弟・歩(小泉孝太郎。デビュー作)の友人役でこれまた新人時代のオダギリジョー(仮面ライダークウガの2年後)が出ているので、特撮ファンも必見の普通のドラマである。


レア作品で一つおすすめなのが、日曜日の昼間にTBS系の地方局(SBC)が制作した一時間モノの単発ドラマ『碌山の恋』(2007年2月3日)である。
碌山とは、日本近代彫刻の先駆者で30歳の若さでなくなった荻原碌山(1879~1910)のことである。
このドラマでは、平山浩行が演じた。
水野美紀は、碌山のミューズ(芸術の女神の意味から、転じて芸術家に影響を与える人のこと)にして、片思いの相手だった新宿中村屋の女主人相馬黒光(1876~1955)を演じた。
ソフト化されたら、もう一度みたい作品である。

美術ファンでもある筆者は、あの有名な相馬黒光を演じたことにびっくりした。
しかしこの時期は大手芸能事務所バーニングを辞め個人事務所オフィス・モレを作った2年後である。
大きな動きがあった時期と重なっていた。
ある人物とあることを始めていた。
そのある人物とは、筆者がラジオでよく耳にしていた。

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