二度と行けない国を知るための映画3選
こんにちは、いまトピアート部のyamasanです。
今までコロナ禍が収束したら行きたいドイツの街を紹介してきましたが、今回はかつて壁の向こう側にあった、二度と行くことができない国のお話です。
その国の名前は、ドイツ民主共和国(Deutsche Demokratische Republik 略称DDR)。

少し古い写真ですが、これは1989年8月に東ベルリンに行った時に撮影したブランデンブルク門。
列柱の下の部分の白いものはベルリンの壁。当時、東ベルリンの人たちは、このブランデンブルク門を通って西ベルリンに行くことはできなかったのです。
この時はまさか3か月後にベルリンの壁が「崩壊」するとは思いませんでしたが、当時の東ドイツ政治局幹部が国境開放を伝える記者会見で勘違いしたのがきっかけで東ベルリン市民が検問所に押し寄せ、耐えられなくなった国境警備兵が門を開けたのが同じ年の11月9日でした。

ベルリンの壁「崩壊」の舞台となったボルンホルマー検問所があった場所。
その後、東ドイツは一気に崩壊に向かい、1990年10月3日、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)に編入されて消滅しました。
東ドイツ民主化運動「発祥の地」ライプツィヒは以前のコラムで紹介しています。
【東西ドイツ統一30年】多くの芸術家が訪れた「英雄の街」
さて、今となってはもう行くことができない壁の向こうの東ドイツとは、いったいどんな国だったのでしょうか。
三本のドイツ映画を手がかりに見ていきたいと思います。

DVD「善き人のためのソナタ」
2006年に公開された作品。原題は”Das Leben der Anderen”(直訳すると「他の人の人生」)。
西側のメディアとコンタクトをとる劇作家ドライマンと仲間たち、そして彼らを監視する国家保安省(シュタージ)のエージェント、ヴィースラー。
盗聴、尾行、尋問、密告者の協力、あらゆる手段を使って、影のように国民の生活に忍び込んできたシュタージの不気味さが伝わってくる作品です。
邦題の「善き人のためのソナタ」は、映画の最後に出てくる劇作家ドライマンの本のタイトル。そこで「善き人」とは誰なのか明かされます。
ベルリン東部にあるかつての国家保安省(Ministerium für Staatssicherheit)の建物の一部は、現在ではシュタージが収集した国民の記録を管理する「シュタージ公文書館(Stasi-Unterlagen-Archiv)」になっていて、シュタージ博物館も併設されています。

入口はありふれたオフィスのようですが、中に入るとアッと驚くようなものが展示されていました。
これは、尋問する人を、両太もものの下に手を置かせて座らせ、椅子の上に敷いた布切れにその人のにおいをしみ込ませて保存したもの。犬ににおいをかがせて追跡させるためのものです。

これは木の幹に忍び込ませた監視カメラ。 郊外の自然公園にそれとなく置いて、誰と誰が会っているか監視するためのものです。
「ここまでやるのか」というのが見た時の感想でした。


DVD トンネル
2002年に公開された作品。原題も”Der Tunnel”(トンネル)。 時はベルリンの壁が建設された1961年。
偽造パスポートを使い東ベルリンから西ベルリンに脱出した水泳選手のハリーが仲間とともに家族や友人、恋人たちを救うために西側からトンネルを掘り、見事救出するという実話をもとにした物語。
トンネルの脱出劇というとスティーブ・マックイーンほか豪華キャストの「大脱走」が思い浮かびますが、こちらも国境警備も担当していたシュタージとの息詰まる攻防に手に汗握る展開です。

ハリーが偽造パスポートを使って脱出した国境検問所は、東西冷戦時には米ソが対峙した「チェックポイント・チャーリー」。今ではベルリン市内でも人気の観光スポット。
この映画でもシュタージによる尋問の場面が出てきますが、ベルリンの中心を流れるシュプレー川沿いにあるDDR博物館には尋問室や独房が再現されていて、尋問体験もできます(あまり体験したくはありませんが)。
DDR博物館入口

尋問室の再現。


DVD グッバイ、レーニン!
2003年に公開された作品。原題も同じく”GOOD BYE LENIN!”。
今まで紹介した2本の映画と違って、この作品は東ドイツに愛国心をもっていた母親にベルリンの壁崩壊の事実を知らせまいとして、ピクルスを東ドイツ製の瓶に移し替えたり、友人が編集した東ドイツのテレビ局のニュースを見せたりする青年の奮闘がコミカルに描かれた作品・・・
そう思いながら見ていたら、実は壁によって家族が引き裂かれたという悲しい物語でした。
かつて東西ベルリンを分断して、逃亡を試みた多くの人たちの命を奪ったベルリンの壁。
今は多くが撤去されて、このように壁があったことを示すブロックが敷かれています。

今ではだれもが自由に越えられるようになりました。

残された壁は見事なパブリックアートになっています。
今までコロナ禍が収束したら行きたいドイツの街を紹介してきましたが、今回はかつて壁の向こう側にあった、二度と行くことができない国のお話です。
その国の名前は、ドイツ民主共和国(Deutsche Demokratische Republik 略称DDR)。

少し古い写真ですが、これは1989年8月に東ベルリンに行った時に撮影したブランデンブルク門。
列柱の下の部分の白いものはベルリンの壁。当時、東ベルリンの人たちは、このブランデンブルク門を通って西ベルリンに行くことはできなかったのです。
この時はまさか3か月後にベルリンの壁が「崩壊」するとは思いませんでしたが、当時の東ドイツ政治局幹部が国境開放を伝える記者会見で勘違いしたのがきっかけで東ベルリン市民が検問所に押し寄せ、耐えられなくなった国境警備兵が門を開けたのが同じ年の11月9日でした。

ベルリンの壁「崩壊」の舞台となったボルンホルマー検問所があった場所。
その後、東ドイツは一気に崩壊に向かい、1990年10月3日、ドイツ連邦共和国(西ドイツ)に編入されて消滅しました。
東ドイツ民主化運動「発祥の地」ライプツィヒは以前のコラムで紹介しています。
【東西ドイツ統一30年】多くの芸術家が訪れた「英雄の街」
さて、今となってはもう行くことができない壁の向こうの東ドイツとは、いったいどんな国だったのでしょうか。
三本のドイツ映画を手がかりに見ていきたいと思います。
1 善き人のためのソナタ

DVD「善き人のためのソナタ」
2006年に公開された作品。原題は”Das Leben der Anderen”(直訳すると「他の人の人生」)。
西側のメディアとコンタクトをとる劇作家ドライマンと仲間たち、そして彼らを監視する国家保安省(シュタージ)のエージェント、ヴィースラー。
盗聴、尾行、尋問、密告者の協力、あらゆる手段を使って、影のように国民の生活に忍び込んできたシュタージの不気味さが伝わってくる作品です。
邦題の「善き人のためのソナタ」は、映画の最後に出てくる劇作家ドライマンの本のタイトル。そこで「善き人」とは誰なのか明かされます。
ベルリン東部にあるかつての国家保安省(Ministerium für Staatssicherheit)の建物の一部は、現在ではシュタージが収集した国民の記録を管理する「シュタージ公文書館(Stasi-Unterlagen-Archiv)」になっていて、シュタージ博物館も併設されています。

入口はありふれたオフィスのようですが、中に入るとアッと驚くようなものが展示されていました。
これは、尋問する人を、両太もものの下に手を置かせて座らせ、椅子の上に敷いた布切れにその人のにおいをしみ込ませて保存したもの。犬ににおいをかがせて追跡させるためのものです。

これは木の幹に忍び込ませた監視カメラ。 郊外の自然公園にそれとなく置いて、誰と誰が会っているか監視するためのものです。
「ここまでやるのか」というのが見た時の感想でした。

2 トンネル

DVD トンネル
2002年に公開された作品。原題も”Der Tunnel”(トンネル)。 時はベルリンの壁が建設された1961年。
偽造パスポートを使い東ベルリンから西ベルリンに脱出した水泳選手のハリーが仲間とともに家族や友人、恋人たちを救うために西側からトンネルを掘り、見事救出するという実話をもとにした物語。
トンネルの脱出劇というとスティーブ・マックイーンほか豪華キャストの「大脱走」が思い浮かびますが、こちらも国境警備も担当していたシュタージとの息詰まる攻防に手に汗握る展開です。

ハリーが偽造パスポートを使って脱出した国境検問所は、東西冷戦時には米ソが対峙した「チェックポイント・チャーリー」。今ではベルリン市内でも人気の観光スポット。
この映画でもシュタージによる尋問の場面が出てきますが、ベルリンの中心を流れるシュプレー川沿いにあるDDR博物館には尋問室や独房が再現されていて、尋問体験もできます(あまり体験したくはありませんが)。
DDR博物館入口

尋問室の再現。
3 グッバイ、レーニン!

DVD グッバイ、レーニン!
2003年に公開された作品。原題も同じく”GOOD BYE LENIN!”。
今まで紹介した2本の映画と違って、この作品は東ドイツに愛国心をもっていた母親にベルリンの壁崩壊の事実を知らせまいとして、ピクルスを東ドイツ製の瓶に移し替えたり、友人が編集した東ドイツのテレビ局のニュースを見せたりする青年の奮闘がコミカルに描かれた作品・・・
そう思いながら見ていたら、実は壁によって家族が引き裂かれたという悲しい物語でした。
かつて東西ベルリンを分断して、逃亡を試みた多くの人たちの命を奪ったベルリンの壁。
今は多くが撤去されて、このように壁があったことを示すブロックが敷かれています。

今ではだれもが自由に越えられるようになりました。

残された壁は見事なパブリックアートになっています。