もう一度見たい!南の島のあの宮殿

2020/4/17 20:45 yamasan yamasan

こんにちは、いまトピアート部のyamasanです。

前回のコラムではドイツの世界遺産「ベルリンの博物館島」を紹介しましたが、今回紹介するのは日本にある南の島の世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」

前回のコラムはこちらです。
【自宅で楽しむ海外のミュージアム】古代の世界にタイムスリップしてみませんか。

首里城公園内の守礼門。太平洋戦争末期の沖縄戦で焼失し、1958年に復元されたものです。



2000年にユネスコの世界遺産一覧表に記載された「琉球王国のグスク及び関連遺産群」は、全部で9か所の遺跡で構成されていて、かつての琉球王国の複雑な歴史が反映されています。

14世紀中ごろ琉球列島には、北山(ほくざん)、中山(ちゅうざん)、南山(なんざん)の三つの王統が鼎立して、お互いに対立関係にありました。

今帰仁城跡(なきじんじょうあと)
沖縄本島北部の本部半島にある今帰仁城は、北山王統の居城。
東シナ海を臨む標高100メートルの丘陵地に築かれた城で、地形を利用した長大な城壁が当時の隆盛を物語っています。


丘の上にあって、いかにも難攻不落そうな城(グスク)ですが、1416年に中山王統の軍によって城は陥落、北山王統は滅ぼされました。

勝連城跡(かつれんじょうあと)
沖縄本島中部東海岸の太平洋に突き出た勝連半島に築かれた、琉球の有力な按司(豪族)阿麻和利の居城。こちらも丘陵の地形を利用して城壁が築かれています。


阿麻和利は王位をねらって首里城を攻めましたが、逆に撃退されて敗死しました。

首里城跡(しゅりじょうあと)
那覇港を見下ろす丘陵部にある三山鼎立時代の中山王統の居城で、1429年、琉球王国成立後は国王の居城として、450年の間、王国の政治・経済・文化の中心的な役割を果たしてきました。

冒頭に紹介した守礼門をくぐり、石段を登っていくと、威風堂々とした奉神門が見えてきます。


奉神門をくぐると、広々とした「御庭(うなー)」の正面には豪華絢爛な正殿


そして、正殿に向かって右側が南殿・番所


南殿の建物内は資料展示室になっていて、琉球王国時代の儀式の様子がジオラマで再現されていました。


南殿の向かい側が北殿
琉球王府の迎賓館としても使われた南殿は、沖縄サミットの時の晩餐会に利用されるなど迎賓館としての役割を果たしていました。


さて、ここまで首里城内をご案内してきましたが、みなさまご存じのとおり、昨年(2019年)10月31日未明に発生した火災で、正殿を含む9棟の建物が全焼してしまいました。当日の朝、テレビの画面に映し出された衝撃的な映像は今でも忘れることができません。

沖縄戦で焼失したあとも見事に復元された首里城ですので、いつかまた復活してほしいと願っていたのですが、3月末に「首里城正殿等の復元に向けた工程表」が政府から示されました(2020年3月27日 首里城復元のための関係閣僚会議)。
それによると、首里城正殿については2020年度早期に設計に入り、2022年に本体工事に着手、2026年までに復元することを目指すとされています。
北殿、南殿等については、撤去後の敷地を正殿復元の施工ヤードとして使用するとのことで、工事は正殿完成後になるようです。

計画どおりに工事が進めば正殿が完成するまであと6年、北殿、南殿ほかの建物の完成はいつになるかわかりませんが、不死鳥のようによみがえる首里城の姿をふたたび見てみたいです。

首里城公園の地下にある陸軍第32軍司令部の地下壕跡。


「琉球王国のグスク及び関連遺産群」を構成する9か所の遺跡の位置はこちらで紹介しています。
世界遺産としての首里城

それぞれの遺跡の詳しい解説はこちらをご参照ください。
世界遺産としての首里城

以前に宿泊したビーチホテルの売店で沖縄グッズのガチャガチャを発見しました。


沖縄民謡には欠かせない三線と沖縄の夏祭り「エイサー」で鳴り響く太鼓。そして、両脇を固めるシーサーは那覇空港の売店、フェルトの敷物とコレクションケースは地元のダイソーで購入したものです。

沖縄に行くのは、いつも夏の暑さが収まった秋か冬。
南の島のなま暖かい風が懐かしく感じられます。