あの「ゆるキャラ絵巻」が帰ってくる!
いまトピアート部のyamasanです。今年もよろしくお願いいたします。
(今年の正月飾りはこちら。中央がガチャガチャでゲットした「輝く黄金の宝」。箱の中にLEDユニットが入っていて小判が光る仕掛けになっているレアアイテム。)
過去の正月飾りはこちらで紹介しています→【お正月はこれで決まり!】自宅でアート、始めてみませんか?
さて、さっそくですが昨年末に海外からあっと驚くニュースが入ってきました。
といっても「ゴーン被告がレバノンに逃亡!」ではありません。
それほど衝撃的ではありませんが、逃亡でなく、正式に遣唐使として唐に派遣された吉備真備(695-775)の真筆と見られる墓誌が中国で発見されたというニュースです。
遣唐使・吉備真備の筆跡か 中国留学中の墓誌発見
吉備真備とはどんな人?
吉備真備は奈良時代の政治家、学者で、二回にわたり唐に派遣されて、帰国後は律令の改正に尽力するなど国の発展に貢献した人。
右大臣にまでなったので「吉備大臣」と称せられましたが、そこで思い出されるのが、平安時代後期から鎌倉時代初期の12世紀末に制作されたとされる《吉備大臣入唐絵巻》。
この絵巻は東シナ海ではなく、はるばる太平洋を渡り、現在ではボストン美術館の所蔵になっていますが、8年前に東京国立博物館で開催された「ボストン美術館 日本美術の至宝」展で里帰りしたので、ご覧になられた方もいらっしゃるのでは。
海外に行ってしまったので、「もう二度と見る機会がないのでは」と思っていましたが、そこは二度唐に渡り、運よく二度とも日本に帰ってきた吉備大臣。
うれしいことに、ふたたび太平洋を渡って里帰りすることになりました。
今回も日本にあれば間違いなく国宝!という《吉備大臣入唐絵巻》と《平治物語絵巻 三条殿夜討巻》(上のチラシ)の二大絵巻が来日するのでとても楽しみ。
《平治物語絵巻 三条殿夜討巻》の方は、平清盛と対立していた藤原信頼と源義朝が後白河法皇を味方につけようとして三条殿を襲撃、法皇を拉致する場面なので、戦場の緊張感が伝わってきますが、《吉備大臣入唐絵巻》はそのストーリーからしてユニークで「ゆるい」のです。
(《平治物語絵巻》は、絵巻の形ではボストン美術館蔵《三条殿夜討巻》の他に、《信西巻》(静嘉堂文庫美術館 重要文化財)、《六波羅行幸巻》(東京国立博物館 国宝)のみが現存。)
【《吉備大臣入唐絵巻》のストーリー】
遣唐使として海を渡った吉備真備が、唐の皇帝の使者によって高楼に幽閉され、唐の博士たちに囲碁の勝負や、『文選』(中国の全60巻からなる詩文選集)の暗唱などでその才能を試されるのですが、鬼となった阿倍仲麻呂の霊の助けを受けて関門を突破するというもの。
展覧会チラシ2ページ目の拡大写真
これは、唐の博士たちが『文選』を読んでいるところを、画面中央上の黒い装束で白い顔の吉備大臣と赤い顔の鬼(阿倍仲麻呂)が柱の影からこっそり聞いている場面。吉備大臣は、博士たちが読む『文選』を聞きながら暗記して、翌日見事に暗唱して博士たちを驚かせたのです。
阿倍仲麻呂とはどんな人?
717(養老元)年、平城宮を出発した阿倍仲麻呂(698-770)は、吉備真備やのちに法相宗を広めた留学僧・玄昉らとともに遣唐使船に乗り唐の都・長安(現在の西安)に向かいました。
平城宮跡内に復原された大極殿。
同じく復原された遣唐使船。
長さ約30m、幅7~8mほどの小さな船で東シナ海の荒波を越えて中国に向かったのですから、途中で難破する船も多く、当時の航海は命がけでした。
この遣唐使船は。現在では平城宮跡歴史公園内の朱雀門ひろばに置かれていて、今でも船内に入ることができます。
平城宮跡歴史公園 朱雀門ひろば
当時の唐は、玄宗(在位712-756)が帝位についたばかりで、「長安の春」と呼ばれ外交も内政も安定して、文化的にも李白、杜甫などの詩人が活躍して、唐が最も輝いていた時。
吉備真備は、玄昉らとともに735(天平7)年に帰国しますが、阿倍仲麻呂は玄宗に気に入られてそのまま唐に残り、753(天平勝宝5)年になってようやく玄宗から帰国の許可を得て、前年に吉備真備らとともに入唐していた藤原清河の船に乗って帰国することになりました(吉備真備の帰国は翌年)。
出発の日はちょうど満月でした。そこで阿倍仲麻呂が詠んだのがこの有名な歌。
天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも
しかし、帰国の船は海上で暴風に遭い、安南(今のベトナム中部)に漂着して唐に戻り、阿倍仲麻呂は再び唐朝に仕え、長安で亡くなりました。
こちらは西安市内の興慶宮公園にある阿倍仲麻呂紀念碑。左側面にはこの和歌が漢字で刻まれています。
阿倍仲麻呂は詩歌にもすぐれ、李白や王維らとの交流もありました。この碑の反対側には李白が仲麻呂の死を悼んで詠った詩が刻まれています。
梁楷《李白吟行図》(東京国立博物館 重要文化財)
さて、ここまで話を進めてきたところで「あれっ?」と思われた方はいらっしゃらないでしょうか。
吉備真備が最初に入唐したのときは阿倍仲麻呂と一緒でした。そして、二度目に入唐したとき、阿倍仲麻呂は生きていました。
ということは、吉備大臣が入唐したとき、阿倍仲麻呂の霊が鬼に乗り移るという設定には無理があるということです。
でもそんな詮索はやめて、奇想天外なストーリーのゆるキャラ絵巻を楽しむことにしましょう。
上記の「ボストン美術館展 芸術×力」特設サイトを開くと、画面には仲良く空を飛んでいるかわいい吉備真備と鬼(阿倍仲麻呂)が出てきます。
彼らが見た長安の街はこんなに魅力的。
(唐時代の街並みを再現した西安市内の永興坊)
(今年の正月飾りはこちら。中央がガチャガチャでゲットした「輝く黄金の宝」。箱の中にLEDユニットが入っていて小判が光る仕掛けになっているレアアイテム。)
過去の正月飾りはこちらで紹介しています→【お正月はこれで決まり!】自宅でアート、始めてみませんか?
さて、さっそくですが昨年末に海外からあっと驚くニュースが入ってきました。
といっても「ゴーン被告がレバノンに逃亡!」ではありません。
それほど衝撃的ではありませんが、逃亡でなく、正式に遣唐使として唐に派遣された吉備真備(695-775)の真筆と見られる墓誌が中国で発見されたというニュースです。
遣唐使・吉備真備の筆跡か 中国留学中の墓誌発見
吉備真備とはどんな人?
吉備真備は奈良時代の政治家、学者で、二回にわたり唐に派遣されて、帰国後は律令の改正に尽力するなど国の発展に貢献した人。
右大臣にまでなったので「吉備大臣」と称せられましたが、そこで思い出されるのが、平安時代後期から鎌倉時代初期の12世紀末に制作されたとされる《吉備大臣入唐絵巻》。
この絵巻は東シナ海ではなく、はるばる太平洋を渡り、現在ではボストン美術館の所蔵になっていますが、8年前に東京国立博物館で開催された「ボストン美術館 日本美術の至宝」展で里帰りしたので、ご覧になられた方もいらっしゃるのでは。
海外に行ってしまったので、「もう二度と見る機会がないのでは」と思っていましたが、そこは二度唐に渡り、運よく二度とも日本に帰ってきた吉備大臣。
うれしいことに、ふたたび太平洋を渡って里帰りすることになりました。
「ボストン美術館展 芸術×力」
※コロナ禍のため中止になりましたが、2022年に開催されることになりました。
会 場 東京都美術館
会 期 4月16日(木)~7月5日(日)
開室時間 9:30~17:30 金曜日、5/20(水)、6/17(水)は20:00まで
(入室は閉室の30分前まで)
休室日 月曜日(ただし5/4(月・祝)、6/29(月)は開室
観覧料 一般1,600円ほか
特設サイト→「ボストン美術館展 芸術×力」特設サイト
巡回展スケジュール
福岡市美術館 7月18日(土)~10月4日(日)
神戸市立美術館 10月24日(土)~2021年1月17日(日)
※コロナ禍のため中止になりましたが、2022年に開催されることになりました。
会 場 東京都美術館
会 期 4月16日(木)~7月5日(日)
開室時間 9:30~17:30 金曜日、5/20(水)、6/17(水)は20:00まで
(入室は閉室の30分前まで)
休室日 月曜日(ただし5/4(月・祝)、6/29(月)は開室
観覧料 一般1,600円ほか
特設サイト→「ボストン美術館展 芸術×力」特設サイト
巡回展スケジュール
福岡市美術館 7月18日(土)~10月4日(日)
神戸市立美術館 10月24日(土)~2021年1月17日(日)
今回も日本にあれば間違いなく国宝!という《吉備大臣入唐絵巻》と《平治物語絵巻 三条殿夜討巻》(上のチラシ)の二大絵巻が来日するのでとても楽しみ。
《平治物語絵巻 三条殿夜討巻》の方は、平清盛と対立していた藤原信頼と源義朝が後白河法皇を味方につけようとして三条殿を襲撃、法皇を拉致する場面なので、戦場の緊張感が伝わってきますが、《吉備大臣入唐絵巻》はそのストーリーからしてユニークで「ゆるい」のです。
(《平治物語絵巻》は、絵巻の形ではボストン美術館蔵《三条殿夜討巻》の他に、《信西巻》(静嘉堂文庫美術館 重要文化財)、《六波羅行幸巻》(東京国立博物館 国宝)のみが現存。)
【《吉備大臣入唐絵巻》のストーリー】
遣唐使として海を渡った吉備真備が、唐の皇帝の使者によって高楼に幽閉され、唐の博士たちに囲碁の勝負や、『文選』(中国の全60巻からなる詩文選集)の暗唱などでその才能を試されるのですが、鬼となった阿倍仲麻呂の霊の助けを受けて関門を突破するというもの。
展覧会チラシ2ページ目の拡大写真
これは、唐の博士たちが『文選』を読んでいるところを、画面中央上の黒い装束で白い顔の吉備大臣と赤い顔の鬼(阿倍仲麻呂)が柱の影からこっそり聞いている場面。吉備大臣は、博士たちが読む『文選』を聞きながら暗記して、翌日見事に暗唱して博士たちを驚かせたのです。
阿倍仲麻呂とはどんな人?
717(養老元)年、平城宮を出発した阿倍仲麻呂(698-770)は、吉備真備やのちに法相宗を広めた留学僧・玄昉らとともに遣唐使船に乗り唐の都・長安(現在の西安)に向かいました。
平城宮跡内に復原された大極殿。
同じく復原された遣唐使船。
長さ約30m、幅7~8mほどの小さな船で東シナ海の荒波を越えて中国に向かったのですから、途中で難破する船も多く、当時の航海は命がけでした。
この遣唐使船は。現在では平城宮跡歴史公園内の朱雀門ひろばに置かれていて、今でも船内に入ることができます。
平城宮跡歴史公園 朱雀門ひろば
当時の唐は、玄宗(在位712-756)が帝位についたばかりで、「長安の春」と呼ばれ外交も内政も安定して、文化的にも李白、杜甫などの詩人が活躍して、唐が最も輝いていた時。
吉備真備は、玄昉らとともに735(天平7)年に帰国しますが、阿倍仲麻呂は玄宗に気に入られてそのまま唐に残り、753(天平勝宝5)年になってようやく玄宗から帰国の許可を得て、前年に吉備真備らとともに入唐していた藤原清河の船に乗って帰国することになりました(吉備真備の帰国は翌年)。
出発の日はちょうど満月でした。そこで阿倍仲麻呂が詠んだのがこの有名な歌。
天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも
しかし、帰国の船は海上で暴風に遭い、安南(今のベトナム中部)に漂着して唐に戻り、阿倍仲麻呂は再び唐朝に仕え、長安で亡くなりました。
こちらは西安市内の興慶宮公園にある阿倍仲麻呂紀念碑。左側面にはこの和歌が漢字で刻まれています。
阿倍仲麻呂は詩歌にもすぐれ、李白や王維らとの交流もありました。この碑の反対側には李白が仲麻呂の死を悼んで詠った詩が刻まれています。
梁楷《李白吟行図》(東京国立博物館 重要文化財)
さて、ここまで話を進めてきたところで「あれっ?」と思われた方はいらっしゃらないでしょうか。
吉備真備が最初に入唐したのときは阿倍仲麻呂と一緒でした。そして、二度目に入唐したとき、阿倍仲麻呂は生きていました。
ということは、吉備大臣が入唐したとき、阿倍仲麻呂の霊が鬼に乗り移るという設定には無理があるということです。
でもそんな詮索はやめて、奇想天外なストーリーのゆるキャラ絵巻を楽しむことにしましょう。
上記の「ボストン美術館展 芸術×力」特設サイトを開くと、画面には仲良く空を飛んでいるかわいい吉備真備と鬼(阿倍仲麻呂)が出てきます。
彼らが見た長安の街はこんなに魅力的。
(唐時代の街並みを再現した西安市内の永興坊)