【おススメスポット紹介】海に浮かぶ重要文化財!
絵画、彫刻、工芸、橋に工場に学校、現在、全国で1万3千件以上の重要文化財(※)がありますが、今回はその中でも珍しい「海に浮かぶ重要文化財」に行ってきました。
(※)今年7月1日現在、美術工芸品10,735件(890件)、建造物2,497件(226件)、合計13,232件(1,116件)が重要文化財(カッコ内はそのうち国宝)に指定されています。
さて、それは何かというと・・・
そうです、横浜港に浮かぶ氷川丸です。
2月のコラムで、氷川丸が2016年に国の重要文化財に指定されたのを機会に、ナビゲーションブリッジと呼ばれる船橋(「せんきょう」、船長さんが指揮する部屋)の内装の改修工事を行っていて、3月末には完成することをお伝えしていたのですが、先日ようやく行ってきました。
2月のコラムはこちらです。
【もうすぐ見納め!?】あの素晴らしい夜景を見てきた
https://ima.goo.ne.jp/column/article/6845.html
(横浜開港資料館や横浜ユーラシア文化館も紹介しています。新しい展覧会が開催されているので、こちらもぜひお立ち寄りください。)
氷川丸に通じる桟橋からタラップの階段を昇って船内に入ると受付があるので、そこでチケットを買います。
それではさっそく氷川丸の船内をご案内していきましょう。
船内は上から順に、ナビゲーションブリッジのあるN1、N2、N3デッキ、一等客室などがあるAデッキ、一等食堂などがあるBデッキ、三等客室や機関室のあるCデッキ、同じく機関室のあるDデッキの5層構造になっています。
受付があるのはBデッキ、すぐ前のエントランスロビーから船内の廊下を歩いていくと見えてくるのはアール・デコ調の内装が目をひく一等食堂。
一度でいいのでこんなゴージャスな雰囲気の食堂でゆったりと食事しながら優雅な船旅をしてみたいものです。
続いてAデッキに上ります。
この展示室には、シアトル航路の旅にゆかりのパネル展示や実際に使用された機材などが展示されています。
1932(昭和7)6月、来日していたチャップリンがこの氷川丸に乗ってアメリカに帰ったときのエピソードが紹介されていました。複数の船会社がチャップリンの争奪戦を繰り広げたのですが、チャップリンが日本で食べて気に入ったてんぷらが氷川丸に乗る決め手になったのだそうです。
アメリカの人気喜劇俳優と日本料理のてんぷらは意外なところで結びついていたのですね。
客室の内装も当時の様子が再現されています。
こちらは一等客室。
さすが一等客室ともなると、洗面台もあって居心地がよさそうです。そして、ベッドの上の毛布に注目。毛布には何十種類もの折り方があって、長い船旅の乗客に喜ばれたそうです。
特別一等客室ともなるとホテルのスィートルームのよう。部屋の反対側には専用の浴室もあります。
そして一番上のNデッキまで来ると、改修されて外壁がきれいになったナビゲーションブリッジが見えてきます。
ここが船を操縦する操舵室。
手前の大きな舵は動かすことができます。舵を手に持ってポーズをとれば、これであなたも氷川丸の航海士!(当時は運転士と呼ばれていました)
ナビゲーションデッキの左右に張り出した両舷ウィングの床もこのとおりリニューアルされています。
(写真は右舷ウィング)
Cデッキまで下りていきます。 ここにあるのは二段ベッドの三等客室。
三等客室の乗客は、上の階層に上がるためには見学許可が必要だったとのこと。
こういった客室の方が慣れ親しんだ感じがあって、何となくほっとします。
この階層には氷川丸の航跡がわかる展示室があります。
氷川丸が通った航路が記された世界地図。シアトルだけでなくスエズ運河を通ってヨーロッパにも行っていました!
氷川丸に乗船していた乗組員や乗客たちの証言も紹介されています。
海軍の特設病院船として徴用されていた時のこと。
病院船は戦闘員や武器を輸送することができませんでしたが、蘭印(現在のインドネシア)のアンボンに停泊していた時、現地部隊の参謀から高射砲を運ぶよう頼まれました。そこで毅然として断った軍医さんのエピソードが紹介されていました。
「国賊」とののしられ、軍刀をつかんでものすごい剣幕だったので、連合艦隊司令部あて電報を打ったら「(武器の輸送は)まかりならん」との返信だったので参謀はすごすご帰って行ったとのこと。(氷川丸は、当時、連合艦隊直属だったのです。)
いよいよ最後は船の心臓部・機関室に入ります。
ダクトやクランク、その他の機械がずらりと並んで壮観です。このディーゼルエンジンが一斉に唸りを上げたらものすごい音だったことでしょう。
激動の昭和とともに歩んできた氷川丸。船そのものが昭和史歴史博物館のようです。横浜のみなと散策に来られた際にはぜひお立ち寄りいただきたいおススメスポットです。
参考までに、もう1件の「海に浮かぶ重要文化財」は同じく横浜港に浮かぶ日本丸。
こちらは「ぐるっとパス」で隣接する横浜みなと博物館とセットで入場することができます。
展示の詳細はこちらをご覧ください→帆船日本丸・ヨコハマみなと博物館
今回紹介したおススメスポットの位置関係はこちらをご参照ください。
(※)今年7月1日現在、美術工芸品10,735件(890件)、建造物2,497件(226件)、合計13,232件(1,116件)が重要文化財(カッコ内はそのうち国宝)に指定されています。
さて、それは何かというと・・・
そうです、横浜港に浮かぶ氷川丸です。
2月のコラムで、氷川丸が2016年に国の重要文化財に指定されたのを機会に、ナビゲーションブリッジと呼ばれる船橋(「せんきょう」、船長さんが指揮する部屋)の内装の改修工事を行っていて、3月末には完成することをお伝えしていたのですが、先日ようやく行ってきました。
2月のコラムはこちらです。
【もうすぐ見納め!?】あの素晴らしい夜景を見てきた
https://ima.goo.ne.jp/column/article/6845.html
(横浜開港資料館や横浜ユーラシア文化館も紹介しています。新しい展覧会が開催されているので、こちらもぜひお立ち寄りください。)
氷川丸に通じる桟橋からタラップの階段を昇って船内に入ると受付があるので、そこでチケットを買います。
氷川丸利用案内
開館時間 10:00-17:00(入館は16:30まで)
休館日 月曜日(祝日の場合は開館、翌平日休館)
臨時休館日 2020年1月20日(月)~24日(金)
入館料 一般 300円ほか
※公式サイトの優待券を印刷、または画面提示で入館料金が一般で250円に割引になります。また、氷川丸から歩いて15分の日本郵船歴史博物館とのセット券は一般500円で200円お得になります。
イベントなどもありますので、ご利用の詳細は日本郵船氷川丸公式サイトをご覧ください→日本郵船氷川丸
氷川丸のミニ歴史
氷川丸は、1930(昭和5)年にシアトル航路の貨客船としてデビューしました。太平洋戦争中は海軍に特設病院船として徴用され、戦後は復員・引き揚げ輸送に従事したあと、1953(昭和28)年にシアトル航路の貨客船として復帰後、1960(昭和35)年に引退しました。
その後、山下公園に係留されて観光船となり、2008(平成20)年に「日本郵船氷川丸」としてリニューアルオープン、2016(平成28)年には国の重要文化財に指定されました。
日本郵船歴史博物館は氷川丸から歩いて15分。みなとみらい線で2駅分ですが、天気のいい日には潮風にあたりながら山下公園を散策しながら歩いてもいいかもしれません。
日本郵船歴史博物館では、常設展示のほかに企画展示も開催しています。詳細はこちらをご覧ください→日本郵船歴史博物館
開館時間 10:00-17:00(入館は16:30まで)
休館日 月曜日(祝日の場合は開館、翌平日休館)
臨時休館日 2020年1月20日(月)~24日(金)
入館料 一般 300円ほか
※公式サイトの優待券を印刷、または画面提示で入館料金が一般で250円に割引になります。また、氷川丸から歩いて15分の日本郵船歴史博物館とのセット券は一般500円で200円お得になります。
イベントなどもありますので、ご利用の詳細は日本郵船氷川丸公式サイトをご覧ください→日本郵船氷川丸
氷川丸のミニ歴史
氷川丸は、1930(昭和5)年にシアトル航路の貨客船としてデビューしました。太平洋戦争中は海軍に特設病院船として徴用され、戦後は復員・引き揚げ輸送に従事したあと、1953(昭和28)年にシアトル航路の貨客船として復帰後、1960(昭和35)年に引退しました。
その後、山下公園に係留されて観光船となり、2008(平成20)年に「日本郵船氷川丸」としてリニューアルオープン、2016(平成28)年には国の重要文化財に指定されました。
日本郵船歴史博物館は氷川丸から歩いて15分。みなとみらい線で2駅分ですが、天気のいい日には潮風にあたりながら山下公園を散策しながら歩いてもいいかもしれません。
日本郵船歴史博物館では、常設展示のほかに企画展示も開催しています。詳細はこちらをご覧ください→日本郵船歴史博物館
それではさっそく氷川丸の船内をご案内していきましょう。
船内は上から順に、ナビゲーションブリッジのあるN1、N2、N3デッキ、一等客室などがあるAデッキ、一等食堂などがあるBデッキ、三等客室や機関室のあるCデッキ、同じく機関室のあるDデッキの5層構造になっています。
受付があるのはBデッキ、すぐ前のエントランスロビーから船内の廊下を歩いていくと見えてくるのはアール・デコ調の内装が目をひく一等食堂。
一度でいいのでこんなゴージャスな雰囲気の食堂でゆったりと食事しながら優雅な船旅をしてみたいものです。
続いてAデッキに上ります。
この展示室には、シアトル航路の旅にゆかりのパネル展示や実際に使用された機材などが展示されています。
1932(昭和7)6月、来日していたチャップリンがこの氷川丸に乗ってアメリカに帰ったときのエピソードが紹介されていました。複数の船会社がチャップリンの争奪戦を繰り広げたのですが、チャップリンが日本で食べて気に入ったてんぷらが氷川丸に乗る決め手になったのだそうです。
アメリカの人気喜劇俳優と日本料理のてんぷらは意外なところで結びついていたのですね。
客室の内装も当時の様子が再現されています。
こちらは一等客室。
さすが一等客室ともなると、洗面台もあって居心地がよさそうです。そして、ベッドの上の毛布に注目。毛布には何十種類もの折り方があって、長い船旅の乗客に喜ばれたそうです。
特別一等客室ともなるとホテルのスィートルームのよう。部屋の反対側には専用の浴室もあります。
そして一番上のNデッキまで来ると、改修されて外壁がきれいになったナビゲーションブリッジが見えてきます。
ここが船を操縦する操舵室。
手前の大きな舵は動かすことができます。舵を手に持ってポーズをとれば、これであなたも氷川丸の航海士!(当時は運転士と呼ばれていました)
ナビゲーションデッキの左右に張り出した両舷ウィングの床もこのとおりリニューアルされています。
(写真は右舷ウィング)
Cデッキまで下りていきます。 ここにあるのは二段ベッドの三等客室。
三等客室の乗客は、上の階層に上がるためには見学許可が必要だったとのこと。
こういった客室の方が慣れ親しんだ感じがあって、何となくほっとします。
この階層には氷川丸の航跡がわかる展示室があります。
氷川丸が通った航路が記された世界地図。シアトルだけでなくスエズ運河を通ってヨーロッパにも行っていました!
氷川丸に乗船していた乗組員や乗客たちの証言も紹介されています。
海軍の特設病院船として徴用されていた時のこと。
病院船は戦闘員や武器を輸送することができませんでしたが、蘭印(現在のインドネシア)のアンボンに停泊していた時、現地部隊の参謀から高射砲を運ぶよう頼まれました。そこで毅然として断った軍医さんのエピソードが紹介されていました。
「国賊」とののしられ、軍刀をつかんでものすごい剣幕だったので、連合艦隊司令部あて電報を打ったら「(武器の輸送は)まかりならん」との返信だったので参謀はすごすご帰って行ったとのこと。(氷川丸は、当時、連合艦隊直属だったのです。)
いよいよ最後は船の心臓部・機関室に入ります。
ダクトやクランク、その他の機械がずらりと並んで壮観です。このディーゼルエンジンが一斉に唸りを上げたらものすごい音だったことでしょう。
激動の昭和とともに歩んできた氷川丸。船そのものが昭和史歴史博物館のようです。横浜のみなと散策に来られた際にはぜひお立ち寄りいただきたいおススメスポットです。
参考までに、もう1件の「海に浮かぶ重要文化財」は同じく横浜港に浮かぶ日本丸。
こちらは「ぐるっとパス」で隣接する横浜みなと博物館とセットで入場することができます。
展示の詳細はこちらをご覧ください→帆船日本丸・ヨコハマみなと博物館
今回紹介したおススメスポットの位置関係はこちらをご参照ください。