ゴッホが描く浮世絵のミステリー、アノ元ネタはまだ発見されていなかった!?(2/2)
便宜上「タンギー爺さん」の背景として描かれている浮世絵を以下のように1から6まで番号を振りました。これを見ながらそれぞれを紹介して行きます。
1枚目の作品は、渓斎英泉 「雲龍打掛の花魁」です。遠く離れた日本を代表するイメージソースとしてこの浮世絵は『パリ・イリュストレ』誌1886年5月号の表紙も飾っています。
見慣れない「着物」姿の女性、頭にはたくさんの簪をさしています。身体のラインも自然なS字を描いておりとても完成度の高い一枚です。
そして何より、この縦に長細い画面も当時の西洋人の目にはとても新鮮に映ったに違いありません。
渓斎英泉 「雲龍打掛の花魁」
ゴッホはことのほかこの浮世絵が気に入ったらしく、トレーシングペーパーを使い原寸大で模写した油彩画まで描いているほどです。
ファン・ゴッホ「花魁」1887年 ゴッホ美術館
2枚目は、歌川広重 「五十三次名所図会 四十五 石薬師」です。
歌川広重 「五十三次名所図会 四十五 石薬師」
石薬師は現在の三重県鈴鹿市にあります。R関西線加佐登駅からタクシーで5分ほどでこの場所に行けます。樹齢800年とも言われる「石薬師の裏 ヤマザクラの蒲桜」(ヤマザクラの変種)は、現在でもこの地で立派に毎年花を咲かせています。三重県の天然記念物にも指定されているそうです。
ゴッホの作品では、人物や鳥居を省略しているのに対し、桜の樹・花はとても丁寧に真似て描いています。枝ぶりや幹、そして何と言っても満開の桜の花の描写はよくぞ油絵でここまで再現したと、無条件に褒めてあげたくなります。
3枚目は、歌川広重 「富士三十六景 さがみ川」です。
歌川広重 「富士三十六景 さがみ川」
葦の茂みと白鷺の姿が前景に描かれ、船頭さんたちを中景に配し、富士と大山を後景に置き全体をまとめ上げたとてもバランスの良い一枚です。
現在の神奈川県海老名市、厚木市を流れる相模川の河口付近を描いています。当時は河川がトラフィックの大事な役割を担っていました。今ではトラックに積んで運ぶ木材も、当時はこうして筏状にして川を使っていました。広重が描いているのは、今でいう物流の起点のような場所なのです。
ゴッホはそんな船頭さんたちを大胆にカットし(タンギー爺さんで隠し)、富士と大山だけをトリミングしたかのように作品に取り入れています。相模川の青とタンギー爺さんの服の色が呼応しているかのようにも見えますね。
4枚目は、歌川国貞(三代目歌川豊国)「三世岩井粂三郎の三浦屋高尾」です。
歌川国貞「三世岩井粂三郎の三浦屋高尾」
三世岩井粂三郎とは当時の人気歌舞伎役者。歌舞伎は当時から男性が女性役を演じていたので、ここに描かれている吉原にあった三浦屋で一番人気ほ誇った遊女「高尾太夫」も実は、三世岩井粂三郎が化けた?姿です。一見、美人画のように見えますが、立派な役者絵です。
それにしても、ゴッホもまさか男性を描いた浮世絵だとは思いもしなかったはずです。「こんな女性に一度でいいから会ってみたいな~」なんて思いを込めて描いたかもしれません。ごめんねゴッホ。でも知らないでいた方が幸せなこともあるものです。
5枚目は、二代目歌川広重 「東都名所三十六花撰 入谷朝顔」です。
二代歌川広重 「東都名所三十六花撰 入谷朝顔」
東京都台東区で毎年盛大に開催される朝顔市。入谷鬼子母神や言問通りに60軒の朝顔業者の店が連なります。毎年40万人もの大勢の人で賑わう入谷朝顔まつりも戦争で中断してしまいましたが、戦後復活し現在に至ります。
江戸時代、1800年代の中盤頃に江戸っ子たちを熱狂させたのが、何を隠そうこの朝顔だったのです。品種改良も盛んにおこなわれ、ベーシックなものから色違いの朝顔まで一大ブームとなったのです。
ゴッホは、2枚目の桜を描いた作品歌川広重 「五十三次名所図会 四十五 石薬師」の対角線上に見知らぬ朝顔を配置し、世話になっているタンギー爺さんの背景を華やかに彩ったのでしょう。1と4の関係も同じような意味かもしれません。
と、ここまで書いてなんですが、5枚目は浮世絵からではなく「ちりめん絵」(クレポン)から引用していることが、1999年にフランスの画商、ヤン・リュールの発見により判明しています。
最後に6枚目の浮世絵ですが、、、これがまだ発見されていないのです。これではなかろうかとされる候補作品は幾つかあります。
歌川広重「江都名所 吉原日本堤」
他にも、渓斎英泉「江戸八景 吉原夜の雨」などが挙げられていますが、これまでのようにピタリ一致する作品は見つかっていません。
これはもしかして、ゴッホが意図的に雨を雪に変えた可能性もあります。右側に桜の季節つまり「春」を描き、左に雪景色「冬」を対照的に配置したと考えることもできます。
果たして真相は如何に。
ゴッホ先生から浮世絵について学ぶはずが、すっかりゴッホとシンクロしてしまい、彼の作画意図を探る文章になってしまいました。それにしても一枚の絵からこれほど広がりが持てるのですね。
「関係性」や「関連性」そして「画家の託した想い」が少しでも分かってくると絵画鑑賞はぐーーんと面白くなるものです。そのことを今回教えてくれたゴッホ先生にあらため感謝です!
ファン・ゴッホ「タンギー爺さんの肖像」1887年 ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館
『ゴッホのあしあと 日本に憧れ続けた画家の生涯』
原田マハ(著)
1枚目の作品は、渓斎英泉 「雲龍打掛の花魁」です。遠く離れた日本を代表するイメージソースとしてこの浮世絵は『パリ・イリュストレ』誌1886年5月号の表紙も飾っています。
見慣れない「着物」姿の女性、頭にはたくさんの簪をさしています。身体のラインも自然なS字を描いておりとても完成度の高い一枚です。
そして何より、この縦に長細い画面も当時の西洋人の目にはとても新鮮に映ったに違いありません。
渓斎英泉 「雲龍打掛の花魁」
ゴッホはことのほかこの浮世絵が気に入ったらしく、トレーシングペーパーを使い原寸大で模写した油彩画まで描いているほどです。
ファン・ゴッホ「花魁」1887年 ゴッホ美術館
2枚目は、歌川広重 「五十三次名所図会 四十五 石薬師」です。
歌川広重 「五十三次名所図会 四十五 石薬師」
石薬師は現在の三重県鈴鹿市にあります。R関西線加佐登駅からタクシーで5分ほどでこの場所に行けます。樹齢800年とも言われる「石薬師の裏 ヤマザクラの蒲桜」(ヤマザクラの変種)は、現在でもこの地で立派に毎年花を咲かせています。三重県の天然記念物にも指定されているそうです。
ゴッホの作品では、人物や鳥居を省略しているのに対し、桜の樹・花はとても丁寧に真似て描いています。枝ぶりや幹、そして何と言っても満開の桜の花の描写はよくぞ油絵でここまで再現したと、無条件に褒めてあげたくなります。
3枚目は、歌川広重 「富士三十六景 さがみ川」です。
歌川広重 「富士三十六景 さがみ川」
葦の茂みと白鷺の姿が前景に描かれ、船頭さんたちを中景に配し、富士と大山を後景に置き全体をまとめ上げたとてもバランスの良い一枚です。
現在の神奈川県海老名市、厚木市を流れる相模川の河口付近を描いています。当時は河川がトラフィックの大事な役割を担っていました。今ではトラックに積んで運ぶ木材も、当時はこうして筏状にして川を使っていました。広重が描いているのは、今でいう物流の起点のような場所なのです。
ゴッホはそんな船頭さんたちを大胆にカットし(タンギー爺さんで隠し)、富士と大山だけをトリミングしたかのように作品に取り入れています。相模川の青とタンギー爺さんの服の色が呼応しているかのようにも見えますね。
4枚目は、歌川国貞(三代目歌川豊国)「三世岩井粂三郎の三浦屋高尾」です。
歌川国貞「三世岩井粂三郎の三浦屋高尾」
三世岩井粂三郎とは当時の人気歌舞伎役者。歌舞伎は当時から男性が女性役を演じていたので、ここに描かれている吉原にあった三浦屋で一番人気ほ誇った遊女「高尾太夫」も実は、三世岩井粂三郎が化けた?姿です。一見、美人画のように見えますが、立派な役者絵です。
それにしても、ゴッホもまさか男性を描いた浮世絵だとは思いもしなかったはずです。「こんな女性に一度でいいから会ってみたいな~」なんて思いを込めて描いたかもしれません。ごめんねゴッホ。でも知らないでいた方が幸せなこともあるものです。
5枚目は、二代目歌川広重 「東都名所三十六花撰 入谷朝顔」です。
二代歌川広重 「東都名所三十六花撰 入谷朝顔」
東京都台東区で毎年盛大に開催される朝顔市。入谷鬼子母神や言問通りに60軒の朝顔業者の店が連なります。毎年40万人もの大勢の人で賑わう入谷朝顔まつりも戦争で中断してしまいましたが、戦後復活し現在に至ります。
江戸時代、1800年代の中盤頃に江戸っ子たちを熱狂させたのが、何を隠そうこの朝顔だったのです。品種改良も盛んにおこなわれ、ベーシックなものから色違いの朝顔まで一大ブームとなったのです。
ゴッホは、2枚目の桜を描いた作品歌川広重 「五十三次名所図会 四十五 石薬師」の対角線上に見知らぬ朝顔を配置し、世話になっているタンギー爺さんの背景を華やかに彩ったのでしょう。1と4の関係も同じような意味かもしれません。
と、ここまで書いてなんですが、5枚目は浮世絵からではなく「ちりめん絵」(クレポン)から引用していることが、1999年にフランスの画商、ヤン・リュールの発見により判明しています。
最後に6枚目の浮世絵ですが、、、これがまだ発見されていないのです。これではなかろうかとされる候補作品は幾つかあります。
歌川広重「江都名所 吉原日本堤」
他にも、渓斎英泉「江戸八景 吉原夜の雨」などが挙げられていますが、これまでのようにピタリ一致する作品は見つかっていません。
これはもしかして、ゴッホが意図的に雨を雪に変えた可能性もあります。右側に桜の季節つまり「春」を描き、左に雪景色「冬」を対照的に配置したと考えることもできます。
果たして真相は如何に。
ゴッホ先生から浮世絵について学ぶはずが、すっかりゴッホとシンクロしてしまい、彼の作画意図を探る文章になってしまいました。それにしても一枚の絵からこれほど広がりが持てるのですね。
「関係性」や「関連性」そして「画家の託した想い」が少しでも分かってくると絵画鑑賞はぐーーんと面白くなるものです。そのことを今回教えてくれたゴッホ先生にあらため感謝です!
ファン・ゴッホ「タンギー爺さんの肖像」1887年 ニイ・カールスベルグ・グリプトテク美術館
『ゴッホのあしあと 日本に憧れ続けた画家の生涯』
原田マハ(著)