ゴッホが描く浮世絵のミステリー、アノ元ネタはまだ発見されていなかった!?(1/2)
ポスト印象派を代表する画家、フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh、1853年- 1890年)は日本で抜群の人気を誇ります。
「ゴッホ展」も毎年のように開催され、どの展覧会でも長蛇の列が出来ます。皆さんの多くもゴッホの絵がお好きなはずです。
ファン・ゴッホ「ローヌ川の星月夜」1888年 オルセー美術館
高い人気を誇る理由はいくつか挙げられます。
生前さっぱり作品が売れずに不遇の生涯を送った点は、判官びいきの日本人の心に刺さります。弟テオが親身になって売れない画家ゴッホを助けた話も漫画になるほどよく知られています。
同時代の画家、ゴーギャンも同じように生きている間は決して高い評価を受けませんでしたが、女ぐせの悪さや、タヒチへの逃避など負の側面が多くゴッホに比べると不人気です。
ファン・ゴッホ「アルルの寝室」1888年 ゴッホ美術館
そして何よりも、ゴッホ自身が大の日本好きだったことが最も大きな要因でしょう。日本人とは時空を超えて相思相愛の関係にあるのです。
当時、ヨーロッパにもたらされた日本の浮世絵の影響はゴッホの他にも多くの画家が受けていることは周知の事実。ジャポニスムという言葉もしばしば耳にします。
そんな中でもゴッホの日本への溺愛ぶりは頭ひとつもふたつも抜き出ています。
南仏のアルルへ到着したゴッホは、ベルナール宛の手紙に「この地方は大気の透明さと明るい色の効果のため日本みたいに美しい。水が美しいエメラルドと豊かな青の色の広がりを生み出し、まるで日本版画に見る風景のようだ。」と記しているほどです。
また、アルルの少女をモデルに描いた肖像画に、日本語を使い「ラ・ムスメ」という題まで付けています。「The 娘」ってこれまたストレートなタイトルですね。
ファン・ゴッホ「ラ・ムスメ」1888年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー
勿論当時の画家と同じように多くの浮世絵もコレクションしていました。現在オランダのゴッホ美術館にそれらが収められています。
浮世絵から構図や色彩などを学ぶだけでなく、そのまま浮世絵を油彩画で模写したり、自分の作品の中に堂々と描きこんでしまったりもしています。
その中でも最も有名な作品が、パリで画材屋兼画商を営んでいたジュリアン・フランソワ・タンギーを描いた「タンギー爺さん」ではないでしょうか。
ファン・ゴッホ「タンギー爺さん」1887年 ロダン美術館
椅子に腰かけるタンギーの周りを取り囲むように6点の浮世絵が描き込まれています。
それでは、この「タンギー爺さん」に描かれている浮世絵を一枚ずつ見て行きながら、浮世絵についての知識も身に付けちゃいましょう。題して「ゴッホに学ぶ浮世絵講座」の開幕です!
人気者のゴッホが先生ならきっと楽しく学べるはずですよね。ゴッホ先生!私に浮世絵を教えて!!