【激レア】チャンスを逃したら一生後悔!?世界に3碗しか存在しない「曜変天目」を同時公開!(2/3)
観る人の平静な気持ちをかどわかすような魅惑的な曜変天目茶碗ですが、観られるタイミングは少なく、年に一度あるかないかです。虹色に輝くというだけあり、まさに天空にかかる虹のように出会うのが難しい茶碗です。
作品数が限られているといわれるフェルメールでも三十五点が現存しているのに比べると、それよりも十分の一以下しか残っていなのですから、そうそうお目にかかれるはずがありません。
ここで日本にある三点の曜変天目を所蔵する館やその来歴についてまとめて記しておきます。掲載順序は公開数の多い順としました。(でも今年は全部観られます!!)
静嘉堂文庫美術館(東京)所蔵の国宝「曜変天目」中国・南宋時代(12~13世紀)建窯
高7.2cm 口径12.2cm 高台径3.8cm
伝来:徳川将軍家柳営御物―三代将軍・徳川家光―春日局―淀藩主稲葉家―小野光景―小野哲郎(横浜)-岩崎家―静嘉堂
昭和9年(1934年)に岩﨑小彌太の所有となり、現在、静嘉堂文庫美術館に収められている「曜変天目」は淀藩主稲葉家に長くあったことから別名「稲葉天目」とも呼ばれています。三点の中で最も発色がよく斑紋がはっきりと現れています。
藤田美術館(大阪)所蔵の国宝「曜変天目」中国・南宋時代(12~13世紀)建窯
高6.8cm 口径12.3cm 高台径3.6cm
伝来:徳川家康―水戸徳川家―藤田家―藤田美術館
大正7年(1918年)に明治の豪商、藤田平太郎の所有となり、昭和26年(1951年)に藤田美術館が設立されて以降、館の所蔵品となっている「曜変天目」。
美しい模様と共に銀色の細かい縦筋が無数に見られるのが特徴です。これを稲の穂先の芒(禾)に見立て、禾目(のぎめ)と呼んでいます。
大徳寺 龍光院(京都)所蔵の国宝「曜変天目」中国・南宋時代(12~13世紀)建窯
高6.4cm 口径12.2cm 高台径3.8cm
伝来:津田宗及(大通庵)-江月宗玩―龍光院
龍光院は、臨済宗大徳寺に慶長11年(1606年)に建立された二十二ある塔頭のひとつで原則非公開となっています。
龍光院が建立された当初から現在まで、四百年以上の長きにわたり伝わる「曜変天目」は、朧月夜のほのかな月のような、静かで落ち着きのある光を放っています。
龍光院開創以来四百年に亘り、代々の住持が祈りの心で守り抜いてきた桃山から寛永、そして今に続く寺宝の全容が、初めて一挙公開される歴史的な展覧会です。
いかがでしょう。十把一からげに「曜変天目」と言っても、こんなにそれぞれ際立った個性を持っています。ひとつ観たから満足ではなく、これだとどうしても三つこの目で観たくなるのも当然です。
国宝 曜変天目茶碗(部分) 中国・南宋 藤田美術館
曜変天目の「曜変」は元々「窯変」と記されることもあり、窯の中で焼いている途中に突然変異を起こしたいわば奇蹟の産物だったのです。
見込み(茶碗の内側)に予期せず突然現れた虹色に輝く文様を持つ茶碗を、どう受け止めるかにより価値は自ずと変わってきます。単なる失敗作とみるのか、窯変を面白いものとしてみるのかによって。
これは想像の域を出ませんが、完璧を求める中国人は前者と捉えたのに対し、偶然の美や非対称なものに美しさを見出す日本人は後者と捉えた結果、当時現地へ赴いていた日本の修行僧たちが持ち帰ることが出来たのでしょう。
更に、最新の研究成果も含め、曜変天目についてもっと知りたい方は、拙著『いちばんやさしい美術鑑賞 (ちくま新書)』に1章を費やし書いているので、そちらを是非読んでみて下さい。
そうそう、本といえば、曜変天目を題材にしたこんな本も出ています。
『嘘をつく器 死の曜変天目(ようへんてんもく)』
一色 さゆり (著)
【あらすじ】
人間国宝候補の陶芸家、西村世外の窯元に就職した早瀬町子。世外の息子の久作と、長く世外に仕える源田と三人で窯元を守っているが、世外が久作に跡は継がせないと言ったことで父子のあいだには深い溝ができていた。ある日、町子は、かつて見たことのない焼物を目にする。それは、小さな器の中に永遠の宇宙が広がっているようで、町子の心を大きく揺さぶった。しかしその翌日、世外が殺され――。町子は保存科学の研究をしている先輩の馬酔木(あしび)と共に、不思議な器の謎と、犯人を追う!
著者:一色さゆり
1988年生まれ、京都府京都市出身。東京都在住。東京藝術大学芸術学科卒業後、ギャラリー勤務を経て、香港中文大学大学院美術科に留学。帰国後は学芸員として美術館に勤務。2016年に『このミステリーがすごい!』大賞・大賞を受賞し、作家デビューを果たした。