「刺しに行く」…殺人予告もポケベルだった!?…平成初期の真実【平成レトロ】(1/2)

2019/2/8 12:00 山下メロ 山下メロ


■ 平成レトロのポケットベル

私が使い始めた「平成レトロ」という言葉が、私が関わっていない記事のタイトルなどにも使われ始め広がっているのを嬉しく思います。取材依頼も微増しておりますので、色々と語らないといけませんね。


さて、前回は平成レトロを象徴する1991年のトレンディドラマ『101回目のプロポーズ』からコードレスホンの子機のサイズを見ましたが、今回もトレンディドラマ。少し時代が進んだ1993年の『ポケベルが鳴らなくて』です。どちらかというと現在では国武万里によるヒット曲のほうがよく語られる印象ですが、実はドラマの企画と主題歌の作詞がともに秋元康で、メディアミックスの手法が取られたものだったのです。



コードレスホンで在宅中に連絡しないといけなかった男女は、ポケベルが普及しはじめたために、直接の連絡手段を持てるようになったのです。しかし、この楽曲のことは勘違いされやすいのですが、まだまだ1993年の時点では文字が送れるポケベルの時代ではありません。ここでポケベルの歴史をざっくり振り返ってみましょう。

■ ポケットベルの歴史

我が国におけるポケットベルは1968年にサービス開始しており、非常に歴史のあるものです。ですが、当初は名前の通りベル(電子音)によって合図を送る機能しかありませんでした。基本的な使用方法は、外出の多い人間が持ち、会社から伝えたい用件があった場合に決まった電話番号に電話、ベルが鳴ったら公衆電話から会社へ電話して用件を確認……といった具合です。携帯電話のない時代には、移動中の人間に合図を送れるだけでも非常に便利なものでした。



その後、昭和末期の1987年から数字を送る機能ができるようになりました。それまでは誰からの合図かも分からないので会社など特定の場所へ電話するしかありませんでしたが、電話してほしい番号を送れるようになり、複数の人から合図をもらっても対応できるようになったのです。そして平成を迎え、日常の連絡手段の利便性を図るために契約する一般人の数が増えました。その中で、数字を送る機能を使って、ゴロ合わせでメッセージを送るという使い方が流行したのです。それがまさにNTTドコモというブランドが誕生し、ドラマが放映された1993年。文字が送れるようになるのは翌年以降なのです。


現代のモバイル端末の進化から見れば、およそ20年間は合図のみ、8年間は数字しか送れなかったポケベルの進化は驚くほど遅かったと言えます。その8年というバブル時代も、高額なレンタル料金が必要だったショルダーホンやデカい初期の携帯電話を契約できるのは富裕層のみだったので、工夫してポケベルを活用していました。当時はゴロ合わせを勉強できる暗号BOOKなども売られていたのです。

では、その暗号BOOKとはどんなものだったのでしょうか。


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