【衝撃の事実】太陽の塔を〇〇が焼いた!?……岡本太郎と「ファンシー絵みやげ」(2/3)

2018/10/12 12:00 山下メロ 山下メロ


■ 信楽焼と太陽の塔

たぬきの置物で有名な窯元・滋賀県信楽に訪れた際に、思いがけず太陽の塔に出会いました。陶磁器を用いたファンシー絵みやげが多いため、信楽にも存在するのではないかと思い調査に出かけたのです。



ファンシー絵みやげはほとんど見つかりませんでしたが、色々な発見があり非常に充実した調査ができました。その中で、たぬきの置物の顔が太陽の塔のようになったポスターを見つけました。



聞けば、太陽の塔に3つある顔のうちの一つが、どうしても信楽焼でないと実現できないといった理由で、岡本太郎も信楽を訪れ、その顔を信楽の窯で焼いたそうです。さらにそのミニチュアメダルのような陶板も記念グッズとして作成されたとか。そんな話を聞いて駅へと帰る途中に、橋のところにこんなプレートがありました。



「EXPO’70 太陽の塔・顔」と書かれています。まさに信楽焼の大きな功績として刻まれ、誇示されているのですね。大阪の万博で作られた太陽の塔に滋賀県の信楽焼を用いていたとは、同じ近畿エリアではあるものの日本各地の色々な素材を見極めて使っているということがよく分かります。


■ 他にもあるぞ太陽の塔

神奈川県湘南エリアでも、太陽の季節の記念碑に見つけることができます。



こちらは愛知県犬山市にある日本モンキーパークの「若い太陽の塔」です。大阪万博の前年1969年には完成しており、太陽の塔の原型となったとされています。当時はラインパークという名前でした。



ちなみに同じ愛知県では、他にも岡本太郎の作の鐘楼も見ることができます。



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