日本サッカーとルミ子の25年の進化を感じろ! 今こそふりかえる「Jリーグバブル」
みなさんこんばんは、バブル時代研究家DJGBです。
2018FIFAワールドカップ ロシア大会、日本代表は残念ながらベスト16で敗退という結果に終わりました。
初のW杯から20年 砕けた8強の夢 https://t.co/LhhTv4cX1U #スポーツ #サッカーワールドカップ #サッカー男子日本代表 #本田圭佑 #ベルギー #ロシアW杯 #西野朗
— gooニュース スポーツ速報 (@goo_sports) 2018年7月3日
1993年のJリーグ開幕から四半世紀、日本のサッカーはFIFAランク3位の“赤い悪魔”ベルギーと対等に渡り合うところまでたどり着きました(ニワカ)。
今日も今日とて、私の脳裏に浮かぶのは、大きな風船の中から真っ赤なスーツで出現するこの人。バブル経済の終わりを象徴する一コマです。
本日の豆知識・・・トシちゃんとキングカズは20年以上の付き合いでとても仲がよく、カズ選手がJリーグで最初のMVPに選ばれたときの表彰式で着たスーツはトシちゃんが10周年ライブで着たものと敢えて全く同じものにした。 pic.twitter.com/6eti6akrCK
— escort to nob world (@furunobg) 2013年6月15日
今日は今から25年前の「Jリーグ元年」(93年)前後にさかのぼり、当時のCMから日本サッカーの成長を実感しましょう。
■いつの時代もパイオニアとなったのはカズ、三浦カズ。
●三浦知良 サントリー「ビア吟生 殻やぶり」(91年)
ブラジルから読売クラブに移籍直後の91年に出演したこのCMが、日本プロサッカー選手で初めてのCM出演でした。これ以降、94年までにカズこと三浦知良がCM出演した企業は実に6社に上りました。
■名言連発、ラモス瑠偉のもつ唯一無二の存在感
●ラモス瑠偉 永谷園「Jリーグカレー」(94年)
当時最新鋭の技術だったモーフィングを用いたインパクト抜群のCMは、いまだに語り草です。カズと並んで初期Jリーグ人気をけん引したラモス瑠偉は、その唯一無二のキャラクターと意外に高い演技力でCMの世界でも重宝され、
「日本人ならお茶漬けやろ!」(94年・永谷園)
「コッチにはバンテリンあるんよ!」(02年・コーワ)
などの名言を残し続けます。
■あのころ「読売ヴェルディ」の選手は全員スターだった。
●北澤豪 グンゼ 「YG」(93年)
カズ、ラモスに続くヴェルディの人気選手といえば北澤。カズがバブルの残り香漂うイタリア物のスーツで身を包んでいたのに対し、北澤はロン毛にTシャツのストリートスタイルでファンを獲得。
この時代、読売ヴェルディ(現・東京ヴェルディ1969)の選手はアイドル的な人気を博していました。サッカー選手としての実力・実績の評価と関係のないところに届いたCMオファーに戸惑う選手たちの表情にも注目。
●武田修宏ほか アサヒ「バイオターボ ダンガン」(93年)
●藤吉信次、菊池新吉ほか マルちゃん「麺づくり」(94年)
菊池新吉、まとめ売りされがち。
■アデランスvsアートネイチャーのサッカー戦争
●アルシンド アデランス「ヘア・チェック」(93年)
Jリーグ初期の人気者といえば、この人アルシンドも忘れられません。
「モスグニ、アルシンドニ、ナッチャウヨ!」
という甲高い声と、持ち前の明るいキャラクターで、ともすればシリアスなトーンになりがちな薄毛のCMに革命をもたらします。チームメイトの神様ジーコも「お前の頭もカネになるんだな」と言ったとか、言わなかったとか。
●鋤柄昌宏 アートネイチャー「マープREX」(93年)
ライバルのアートネイチャーも黙っていません。筑波大学在学中に日本代表Bチームにも選抜されたことのあるヴェルディの秘密兵器、鋤柄を緊急招集。河島英五の「男はお~おかみ~♪」のCMソングが
■今大会で最も名を上げたサッカー解説者はそのころ…
●ドラマ「家なき子」(94年)
今大会で最も名を上げたサッカー解説者といえばこの人。カズがイタリア・セリエAに挑戦していたころ、清純派歌手から脱皮したルミ子は、女優として“いびり役”の新境地に挑戦していました。
いまだ現役を続けるカズと、日本代表のパス回しについてテレビで熱弁をふるうルミ子。25年前、誰がこの未来を予想していたことでしょう。
■代表だけでなく、Jリーグにも目を向けてほしい。
25年前の「Jリーグバブル」はいかがでしたでしょうか。
93年の「新語・流行語大賞」年間大賞は「Jリーグ」。新語部門にも「サポーター」が選出されるなど、世間はまさにJリーグ一色。ブーム加熱時は、その話題性と人気にあやかろうと、Jリーグふりかけ(永谷園)、Jリーグ通帳(富士銀行)、Jリーグポケベル(NTT)、JリーグGジャン(BOBSON)といった商品まで発売されたほどでした。
実家を漁っていたら出てきたもの(11)
— S-PULSE HISTORY (@spulse_history) 2017年1月18日
スポーツ新聞六紙合同特別号外
Jリーグが開幕した93年5月15日に、史上初のスポーツ新聞六紙合同特別号外が発行されたらしい。#spulsehistory #spulse #Jリーグ pic.twitter.com/KjLXmGJRCS
誰もが日本サッカーの強さと明るい未来を信じて疑わない空気の中で起こったのが、あの「ドーハの悲劇」(10月28日)でした。
あれから四半世紀。日本サッカーも成熟し、グループリーグ突破のために時間を稼ぐ狡猾さと老獪さを身に着けました。とともに、怪しげなCMオファーを持ち込む代理人も、それをウカツに受ける選手も減り、戸惑いの表情を浮かべるアスリートたちをお茶の間で見かける機会も少なくなりました。
が、もちろん選手たちが一番輝くのはピッチの上。日本代表のワールドカップは終わりましたが、すぐに各国リーグの戦いが待っています。最後は日本代表キャプテンの長谷部選手が、南アフリカ大会の試合後に発したこの言葉で締めくくります。
「Jリーグのほうも足運んでいただいて、盛り上げていただきたいです!」
●NICOS「サッカーファンならもってていい」(93年)
(バブル時代研究家DJGB)