デューラーを見にドイツへ行こう!(バイエルン美術紀行1)

2018/6/27 09:00yamasanyamasan

みなさん、こんにちは。yamasanです。
さっそくですが、上野の森美術館で開催中の「ミラクルエッシャー展」はご覧になられましたでしょうか。



「だまし絵」で知られるエッシャー生誕120年を記念して開催された今回の展覧会は、8つのキーワードからエッシャーの謎を解き明かしていく展開になっています。

展示作品は世界最大級のエッシャーコレクションを誇るイスラエル博物館の所蔵品から選りすぐりの152点!
普段は作品保護のため現地でも常時展示されていません。この貴重な機会にエッシャーのミラクルワールドに迷い込んでみてはいかがでしょうか。

エッシャーの魅力に迫るコラムはこちらです。

エッシャーはダメ人間だった!?「エッシャー展」を10倍楽しむ8つの秘密

私もブログで展覧会の様子を紹介していますので、こちらもぜひご覧にになってください→ブログ「ドイツ~東と西~」

1 エッシャーとデューラーはつながっていた!


エッシャーは20世紀を代表するオランダの版画家ですが、今回の展覧会を見て、16世紀ドイツを代表する芸術家、アルブレヒト・デューラー、ルーカス・クラーナハ、ハンス・ホルバインが制作した蔵書票の伝統を大切にして、多くの蔵書票を制作していたことがわかりました。

同じヨーロッパの版画家なので、エッシャーとデューラーは時を越えてどこかでつながりがあるのではという気がしていましたが、思わぬところでデューラーの名前が出てきたので、今回のコラムでは、以前ドイツで見てきたデューラーの作品やデューラーの故郷ニュルンベルクなどを紹介したいと思います。



こちらはミュンヘンのアルテ・ピナコテーク所蔵の《自画像》。
コンパスなしで完全な円を描き、定規なしで定規でしか引けない直線を引くことができたという繊細な右手の人差し指に注目です。


2 ニュルンベルクのデューラーハウスに行ってみよう!


アルブレヒト・デューラーは、1471年、ドイツ南部の都市ニュルンベルクに生まれました。

ニュルンベルクはバイエルン州の首都ミュンヘンからICE特急で約1時間10分。ミュンヘンに宿泊しても日帰りできる距離です。

さっそくニュルンベルクに残るデューラーの住居兼工房「デューラーハウス」を訪ねてみましょう。
ニュルンベルク中央駅を出て道路を渡るとツーリスト・インフォメーションが見えてきます。まずここで市内の地図をもらいましょう。
ツーリスト・インフォメーションの左に円筒形の大きな見張り塔が目印のケーニッヒ門を通ってケーニッヒ通りを歩いて行くと聖ローレンツ教会の尖塔が見えてきます。



さらにペグニッツ川を渡り、中央広場に出ると、みごとなファザードのフラウエン教会が見えてきます。



フラウエン教会の時計台は午後12時ちょうどに仕掛け時計が動くので、お昼どきをねらって来るのがいいでしょう。


さらに進んで旧市庁舎前の広場を通ります。


そしてさらに進むとデューラーの銅像があります。
デューラーの繊細な右手にはしっかりと何本もの絵筆が握られています。



小高い丘の上にあるカイザーブルクに続くなだらかな坂を上っていくと、ようやく「アルブレヒト・デューラー通り」に面したデューラーハウスが見えてきます。



デューラー(1471年~1528年)は、金細工師だった父アルブレヒト(同名)の三男としてニュルンベルクに生まれ、12歳の頃から父の仕事を手伝い、15歳の時には当時ニュルンベルク第一の画家ミヒャエル・ヴォルゲムートの工房に弟子入りして3年間修業を積みました。
その後、修業の仕上げとして4年間のドイツ領内遍歴の旅に出て、23歳の時(1494年)にニュルンベルクに戻ってきてアグネスと結婚しましたが、その後すぐに単身でイタリアに旅行し、ヴェネチア、マントヴァ、パドヴァを訪れました。
翌年の春に帰国したデューラーは、その2年後に制作した木版連作《ヨハネ黙示録》が大反響を呼び、一躍全ヨーロッパにその名が知られるようになりました。
34歳から36歳(1505年~1507年)にかけて再びヴェネチアに滞在した後、38歳(1509年)のとき一軒の家を購入し、住居兼工房としました。それが現在残っている「デューラーハウス」です。

デューラーハウスの入口でチケットを購入して奥の「デューラーの間」に入ると、後世の画家たちが模写したデューラーの絵がずらりと並んでいます。中にはドイツ国外に所蔵されている作品もあるので、模写とはいえそれなりの雰囲気を味わえるのはうれしいです。
下の写真の中央《アダムとイブ》と左《マギの礼拝》のオリジナルは、それぞれマドリードのプラド美術館、フィレンツェのウフィーツィ美術館に所蔵されています。


2~3階はキッチンや食堂、居間といった居住スペースになっていて、4階が作業場になっています。








さて、オリジナルのデューラーの作品ですが、ニュルンベルクでは中央駅近くのゲルマン国立博物館で見ることができます。

こちらがデューラーのコーナー。


特に見たかったのが、デューラーの師・ミヒャエル・ヴォルゲムートの肖像画(下の写真右)と、ウィーンの美術史美術館にもほぼ同じ作品がある神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の肖像画(下の写真左)。マクシミリアン1世はデューラーの庇護者でした。



ミュンヘンではアルテ・ピナコテークで、冒頭で紹介した《自画像》はじめデューラーの作品を見ることができます。

(アルテ・ピナコテークは現在改修中で、閉鎖している展示室もあるのでご注意ください。同館ホームページ(ドイツ語)によると7月3日から全面オープンとのことです。全面オープンしたらあらためてお知らせします。)

《四人の使徒》


左から《カーネーションの聖母子》《オスヴォルト・クレルの肖像》《若い男の肖像》


左から《キリスト哀悼》《ルクレティア》《キリスト降臨》《悲しみの聖母》



3 日本でデューラーを見よう!  対決!デューラーVs.ミケランジェロ


デューラーの作品を見るならやはり本場のニュルンベルクやミュンヘンなのですが、ありがたいことに日本でもデューラーの作品を見ることができます。

上野の国立西洋美術館では現在、企画展示室で「ミケランジェロと理想の身体」展が開催されていますが、新館の版画素描展示室では「西洋版画を視る-エングレーヴィング:ビュランから生まれる精緻な世界」が開催されていて、そこに同館所蔵のデューラーの版画が4点展示されています。
こちらは国立西洋美術館入口の看板ですが、この作品はデューラーの《ネメシス(運命)》です。


ここまでデューラーの油彩画を紹介してきましたが、デューラーの真骨頂はやはり版画。精緻で正確で、寓意に満ちあふれ、その解釈もいろいろあって、一言でいうと「ゴテゴテ」しているのですが、ゴテゴテしていながら構図そのものはカチッと決まっている、その微妙なバランスを味わえるのがデューラーの版画作品のいいところでもあります。

もう一つ興味深いのは、デューラーがヴェネチアに滞在していた1505年から1507年にはすでにミケランジェロ(1475年~1564年)もローマやフィレンツェで活躍していたこと。
当時すでに有名だったデューラーは、ヴェネチアでも注文が殺到し、だいぶお金も貯まったようですが、宝石詐欺の被害に遭うというおまけもありました。
同じ時期に同じイタリア国内にいたデューラーとミケランジェロの接点はなかったようですが、500年以上経過してルネサンス期の二人の巨匠が、この上野で共演するのも不思議な御縁ではないでしょうか。
こんな素晴らしい御縁ですので、ぜひとも両巨匠の作品を見比べていただければと思います。


国立西洋美術館で開催中の展覧会の詳細は「国立西洋美術館公式ホームページ」
をご覧ください。


4 ニュルンベルクに行ったらぜひこちらも!


今回はニュルンベルク中央駅から一気にデューラーハウスまで行ったので、聖ローレンツ教会やフラウエン教会の中やカイザーブルクのガイドツアーは紹介できませんでしたが、ニュルンベルクに行ったらぜひご覧になっていただければと思います。

こちらがカイザーブルク。

塔の上からは旧市街を見渡すことができます。
ニュルンベルクは、ヒトラーが政権をとった1933年から第二次世界大戦が始まる1939年までナチスの党大会が行われ、1935年にはユダヤ人の権利を剥奪する「ニュルンベルク法」が発布されたことから「ナチスの街」とみなされ連合軍の爆撃で市街地は徹底的に破壊されました。
ジンベル塔というものみの塔から現在の旧市街が見渡せるのですが、爆撃の被害を受けたときのパネルが展示されているので、現在の旧市街の様子と比較することができます。

ジンベル塔


爆撃の被害を受けたときの様子


現在の旧市街地の様子



こうやって比較すると、戦前の面影を残しながら街を復興したことがよくわかります。

ナチスが野外で集会を行った湖畔の近くには「ドク・ツェントルム(ナチス関連の資料センター)」があります。



そしてナチスドイツによる戦争犯罪を裁いた「ニュルンベルク裁判」が行われた法廷も残されています。
ニュルンベルク裁判記念館


裁判が行われた600号法廷


ニュルンベルクはクリスマスマーケットでも有名です。
見どころいっぱいのニュルンベルクなので、時間をかけてゆっくり観光することをおすすめします。なお、美術館・博物館などの開館時間、休館日、入館料などは行かれる時に最新の情報をご確認ください。
それでは、よいご旅行を!