ホワイトデーに殿中でござる!?…「ファンシー絵みやげ」で振り返る忠臣蔵(1/2)
こんにちは。平成元年あたりのカルチャーを発掘調査している山下メロと申します。80年代とも90年代とも違うその時代を、平成レトロとして愛好しております。
↑著書『ファンシー絵みやげ大百科 忘れられたバブル時代の観光地みやげ』発売中です!
当連載では、80年代から平成初期に流行した「ファンシー絵みやげ」から、当時の流行を紹介していきたいと思います。「ファンシー絵みやげ」とは80年代からバブル経済期~崩壊を挟んで90年代まで、日本の観光地で若者向けに売られていた、かわいいイラストが印刷された雑貨みやげのことです。
「ファンシー絵みやげ」については連載第一回をご覧ください。
■ 3月14日の傷害沙汰
世間ではちょうどホワイトデーが過ぎ去った頃ですが、ちょうどホワイトデーとされる3月14日に起きた事件があります。それが、元禄14年3月14日、江戸城松乃大廊下にて播磨国赤穂藩主・浅野内匠頭長矩が吉良上野介吉央に斬りかかった事件です。
↑赤穂義士の代表である大石内蔵助の人形。JR播州赤穂駅。
この元禄赤穂事件において、浅野長矩は切腹を命じられ、赤穂藩は取り潰し、対して吉良吉央はおとがめなしとなった。改易を命じられた旧・赤穂藩士は沙汰に対して反発するため籠城を検討したが、結果的には赤穂城を明け渡す。そして大石内蔵助をはじめとする赤穂藩の有志四十七士は、亡き主君の仇を討つために江戸へ下り、吉良邸に討ち入りを果たしました。そして吉良の首をとり泉岳寺の墓前に捧げ、幕府に伝えて全員が切腹しました。
↑JR播州赤穂駅には「忠臣蔵」の大きな書が飾られている。
これらの事件は、歌舞伎、人形浄瑠璃で「仮名手本忠臣蔵」としてとりあげられ、忠臣蔵として知られています。これまで「忠臣蔵」は、何度も年末年始などの時代劇特番でとりあげられ人気でした。そのため、ファンシー絵みやげの時代にも商品が作られていたのです。
ちょうど今週、その舞台である赤穂へ保護活動に行きましたので、その様子も交えながらファンシー絵みやげを紹介したいと思います。