光GENJIが再結成?…「ファンシー絵みやげ」で振り返るローラースケート(1/2)

2017/8/18 12:00 山下メロ 山下メロ


お久しぶりです。平成元年あたりのカルチャーを発掘調査している山下メロと申します。80年代とも90年代とも違うその時代を、平成レトロとして愛好しております。



当連載では、80年代から平成初期に流行した「ファンシー絵みやげ」から、当時の流行を紹介していきたいと思います。「ファンシー絵みやげ」とは80年代からバブル経済期~崩壊を挟んで90年代まで、日本の観光地で若者向けに売られていた、かわいいイラストが印刷された雑貨みやげのことです。



「ファンシー絵みやげ」については連載第一回をご覧ください。

■ 光GENJIが再結成!?

最近、「光GENJIが再結成か!?」といったニュースが話題ですね。なんでも光GENJIの元メンバーたちが全員集まって食事をし、LINEで会話しているというのです。

絆が深かった光GENJIのメンバー7人(gooニュース)

ファンシー絵みやげと同じように1980年代から1990年代に大活躍した光GENJI。彼らが新しかったのは、やはりローラースケートで踊りながら歌うことでしょう。

↑チャゲアスが曲提供したデビュー曲「STAR LIGHT」。歌う前にもローラースケートを履いて登場している。

動画を見ると、踊るには不向きとも思えるローラースケートをうまく操り、縦横無尽に動いて必死に歌う若い7人のキラキラっぷりが素晴らしいですね。そのローラースケートはどんな風に流行したのでしょうか。


↑このように光GENJIのロゴマークもローラースケートがモチーフだった。

■ 日本のローラースケートブーム

ローラースケートの歴史は古く、18世紀からあると言われています。19世紀なかばにはアメリカで遊具として流行しはじめます。日本では19世紀末から徐々に紹介されはじめ、1948年に作業効率を上げるため岡山の紡績工場で女工に履かせたことは有名ですね。

そして1960年代には、ローラースケートで行うチーム制のトラック競技であるローラーゲームがテレビで放映されてブームとなったのです。さらに1970年代には音楽に合わせてローラースケートで滑るローラーディスコが人気になりました。そして1987年に光GENJIがデビューし、再度のローラースケートブームがやって来たのです。

↑中学生YMOコピーバンド・コスミックインベンション1981年のデビュー曲「YAKIMOKI」には、冒頭部分に「ローラーディスコのチャンピオン」という歌詞が登場する。このバンドの2人のキーボーディスト、1人は前回の連載で紹介したおニャン子クラブ「避暑地の森の天使たち」を作曲し今やAKB48の作曲もしている井上ヨシマサ、もう1人は後に To Be Continued のメンバーとなる佐藤鷹である。

■ ファミコンの中のローラースケート

ファミコンの中にもローラースケートはよく登場しますが、基本的には「足が速くなるアイテム」という扱いです。取得してもグラフィックは変わらず、単に移動速度が増すだけというパターンばかりでした。

光GENJIを見ると「いやいやローラースケート履いても、まず練習しないと転んだりして逆に歩くより遅いわ」と思うのですが、そこはファミコンです。そして光GENJIもディスクシステムで『光GENJIのローラーパニック』というソフトを出しています。

↑オープニングではデビュー曲をファミコンサウンドで聴くことができる。

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