異性と出会えるスポーツは?…「ファンシー絵みやげ」で振り返るテニスブーム(1/2)
お久しぶりです。平成元年あたりのカルチャーを発掘調査している山下メロと申します。80年代とも90年代とも違うその時代を、平成レトロとして愛好しております。
今回は長野県の温泉街で出会った女性とのツーショットで失礼します。
当連載では、80年代から平成初期に流行した「ファンシー絵みやげ」から、当時の流行を紹介していきたいと思います。「ファンシー絵みやげ」とは80年代からバブル経済期~崩壊を挟んで90年代まで、日本の観光地で若者向けに売られていた、かわいいイラストが印刷された雑貨みやげのことです。
「ファンシー絵みやげ」については連載第一回をご覧ください。
■ 1950年代~テニスコートの恋
この連載では、サッカー、バスケと続けてスポーツを扱ってきましたが、ファンシー絵みやげにおいて忘れてはならないのがテニスです。錦織圭が日本人男子プレイヤーで初の世界ランキング上位に入るなどプロの世界に注目が集まっていますが、日本での庭球の歴史はとても長いのです。
特に注目が集まったのは1950年代末の「テニスコートの恋」でしょう。皇太子殿下(2017年現在の今上天皇陛下)と美智子さま(2017年現在の皇后陛下)が軽井沢のテニスコート出会って自由恋愛から婚約・結婚されました。別荘やペンションの集まる避暑地のレジャーはテニスでした。
↑北海道は帯広にあった老舗「衣料の有沢」店内にあったテニスラケットの時計。2015年2月撮影。残念ながらこの2か月後に閉店してしまった店舗である。
■ 1980年代~避暑地の森の天使たち
1986年に発表されたおニャン子クラブのサードアルバム『PANIC THE WORLD』に「避暑地の森の天使たち」という曲があります。富川春美、渡辺美奈代、渡辺満里奈の3人で歌っているこの曲は秋元康×後藤次利コンビではなく麻生圭子×山川恵津子です。
2番冒頭の歌詞に「昼下がり2人きりでみんなテニスコート」とあり、1986年に若者たちは避暑地に出かけてテニスをしていたということが分かります。
↑ちなみに渡辺満里奈はソロで「続・避暑地の森の天使たち」という曲を出している。作曲は別の人で、今やAKB48の作曲家となった元コスミックインベンションの井上ヨシマサ。
話は前後しますが、1980年代は海外で有力なテニスプレイヤーがしのぎを削っていた時期でもあります。
1982年に、とんねるずの幻ともいえる徳間ジャパン時代のセカンドシングル『ヤバシびっちな女(め)デイト・ナイト』が発売されました。この中で石橋貴明がレジェンド級のテニスプレイヤーである「ジョン・マッケンローの声」「ビョルン・ボルグの声」のモノマネをする内容があります。
まさに日本でも海外のテニスプレイヤーに注目していたことが分かります。1990年代になると、伊達公子や松岡修造が世界で活躍しました。
■ テニスとビデオゲーム
1980年代には、テニスをテーマにしたビデオゲームが多数作られました。中でもファミコンで最初に発売された『テニス』は、マリオシリーズの主人公・マリオが審判をしていることで有名ですね。
それどころか、電源を切らずにカセットを抜き差しすることで『スーパーマリオブラザーズ』のコンティニュー該当ステージの値を書き換えてしまう裏技に必要なタイトルでもあります。
『テニス』で歩いた歩数によって、通常はロードされないステージを遊ぶことができるのです。ほとんどは即死やプレイ不可なのですが、思わぬステージが見つかることもありました。
↑機器損傷の恐れがあるので、この裏技を試す際は自己責任で。
■ テニスとファンシー絵みやげ
高原の避暑地は、観光地でありファンシー絵みやげもたくさん売られましたが、テニスは子供向けのスポーツではなかったこともあり、そこまでモチーフとしては登場しませんでした。また、テニス自体がずっと変わらず安定した人気であったことや、1980年代後半にスキーの本格ブームが来て、シーズンが限られるレジャーではあるものの高原イラストのモチーフがスキーに移行していったことが影響していると思われます。
↑軽井沢の皮革製キーホルダー。テニスモチーフではこういった1980年以前のテイストを感じさせる商品やカントリー調の商品が多い。
↑NICE!TENNISと書かれたラケットを持つクマの皮革製キーホルダー。ベルつき。
↑日光国立公園のテニスラケット型キーホルダー。これは日光東照宮の眠り猫なのだろうか。
↑こちらも日光。ホルスタイン牛さんの木製クリップ。とても控えめだが後ろにラケットを持っているのが描かれている。
↑この大きいコルクボードに描かれたウサギも、やはり後ろにラケットを描いている。