すぐにアルシンドになっちゃうよ!…「ファンシー絵みやげ」で振り返るJリーグ延長戦!(1/2)
お久しぶりです。平成元年あたりのカルチャーを発掘調査している山下メロと申します。80年代とも90年代とも違うその時代を、平成レトロとして愛好しております。
当連載では、80年代から平成初期に流行した「ファンシー絵みやげ」から、当時の流行を紹介していきたいと思います。「ファンシー絵みやげ」とは80年代からバブル経済期~崩壊を挟んで90年代まで、日本の観光地で若者向けに売られていた、かわいいイラストが印刷された雑貨みやげのことです。
「ファンシー絵みやげ」については連載第一回をご覧ください。
■ Jリーグ人気の過熱
前回の連載でお伝えしたように、1980年代から徐々に日本で盛り上がったサッカーのブームは1993年に初の日本プロサッカーリーグ、通称Jリーグが10クラブで発足したことで決定的なものとなりました。そこからJリーグはどんどん盛り上がり、翌1994年に2クラブ、さらに翌1995年には2クラブと年々クラブ数も増加していったのです。
↑14チームになった1995年頃と思われるマスコットのワッペンたち。このように全チームの商品を同じフォーマットで作るというのがJリーグの特徴で、プロ野球と違って新鮮でした。
■ 鹿島アントラーズが人気に
初期のJリーグでは、前回CMスターぶりをお伝えしたラモス瑠偉やカズ、武田、北澤、柱谷をはじめ実力もあるスター選手が居並ぶ読売ヴェルディが人気でした。
しかしJリーグが開幕した最初の1stステージで優勝したのは茨城の鹿島アントラーズでした(年間総合優勝はJリーグチャンピオンシップの結果ヴェルディ川崎)。そうして注目を集めた鹿島アントラーズのキーホルダーを見てみましょう。
↑鹿島アントラーズ風のユニフォームを着ていますが特徴がない。
↑上から見ると特徴的な髪型が分かる。アルシンド選手である。これだと頭頂部にボディピアスしてるみたいに見えるが、実際のアルシンド選手はしていない。
ブラジルから来たアルシンド選手は実力も去ることながら、ルックスの良さに加えて特徴的な髪型でサッカーファン以外からも人気を集め、CM出演もしました。
↑1993年アデランスCM。当時鹿島アントラーズのアルシンドが出演。「すぐにアルシンドになっちゃうよ!」「友達なら当たり前」というセリフが流行した。
同時期に鹿島アントラーズに在籍し、アルシンドと同じブラジル出身だったのが「白いペレ」とも呼ばれたジーコです。すでに有名人だったジーコは後に日本代表監督も務めます。しかし、そんなジーコは他にも日本に粋な置き土産を残していたのです。