“白鳥麗子”の衝撃。宮沢りえ「三井のリハウス」から30年
こんばんは、今度、あさひが丘にリハウスしてきました、バブル時代研究家のDJGBです。
まもなく4月、新生活の季節です。この春、引っ越しをされた方もいらっしゃるのでは。
数々のスター女優を輩出した「三井のリハウス」の”リハウスガール”CM開始から、今年で30年です。
●【三井のリハウス】(87年)
『東京23区の地価でアメリカ全土が買える』と言われた80年代後半、都市圏の住み替えニーズは上昇の一途をたどります。「子どもが大きくなったら、、、」というお父さんの気持ちを「リハウス」という言葉に置き換えたのが、三井不動産販売(現・三井不動産リアルティ)でした。
いっぽうの宮沢りえは当時14歳。このCMをきっかけにトップアイドルへの道を駆け上がり、以降「ぼくらの七日間戦争」、フンドシ、ザケンナョ、「ドリームラッシュ」、『サンタフェ』からの貴花田と婚約・婚約解消と、話題を振りまき続けます。その期間は、ちょうどバブル発生~崩壊の期間(87~93年)と重なります。
今日は、バブルを駆け抜け今なおトップ女優として活躍を続ける宮沢りえと、「三井のリハウス」の時代をふりかえります。
■超貴重、「リハウスガール」以前にゴクミと共演!
宮沢りえは1985年、11才でモデルとしてデビュー。すぐに数々のCMやファッション誌などに起用されます。
●不二家「キットカット」(85年)
デビュー直後には、のちに「国民的美少女」として人気を集める後藤久美子と不二家「キットカット」のCMで共演。
●ケンタッキーフライドチキン(86年)
ケンタッキーフライドチキンのCMでは、北大路欣也の娘役も。すでにこの時点で、美少女として業界内では有名な存在でした。
■“白鳥麗子”の原点はアノ番組!?
いっぽう三井不動産販売は81年、不動産流通事業にCI(コーポレートアイデンティティー)を導入し、「三井のリハウス」ブランドを展開。86年には全国売買仲介取扱件数No.1の座に輝きます。当時のCMは「勉強部屋を奪い合う兄弟・姉妹」を描いたコミカルなものでした。
●「三井のリハウス」(85年ころ)
87年のCMでは、それまでのコンセプトを一新。子供から大人に成長する過程の少女を繊細に描くことで、思春期の子供を持つ父母の住み替えニーズを顕在化させます。
子供っぽい無邪気さと、大人のような魅力が同居した当時の宮沢りえには、お父さん世代に
「そろそろ思春期を迎えるこの子のために、もう少し広い家に住み替えたい」
と思わせるだけの破壊力がありました。
“白鳥麗子”という歯の浮くような役名すら、彼女が名乗ると本名のように聞こえます。
余談ですがこの“白鳥麗子”という名前の原点は「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」であるという説も。
“1985年4月から放送の「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」でアンケートを取っていたと思います。お嬢様っぽい苗字、お嬢様っぽい名前、それの1位をあわせると「白鳥麗子」でしたね。たぶんこれがはじめだと思います。(私の記憶では)
そのとき実在する「白鳥麗子」さんを訪ねてましたよ。本当にお嬢様だったと記憶してます。”
[出典:教えて! goo]
■「リハウス」から巣立ち、初代CMクイーンへ
宮沢りえの快進撃は続きます。
翌88年には映画「ぼくらの七日間戦争」に主演。ケミカルウォッシュ上下というコーディネートをスタイリッシュに着こなせるのは彼女ぐらいなものでしょう。
同じ年には大塚製薬「ポカリスエット」のCMキャラクターの座を、なんとスーパーモデルのシンディ・クロフォード(87年)から奪取。
●大塚製薬「ポカリスエット」(1988年)
さらに“白鳥麗子”のキャラが、当時若者の圧倒的な支持を得ていたとんねるずのバラエティ番組に派生したことで、宮沢りえ本人の認知が一気に高まります。
●「とんねるずのみなさんのおかげです」(88年)
89年には「ドリームラッシュ」で歌手デビュー。作詞・川村真澄、作曲・小室哲哉は渡辺美里「My Revolution」を手掛けた黄金コンビでした。
●「ドリームラッシュ」(89年)
日本で最もTVCMにお金が費やされたこの時代、宮沢りえは、1990年に集計が開始された「CM起用社数ランキング」(日本モニター)の女性部門で1位(9社)に輝きます。ちなみに男性部門の1位は、バラエティでたびたび共演したとんねるず(10社)でした。
■自らのスキャンダルすらもネタに!その力強さに惹かれる
91年のヘアヌード写真集『サンタフェ』の衝撃は、今も語り草です。朝日新聞の朝刊に掲載された一面広告に、世のお父さんお母さんは、ただうろたえるしかありませんでした。
昨年は篠山紀信氏とのツーショットも大きな話題に。
92年に発表した貴花田(当時)との婚約、そこからわずか2か月後の93年1月の婚約解消は、多くを語るまでもありません。
が、宮沢りえの凄味は、自身のスキャンダルすらもCMのネタとしてしまったところ。
●資生堂「ヘアエッセンス」(94年)
“白鳥麗子”当時の映像と、「戻りたい、あの頃の髪に」というセリフに、誰もが彼女のプライベートでの「すったもんだ」を想起したことでしょう。
●宝酒造「タカラ缶チューハイ」(94年)
この年、「すったもんだがありました」でしっかり新語・流行語大賞を獲得しているのは、さすがとしか言いようがありません。
■坂井真紀、一色紗英、池脇千鶴、蒼井優も…名女優を輩出し続けた「リハウスガール」
いっぽう「三井のリハウス」は宮沢りえ以降、森沢和美(88年)、茅野佐智恵(89年)、坂井真紀(90年)といった美少女を立て続けにCMに起用。いつしか「リハウスガール」は、若手女優の登竜門と目されるようになりました。
ビジネスも伸び、「三井のリハウス」の売買仲介取扱件数は87年度には1万5000件を突破。89年度まで右肩上がりで成長を続けますが、株価が下落を始めた90年3月、土地取引関連融資に関する総量規制が実施され、バブル景気は一気に崩落。「三井のリハウス」も大きく数字を落とします。
[出典:三井不動産リアルティ 全国売買仲介取扱件数、30 年連続で No.1 を達成]
そんなとき、5代目「リハウスガール」として起用されたのが一色紗英でした。このCMが功を奏したか、「三井のリハウス」の取扱件数もふたたび上昇。一色紗英も「リハウスガール」としては初の2年連続起用(91、92年)が決まります。
●「三井のリハウス」一色紗英(1991年)
“白鳥麗子”から5年後の92年、一色紗英はかつて宮沢りえが出演していた「キットカット」「ポカリスエット」のCMにも出演し、正統派美少女の座を完全継承したのです。
■その後の「リハウスガール」事情は?
30年前「この子のために住み替えを」と思わせた少女は、今や押しも押されもせぬ大女優です。
自身の公式インスタグラムで、いまも変わらぬ透明感を見せつけてくれます。
いっぽうの「三井のリハウス」は、その後も池脇千鶴(97年)、蒼井優(02年)、夏帆(04年)、川口春奈(09年)といった美少女を世に送り出しますが、14代目の山本舞香(2011~)を最後に「リハウスガール」の系譜は終了。
現在オンエア中のCMに出演している田辺桃子には「リハウスガール」という称号は用いられておらず(まさか、共演の樹木希林が!?)、三井不動産リアルティの運営するオウンドメディア「Relife mode」上で、「うちのリハウスガール2017」という企画が展開されるのみとなっています。「リハウス」の理由も、多様になっていることがうかがえます。
『男は一国一城の主たれ』という価値観も根強かった30年前、中古住宅の価格は年々上昇。新築で購入した小さなマンションを購入時よりも高値で転売し、その差益で、郊外の広い物件に住み替えるということも、珍しくありませんでした。
が、前述のとおり、その後不動産バブルは崩壊。30年前に「リハウス」した人たちの中には、その後、別の理由で「リハウス」せざるを得なかった人もいたかもしれません。
「すったもんだがありました」と、言える日が来ているといいですね。
(バブル時代研究家DJGB)